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八犬伝じゃない里見の歴史、一緒に追いかけてみましょう。
時は戦国ただなかへ、いざ、出陣。 シリーズ・里見家のおんなたち 6 里見家に生を受けた女。 里見家に嫁いだ女。 円満な者も、不遇な者も、女たちの数だけ笑いもあれば涙もあったことでしょう。そんな里見家のおんなたちは、おおよそ、実名の残されていない者が多かったのです。院号または通り名で後世に伝えられる女性の逸話を、ひととき一緒に語りましょう。 天正7年、里見義頼が正室として迎えた鶴姫が早世しました。法名、龍寿院殿秀山芳林大姉。 その早すぎる死に、当惑したのは北条氏政でした。 この時期、北条氏はあらゆる局面に対処するため、江戸湾を対峙して接する里見氏とは講和関係を維持したいと考えていました。海を隔てて里見から直接攻撃をされたくないという本音が透けています。事実、長駆海路からの攻撃実績も里見氏にはありました。 北条氏政を悩ます情勢は次のようなものでした。 御館の乱(上杉氏家督争い)。 由良国繁背信の危機(佐竹義重からの調略) 甲佐同盟の活性化(武田・佐竹・蘆名の連携) 上杉謙信に送った養子(氏政弟)が家督を盗れば、北条氏は上杉を包括した大勢力になった筈でした。しかし、この家督争いは失敗したのです。養子同士の内乱に発展したとき、氏政は手を汚すことなく漁夫の利に奔ったことが原因とされます。結果、同盟関係にあった武田勝頼との関係も切れ、佐竹を中心にした北関東の大きな壁が立ちはだかってきたのです。そして、太田三楽斎を介して、佐竹と里見は親交を築いていました。 里見だけは中立に誘導しなければ……という、氏政の焦りは想像に易いでしょう。 鶴姫に代わり、急いで北条氏から継室が送り込まれたのは、そういう背景からでした。俗書によれば、この女性の名は菊姫。氏政の妹にあたります。この女性についても、詳細が残されていないようです。一説では義頼との間に男子を設け、それがのちの里見忠重になったとされますが、信憑性は???です。 彼女がいつ没したのか、何を残したのか、定かではありません。こういう書き方をすると、いつの時代も女性は被害者的に受け取られがちです。しかし、いつの時代も、女々しきは男性にて、女性こそ戦国を逞しく生き抜いたものと夢酔は思っておるのです。 それにしても、北条氏政がどれほど里見氏に気を配ったものか、この時期の婚姻ひとつを取っても、ありありと見えて参りますね。 ◆ ◆ ◆ 戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。 「2014年に里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」 皆さまの温かいご声援をお願いします。 大河の署名用紙「Yahoo! ボックス」にUP! ぜひダウンロードしてください。 https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-3cwv2wfiuh32cvdru3iad3wwoe-1001&uniqid=a82d0f16-38fb-4e71-a93a-d67a27a62932&viewtype=detail 房総里見会事務長 鈴木惠弘 〒294-0027 千葉県館山市西長田72 署名用紙の欄外に 「夢酔に頼まれた!」 と添え書きくだされば幸いです。 告知 署名活動のお知らせを頂きましたので、この場をお借りして周知させて頂きます。 1月29日の若潮マラソン会場で署名活動を行うそうです。 ちなみに、今回、夢酔は所用により参陣できません残念。 それから、11月27日署名活動の写真がUPされていました。恥ずかしい…… http://www.awa.or.jp/home/kabuto/osirase.html にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.01.22 10:58:52
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