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世界に一つだけのプリスクールを作ろう

世界に一つだけのプリスクールを作ろう

プリスクール作りたい!のきっかけ

(閉園してしまった思い出のスクールとの出会い)

息子the sonが8ヶ月のときくらいだったろうか。半年にわたる「片乳授乳営業」も終わり、(すごい表現だがいつも片方の手で仕事、反対でだっこしながら片乳だして!授乳という感じだった。6ヶ月までは息子のthe sonは母乳とミルク、両方をすごい勢いで飲んでいた。そして驚くべき事に6ヶ月目のある日。ぴたっと「いらん」という顔をするようになって、あっけなく断乳となった)

schoolmamaとしてはいよいよ「そろそろ人に会ったり、アポイントをとっても仕事をできるかな」と思い始めた頃だったと思う。

多くのワーキングママ達のようにschoolmamaももちろん、「仕事の間息子the sonを預かってくれる所」を熱心に探した。

「○○園」と呼ばれるような園にはそれはもうくまなく足を運び、半日一緒にいさせてもらったり、予定より急に早く迎えにいったりいろいろなアプローチをして
「様子」をじっくりと観察してみたりした。

何件あたっただろう。縁がなかっただけかもしれない。でも
「ここに預けたい」とおもうところがなかった。

全く無かった。まだ3,4時間といったところだったけれどそれでも
迎えに行くと「あああ、ここにこの子を預けていったい私は何をしていたんだろう」という気持ちににた罪悪感にさいなまれるというか。息子は明らかに
「預けられている」という感じなのであった。

それがschoolmamaには耐え難かった。私も仕事をしたいけれど、一人っ子である
the sonには兄弟がいるような、mamaやpapaとだけの暮らしにはない何かを
アットホームに感じてもらいたい。そんな願いは 迎えに行ったときに事務的に
「はーい。○○君のお母さんきましたよー。はいお鞄もってきてあげてね。
え?今日ですか、普通にいい子でしたよ。はい」といった通り一遍のスマイルで
保育士さんの報告を聞くたびに。

さらにたまたま一人しか保育室にいなくなってしまった時にthe sonが
半分電気をけされた(節電?)保育室で一人の先生がテレビを見せながら
遊ばせていたりしたとき。

絶対ここではない!!と・・・・・。確信してまた「託児ジプシー」に
なるという日々を続けていた。

そんなときに出会ったのが、その後ずっとお世話になることになる
プリスクールだった。仮にAスクールとしよう。

まず新聞折り込みでみたチラシが夢があって「親の都合で預けるのに最適」といった通常のうたい文句ではなかった「子供達に自由に考えてそれを表現する楽しさと
ミックスエイジ(縦割り)保育でいろいろな世代の子供とふれあいその中で
ルールや生活の方法を学んでいく自主性を伸ばします」

しかも・・・「英語保育をネイティブの先生やバイリンガルの先生も
いて日常の中で自然に行います」

まさに保育と教育の融合。これだ!私が求めていたのはこれだ!

思わず叫んでしまったのを覚えている(笑)

そして見学にいって「!!」今まで他の保育施設に行ったときは入った途端
泣き叫ぶばかりだった息子the son(まだよちよち歩きだったなあ)が
Aスクールではできたての木のにおいと優しいクッション絨毯のフロア 
パステル系の明るい壁にたくさん飾られた外国っぽいアートやインテリアの数々に
「うー」(きれいーみたいな表情だった。ちなみにthe sonはmamaが悩み倒す
ほど歩くのも遅かったし、しゃべるのはノイローゼになるほど遅かった。
そして今は弾丸のように力説する少年になっている・・・)

好反応。そしてmamaもpapaもなんだかわくわくするような楽しさがあった

数回スポットケア(一時保育、時間制でお願いできる)をうけ
毎回とても可愛い先生達が楽しそうに「こんなことしていましたよ」と親が
しらない息子の姿をお話ししてくれる。

そしてマネージャーさんがmamaとほぼ同い年で一般的な保育施設にいる
「あのー、だーいじょーぶですょおー ○○ちゃん。いっしょにあそぼーねー」
系の 全部子供風になってしまう方ではなく 大人にはきちんと話してくださり
子供には一緒の目線でだけどこれまた子供言葉ではなく、ちゃんとお話
してくださる闊達な女性。そしてうちの息子の一つ上の男の子をお持ちで
お子さんもスクールに来ておられる。

なんだかとってもお話があい、聡明な女性だなあと感じ。
「この方が責任者の施設なら」と思ったものです。

そして決定的な「決め手」となったのはこんな出来事でした。

ある日マネージャーさんが お迎えにいったschoolmamaとpapaに
おっしゃいました、

「the son 君はどうやら お靴を履いているととっても安心するみたいです
やっぱりまだお父さんやお母さんと離れることやお家以外で過ごすことに少し
不安をもっておられるのでしょう。もし良かったらお気に入りのお靴を
お持ちになって上履きとしてルームで履いてもらったらどうでしょうか。
今日はとりあえず履いてきたお靴の裏を拭いてずっとはいていてもらったら
とっても楽しそうに遊んでいました」


感動した!(某首相風?)

本当にそのとき心を動かされた。そんな子供の個性や感情を細やかに
見てくださって、めんどくさいであろう個別の提案までしてくださるなんて。

そして私たち夫婦は安心して息子the sonをお願いすることにし、
程なくschoolmamaは仕事をフルタイムで再開。最初は自宅の一室を事務所として
いつでも迎えに行ける体制を保ちつつも事業を少しずつ築いていくことができた。

the sonは 最初は泣いたりぐずる日もあったが次第に「まるでもう一つの
自分の家」のように当たり前にスクールのソファーのお気に入りの位置にすわり
たくさんある絵本を食い入るようにみたり・・・。

それはもう親として「へー」の連続のような変化や迎えに行くたびに
「こんなことしたんだ」という喜び。さらにだんだんアートワークなどにも
参加できるようになると思わず「なるほど」と納得する夢がある作品?を
持ち帰るたびに「ここにしてよかったねえ」と親もエンジョイしたものです。

こうして息子the sonにとってのかけがえのない「先生のお家」との出会い
そしてそれからの2年半はとても楽しく、私たち家族にとっては
本当にありがたく、幸せな場所であったのです・・・。

→そして 2005年の12月のことでした・・・・。




            


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