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つれづれ日記 [全3061件]
前回、民間事故調なるものが福島原発事故について「調査」なるものをした。あの舟橋洋一の名が出ていたのでうさんくさく感じていたが、案の定、東電については「答えてくれない」とかで、一切調査をしなかった。 国会事故調は、民間事故調の流れをうまく利用しているように思える。ここでも、東電の追求が甘い、東電社長の居直りをそのまま見逃している。 もちろん、政府の情報隠ぺい、情報操作もひどかった。これの追求もやるべきであるが、きわめて甘いといわなければならない。 国会事故調は、政府を徹底して追求すべきであるが、東電、東電を巡る原子力ムラについても徹底した追求をやるべきである。 彼らにそれを求めるのは無理というものであり、それが一番の問題であるかもしれないのだが。 Last updated 2012/05/30 10:01:08 AM
サンデーモーニングを見ていたら瓦礫処理がすすまないというのを報道していた。数字を忘れたのだが、瓦礫全体量にたいして広域処理が必要なのはその10分の一くらいだったと思う。政府は瓦礫処理が進まないのは、広域処理がすすまない、つまり地方自治体が受け入れないからだという宣伝をしているがそれはおかしいとこの数字から思った。 案の定、番組の後半で地元に設置する仮設処理装置の建設が非常に遅れていることが紹介された。政府が仕事をすすめないことが最大の原因であることがこれでわかった。 広域処理などといっているが、放射能拡散の問題もある。焼却後の濃縮された放射性物質を含む最終処分の問題もある。あれもこれもあいまいにし、政府の責任をはたさないで、処理がすすまないには、地方自治体住民のせいにするのは欺瞞にすぎる。 Last updated 2012/05/27 11:26:52 AM
テレビで某芸能人が生活保護に関して謝っていた。きくところによると彼の母が生活保護を受給していたことにかんして猛烈なバッシングがあったらしい。 厚労大臣はそれを待ち受けていたかのように、生活保護について、親族の保護の法制化、生活保護の切り下げ、親族の保護についての法的措置の導入を言明した。まさにマッチポンプである。 そもそも生活保護は「文化的な最低限度の生活を保障する」というわれわれの約束から生じた法律だ。バッシングのなかには、生活保護費が労働した場合よりも高すぎるという批判もあったらしいが、問題は働いても生活保護費に足りない賃金しかえられない労働事情にこそある。 このようなバッシングは、労働者をできるだけ低賃金で働かせ利益を得ようという者たちにとって笑いが止まらないだろう。 政府は税と社会保障の一体改革というが、この一事にその正体がみえている。要するに消費税を中低所得者から搾り取り、社会保障は切り捨てるというのが、「一体改革の正体」である。 ここから、生活保護の切り下げと、親族による保護がでてくる。こうして最後のセーフティーネットとしての役割は劣化し、それは親族に押し付けられる。ここでも自己責任が強調されることになる。 問題は、賃金が限りなく低下し続け、雇用の非正規化がすすみ、失業率が高く、就職口がないことにある。そうした社会にし、そうしたことに対策をせず、ひたすら生活保護費の切り下げ、生活保護の転嫁、切り捨てをすすめる政府や議員こそ批判されなければならない。 最近、特定の弱者をバッシングし、それを利用して現状より悪い政治なり行政を進める傾向がある。 これでよろこぶのは、そうしたことで利益を得る一部の者たちだけである。 生活保護にしても、これ以上切り下げ、切り捨てが進めば、それに連動して、賃金や雇用の劣化はさらに進むであろう。それで笑うのは誰か。バッシングをしている時ではない。 Last updated 2012/05/26 11:20:46 AM
NHKの経営委員長が、東電の社外取締役になって批判を受けた。社外取締役といえば、なんだか軽そうだが、実際は「「株主利益の番犬」として任命されている社外取締役」「取締役会を支配」(ロナルド・ドーア『金融が乗っ取る世界経済』中公新書)という強力なものであるらしい。 NHKという「公共」放送機関の経営方針を出すその責任者が、東電という独占企業の社外取締役を兼ねていいはずがない。批判をうけて経営委員長を辞めたのは当然である。 もっとも、東電の方を辞めるという選択肢もあったはずだが、当人によれば、東電の危機は国難であるそうで、東電の社外取締役になる方を選んだのだという。 これすなわち、東電の危機による株主利益の喪失の方が重大だったということで、彼がNHKを辞めることを選んだということは視聴者にとって幸いだった。 NHKに残った場合、ニュース番組などでは東電に偏りがちと思われるのが、さらに偏っていくことは必然だったろう。 それにしても、東電の危機は国難だとは。 Last updated 2012/05/25 3:44:05 PM
