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2007.09.07
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テーマ:歴史の足跡(72)
カテゴリ:戦争を語る
皆様、こんにちは。関東地方は昨夜から、台風で大変でした。

さて、今日は一つの貯水池の話をしたいと思います。大阪梅田駅から阪神電車で「西宮」駅下車。そこから阪神バス「西宮山手線」もしくは「鷲林寺線」で、「満池谷」バス停で下車します。もしくは阪急電車で「夙川」駅まで行き、そこで甲陽線に乗り換えて「苦楽園口」駅で下車し、徒歩15分。そこには3つに分かれた貯水池があります。

この池は「満池谷」とか「ニテコ池」と呼ばれており、西宮市民の水道貯水池となっています。なぜ今回、この池をご紹介するのかといいますと、実はこの池が野坂昭如氏の直木賞受賞作品でスタジオジブリのアニメ映画やテレビドラマにもなった「火垂るの墓」の舞台になった貯水池だからです。
取水塔越しには、西宮のシンボルでもある甲山の山並みが写っています。とても絵になるところです。(本日のトップ画像です)

では野坂氏の「火垂るの墓」という作品は、どんな作品だったのでしょうか。その大きな流れは1945年(昭和20年)5月の神戸大空襲から作品は始まります。父親は海軍に出征していて、母親と清太少年(14歳)、妹の節子(3歳)の3人暮らしでした。空襲で母親と生き別れになった清太と節子の兄妹は、何とか生き延びました。しかし、母親は空襲で亡くなってしまいます。空襲前に清太は、食糧などを庭の土の中に埋めておいて逃げました。

そしてそれを持って、西宮の遠い親戚の未亡人のところに身を寄せました。しかし、未亡人の目的はその清太が持っていた食糧でした。兄妹にはろくに食べさせずに、自分達の家族だけでそれを半ば独占するように食べ、ろくに働きもしない清太達を段々と邪険に扱う様になりました。
そして居づらくなった二人は、この満池谷・ニテコ池のほとりにあった防空壕へ移り住み、二人で暮らすようになりました。


西宮・満池谷ニテコ池(第1貯水池)


けれども食糧難は日々つのるばかり。池の魚やシジミをとったり、時には畑から野菜を盗んで農民に殴られ、警察に突き出されることもありました。住民登録等がなかったため、食糧等の配給も受けられなかったのです。やがて空襲が、この西宮界隈にも来る様になると、かえって清太にとっては好都合でした。留守になった家へ忍び込み、食べ物をあさっては金目のものを盗っていく。そうでもしないと、生活できない状態でした。

同時に、妹の節子が栄養失調にかかり、ほとんど動けなくなりました。医者にみせても「滋養つけさせる事ですな」と。しかし、滋養をつけさせる食べ物などあるはずもありませんでした。或いはどこかにはあったかもしれませんが、闇の高値では到底、買うことが出来ません。

そして戦争が終わった事を知らされ、父親もいつの間にか戦死していたことを知るのでした。こうしている内に妹の節子は、とうとう亡くなってしまうのです。貯水池のほとりで、死人を荼毘に伏すための特配を受けた炭で節子を火葬にし、その骨を、節子がいつも持っていたドロップ缶に入れて、この貯水池の防空壕を後にしました。
その後、浮浪児になった清太も栄養失調になり、その年の9月に神戸・三宮駅構内で亡くなりました……。


この二人がいたという防空壕は、どの辺にあったのでしょうか。現在の貯水池の周囲には一面、フェンスが張り巡らされ「水道の貯水池につき、魚釣り・水泳をしてはいけません」ですとか、「危険につき立入禁止」の看板があちこちに張られています。

そこで、周囲を歩いていた年配の人に何人か聞いてみましたが「知りません」「さぁ、分かりませんね。」という回答ばかりでした。どこだろうか、と自分で探していたとき、休憩していたタクシーの運転手さん達がいたので聞いてみました。
すると「ああ、『火垂るの墓』の舞台となった防空壕の事だね。一番下の第3貯水池と思われるけど、震災でみんな崩れちゃったよ。」と教えてくれました。


第3貯水池を見てみると、岸辺があり、かって防空壕があったような感じが確かにしました。



西宮・満池谷ニテコ池(第3貯水池)


1995年(平成7年)1月17日午前5時46分に近畿地方を襲い、多数の犠牲者を出した「阪神・淡路大震災」では、このニテコ池も決壊し、水道のライフラインにかなり影響が出たそうです。


第1貯水池の脇には、その震災で亡くなった西宮市民の霊を弔う「西宮震災記念碑公園」があります。記念碑には、この震災で犠牲になった西宮市民の名前が、ひとりひとり刻まれていました。手を合わせて黙祷をささげてきました。


「西宮震災慰霊碑」です。


また第1貯水池のほとりには、ボランティア団体によって琵琶湖から鯉の稚魚千匹が放流された、という記念のポールが立っていました。


その他にも震災の犠牲者を弔う、という事で植えられた「震災祈念桜」の木もありました。

しかしどうせなら、この貯水池のほとりのどこかに、「火垂るの墓」の清太と節子のモニュメントを建てて欲しいものです。戦争を永遠に繰り返さないためにも。お願いします、スタジオジブリ様。

最近では地元の教育者達による「『火垂るの墓』の舞台を歩く」という行事が何度か行われているようです。先日、この「火垂るの墓」が松嶋菜々子主演のテレビドラマになりましたが、何度も原作を読み、アニメ映画を見てきた私にとっては見るに堪えられない「事実を歪曲した作品」でした。これを見た原作者・野坂昭如氏はどう思ったでしょうか。それが大いなる疑問なところです。

またこれは余談ですが高校時代、このニテコ池を訪ねた事(この当時に「火垂るの墓」がアニメ映画になった)を作文に書いた時、野坂昭如氏の名前を間違って「明如」と書いてしまい、現国の教師から怒られた事があります。またサクマのドロップ缶の中には、この「火垂るの墓」の節子が描いてあるレトロ風の缶もあります。(スーパーなどの駄菓子コーナー等で売っています)

戦争。それは人と人とが身体を傷つけあうだけではありません。人の心までも殺してしまうものなのです…。

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最終更新日  2008.05.16 22:07:20
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