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2009.10.02
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テーマ:鉄道雑談(1505)
カテゴリ:東武電車の話
皆様、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
それでは本日も「東武特急歴史の旅」に出かける事にしましょう。

まずは時計の針を、1960年(昭和35年)に一旦戻すことにしましょう。私の手元に東武鉄道が4月に発行した「奥日光ハイキングガイド」というパンフレットがあります。これによりますと、特急列車(もちろんこの当時は1700型「白帯車」)が下り7本、上り5本運転されています。

下り列車のうち午前中の6時40分発、7時40分発、8時40分発はノンストップ便、午後の12時40分発、13時40分発、14時40分発が下今市のみ停車、夜の19時40分発が新鹿沼、下今市に停車となっています。またこの時刻表はハイキング客を対象としたものであるため、特急を補完する急行列車や準急列車、臨時快速列車、中には「準快速」という珍しい種別の列車までが出ています。また、夜行ロマンスカー「白根」号や、山岳夜行「奥日光」号の時刻も出ており、なかなか興味深いです。

昭和36年4月12日のダイヤ改正で、余裕の出来た1700形「白帯車」を利用し、不定期特急を増発しました。これにより、早朝7時40分から9時09分まで30分間隔での特急運転の実現となりました。また特急のスピードアップと共に、昭和37年6月22日から「DRC」利用の列車は、東武日光系統が「けごん」号、鬼怒川温泉系統が「きぬ」号に統一されました。それでもまだ編成が足りなかったので、一部の「けごん」「きぬ」は、金曜日は1700形「白帯車」が代行で走りました。

昭和38年の秋のシーズンより、特急料金が今まで同一の200円だったのが、「DRC」使用便300円、「白帯車」使用便200円となり、格差がつきました。やはり、設備の面での格差がある以上、特急料金に差をつけなければ、ということです。昭和39年にまた1編成、1750形が増備されました。これは「東京五輪」を意識してのもので、特徴としてはサロンルームの椅子が若干大きくなった事です。

今度は、1965年(昭和40年)「秋の時刻表」を見てみる事にしましょう。「DRC」使用便は「デラックス特急」という表現になり、午前中が東武日光ゆきの「第1けごん」「第4けごん」、午後が鬼怒川温泉ゆきの「第1きぬ」「第4きぬ」となっています。

一方「白帯車」使用の特急は、下りが「きりふり」、「第1さち」、「第2さち」、「たかはら」、上りが「おじか」、「さち」、「かわじ」、「きりふり」となっています。また、鬼怒川系統の特急の停車駅に、新高徳が加わっています。

この時刻表を見てみると、ある一つのパターンが出ているのに気がつきます。それは東武日光到着後、回送で鬼怒川温泉まで走り、そして上り特急で浅草へ戻る、というパターンです。このパターンは以後も続けられていますが、現在では東武日光系統の特急は少なくなり、鬼怒川温泉方面の特急中心のダイヤとなっています。

また補完列車としては、急行列車が少なくなり下り2本、上りは季節列車となっていることです。これは当時急行として使用していた5700形が、伊勢崎線急行などへ転用された事からも考えられます。その分、料金不要の快速列車や臨時快速列車が増えている事です。また一部の快速列車に「座席指定車連結」という表示があります。これが後の「快速急行」に繋がるといえます。

1966年(昭和41年)、特急料金がそれぞれ50円ずつ値上げされました。1969年(昭和44年)には第5次車として1760形が増備されました。この年の3月21日より「デラックス特急」「D特急」に統一されました。また現在のように下り列車は奇数番号、上り列車は偶数番号が付けられるようになりました。名実ともに「日光路へのアクセス」を独占した東武鉄道は、快進撃を続けていたのです。

またこの1760形は春のダイヤ改正に合わせての登場(今までの特急車は秋の観光シーズンに合わせての登場でした)でした。この型より、台車がアストロム台車からミンデン式台車に変わり、乗り心地が良くなりました。

このように1720形「DRC」「私鉄特急の女王」にふさわしく、次々とデビューして走っていたのに対し、それまでの主役だった1700形「白帯車」は段々と活躍の場を狭められていきました。その数は1969年(昭和44年)6月には下り3本(月~金は4本)、上り3本にまで減ってしまいました。1700形は貫通式だったので、日光・鬼怒川方面への分割・併合が自由に出来たため使い勝手も良かったのですが、「DRC」とのサービス格差はどうしても否めませんでした。

そのため冷房化や貫通扉の「マジック・ドア(自動扉)」化を行い、そのための大容量大型電源(MG)が床下に吊られました。いわばこれが1700形にとっては「命取り」でした。車体の重量が重くなりすぎ、台車などはコイルバネの隙間がほとんどない位の状態となりました。当然、主電動機(モーター)の故障も多くなり、営業運転どころか検車区で眠る事が多くなりました。

同時に「DRC」が増備されたゆえに出番も少なくなり、下今市~東武日光・鬼怒川温泉間のいわゆる「連絡特急列車」に使用される事が主体となりました。

そこで東武鉄道では、特急のデラックス化も含めて1700形12両を2両6編成から、6両2編成に車体更新して「DRC」に改造する事を決定しました。

1971年(昭和46年)、改造工事の間の特急車不足を補うため1770形編成が増備されました。この時には「白帯車」は、下り2本(土曜・日曜は1本)、上り1本のみの使用となっていました。

そしてその年の12月14日、特急「なんたい」号での「さようなら運転」を最後に、1700形「白帯車」は15年の生涯を閉じたのです。最終列車には鉄道友の会による「さようなら1700系」のヘッドマークが付けられ、浅草~東武日光~鬼怒川温泉~浅草というルートで走りました。この「さようなら列車」は、「1711+1712+1707+1708」の4両で運転され、名前の由来ともなった男体山に見送られ、東武日光を後にしたのです…。

1700形「白帯車」のヘッドマーク






ここ数日、マニアックすぎる話ばかりでしたので、ここで沿線のスイーツを一つご紹介いたします。下今市駅から徒歩20分のところにあります蔵元・片山酒造さん。ここは「千両水」と呼ばれるいい水と、恵まれた気候・風土の中で育まれた原酒「柏盛」が人気です。中でも名物なのが「ブランデーケーキ」ならぬ「酒ケーキ」(普通サイズ・1,050円)。お酒の苦手な方でも美味しく召し上がれます。

全国菓子大博覧会会長賞受賞片山酒造の「酒ケーキ」



東武デラックスロマンスカー


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最終更新日  2009.10.02 15:26:31
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