民主党、野田首相は、しきりに同じテーブルにつけといっている。呼びかけの相手は、野党といった場合でも自民党である。先日の国会中継でも答弁のなかで自民党に同じテーブルについてほしいと言っていた。 「同じテーブ」ルとは、奇怪なことばである。野田首相は、議場の外で話し合おうといっているのである。議員にとって、議場こそがテーブルであり、そこで議論することが、同じテーブルにつくということである。その議場、国会の場でろくな議論をせずに、しきりに議場外での談合、密談をもちかけるのは間違っている。 国会中継をみても、まともな議論はしていない。民主党も自民党も国会の場でもっと真剣な論議をすべきである。意見が同じでまともな議論ができないというのなら、そのことを正直にいい、まともな議論のできる政党に議論の時間をまわすようにしてはどうか。 ★電力会社が、一般家庭に38%の電気を売って69%の利益を得ていたという。大口の事業所は、62%の電気を使って31%しか払っていなかったということだろう。電力会社という独占企業は、同じ大企業仲間に便宜を図って、多数の一般家庭からしぼりとっていたわけである。ここにも大企業中心、庶民収奪の実態がある。 ★エコカー減税なども庶民から収奪して、大企業にもうけさせるという構図の一つである。減税して儲けるのは大企業と金持ちであろう。そうして減税による負担を埋めるため、赤字国債を増やし続ける。国の借金がどうのこうのというが、それがどういう仕組みで生じたか明らかにする必要と義務がある。 だれがするか。それはわれわれであり、国会であり、政府であり、マスコミであろう。いわゆる知識人もそういうことを明らかにしてほしいものである。 Last updated 2012/05/24 3:02:43 PM
橘南谿は江戸時代の医者である。天明頃を中心に北は青森から南は鹿児島まで旅をしたその記録が、『東西遊記』である。当時のさまざな見聞が書かれていて、西日本の記録である「西遊記」には、琉球国についての記事、鹿児島の生活、長崎の貿易などが興味深かった。 東日本を中心とした「東遊記」では、東北の過酷な自然、天明大飢饉の記録が特に胸を打った。 天明の大飢饉は日本全国、つまり鹿児島から青森までを襲ったのだが、この本によると東北が特にひどかったようだ。短い記録だが衝撃的なのが東北、特に津軽の様子を記録した「飢渇負」である。その最初のところを一部以下紹介しよう。 「天明三卯春、奥州、羽州大いに飢饉して、人、相食に至る。~中略~余が奥州に入りしは午年の春なれば、もはや、国豊かに食も足るべしと思いしに、卯年の飢饉京都で聞きし百倍のことにして、人民その時大方餓死しつくして、南部、津軽の地荒涼、まことに目も当てられぬことどもなりき。 先、出羽国秋田を過ぎて東北のかたに入ること十数里ばかりなりしに、路傍に人の髑髏、あるいは手の骨、足の骨等あり。」(読みやすいように表記をかえた。) 以下死屍累々のありさま、「人、相食」の惨状が記録してあるが略す。 ここに紹介した記事は全体のごく一片だが、これだけでもこの本を読む価値がある。このような大飢饉がそんなに遠くない時期にあったことを知っておくことは無駄ではなかろう。 この部分を読みながら方丈記の飢饉の記録を連想し、庶民(そのほとんどが農民であった)の苦難の歴史を思ったのであった。 Last updated 2012/05/23 11:42:55 AM
堀田善衛の『ゴヤ』は初版が出たとき全4巻を読んだ。最近、また読みたくなって図書館からかりて読んでいる。今、第3巻を読み終えたところである。いろいろ考えさせられるところは多いのだが、今日は第3巻から二か所メモしておきたい。 (画集「戦争の惨禍」にふれて「歴史のかかる光景に接していると、私もがゴヤともに人間に絶望しなければならなくなる。 この絶望を超えて、なおも生きていくことができるためには、人間がかかるものであることを見に徹して認識し、表現してかからねばならぬ。」 これと同じ言葉が2巻までにもう一箇所でてくる。人間がどんな残酷なことでもできる存在であることを繰り返し、徹底して認識せよと堀田氏はゴヤについて語りながらいうのである。この言葉は、私たちの生きる現代というものを見渡してみれば容易に認定できるものである。 (近代国家と国民軍が創始されそれが20世紀の戦争の時代を経て現代につながると述べた後)「最終的にはヴェトナム人民の30年にわたるゲリラ戦争によって受け継がれ、そこでわれわれの国家単位の「現代」が終わることになってもらいたいものであるという、いわば現代終焉願望が、この『戦争の惨禍』をくりかえし眺めていると私は自分のなかに澎湃として湧き起ってきてそれを押しとどめることができないのである。おそらく、この秘められたる願望が私をしてこの『ゴヤ』を書かしめている情熱の根源をなすもので阿藤と思う。」 この部分は改めてほーと感慨深い箇所である。戦争の世紀といわれる20世紀が近代国民国家と国民軍の創設以来連綿とつながっていること、それがもう終わってもらいたいという願いが『ゴヤ』4巻をかかせたのであった。大岡昇平の『レイテ戦記』執筆の動機の一つもそうであったと思う。良質な作家が真剣に時代に向き合うという姿勢に改めて感動をおぼえた。 堀田善衛『ゴヤ』についてはほかにも考えさせられること、メモしておきたいことがたくさんあるが、書くのは以上にする。 Last updated 2012/05/23 11:05:44 AM |一覧| |