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2005年08月05日 楽天プロフィール Add to Google XML

恥ずかしい復帰。。何ヶ月さぼったかしら??

皆さま、こんばんわ・

お久しぶりです。

今ごろお礼を申し上げるのもなんですが、
地震の折にもお見舞いを頂戴しましたのに
ご無礼を致し申し訳ありませんでした。

私にとっての大転換期があり、ご報告をと思いつつ
やっとパソコンに向かう余裕が出来ました.

実はこの9月に北九州は小倉の繁華街のど真ん中に
”なでしこ 小倉店”を出店する事になったのです。

前々から今の田舎でやっているのはもったいないという
小倉の繁華街の2,3のお知り合いからお誘いはあったのですが
私に全然その気もなく聞き流していたのです。

が今年はなぜかふとやってみようかなという気になったのです。
12年に一度の好運勢だとかで出会う方、出会う方・・・・
新しい出会いも昔からの知人も・・・なぜか
追い風のような・・ひとつの方向に向かっている情報や応援と言う形で
どんどん話がまとまっていって
気がついたらばここまできていました。

皆さんが段取りをしてくださり、それに乗っかってきたという感じです。
昨日8月5日は (有限会社 なでしこ)の設立日となりました。

二年半自宅でやってきたことでいろんな勉強をさせてもらったので
不安はありません。

むしろいろんなアイデアで創作商品を開発したのに
10万都市での手応えだけでは物足りなくなって来ていたのも事実です。
北九州に出ておいでというお誘いで、
考えてみると知人、友人、サークルのお友達
親戚、いろんな知り合いが北九州にはいました。

従兄の娘を、なでしこ2世に育ててみようと言う決心もしました。
私とはまた違った感性を持つこの娘はわたしのベストパートナーと
なりそうです。

こちらのお店は当初一旦閉めようと思いましたが
周に一日でも良いから決まった日に営業をして欲しいという
お客様の要望もあり
ギャラリー なでしこ 宗像店として残す事にしました。
4,5年、小倉で羽ばたいてみて、軌道に乗れば娘に任せて
また戻って来るまで看板は下ろさないことにしました。

ここ2年半やって来た展開で小倉の方も二年は行けそうなので
すでに彼女と二人で二年先の展開の準備も始めています・

もうけるという事もビジネスとして一番大事でしょうが
一度、事業の面白さと、自分たちの考えていくオリジナルの商品が
何処までお客様に伝わるかと言う喜びも味わいたい。

するとやはり周辺を含めると200万都市の方が
手応えは大きいわけで・・・ワクワクします。

まずは商店街のお知り会いの方たちの応援がすごくありがたいですし
だからこそ不安がありません。

もし駄目だったら帰ってくるお店があるのが強みです。
今のお店にまずは先に新しい商品を並べ、
感触をみて小倉店に並べるつもりです。

地元のお客様はやはり大切にしておかねば。。
9月初旬のオープンに向けて
また、進行具合をご報告、また画像が乗せられるようでしたら
紹介しますね。

ということで本日の報告はこれまでです。

ではまた。。










































 














最終更新日  2005年08月06日 02時15分51秒
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2005年03月03日

"黄金”

ジョン.ヒューストン監督の作品で好きな作品はというと
”マルタの鷹”、”アフリカの女王”を上げる人が多いが、
私は迷わずに”黄金”をあげる。

1948年の製作作品であるが、
ハンフリー・ボガードが珍しく、疑心暗鬼な心の弱い悪を演じている。
ボガードのボガードらしくない作品として過去に紹介した
”ケイン号の叛乱”というのがありましたが、
それに劣らず彼が悪のいい味を出しています。

なぜこの作品が好きか??
金鉱掘りで一山あてて一攫千金を夢見るという単純なドラマの中に
フランスのアンリ・ジョリュジュ・クルーゾー監督の”恐怖の報酬”にも
似たスリル感、
それと何よりもヒューストン描く、非情なまでの
人間の醜さと、
おおらかさは何よりも幸を運んでくれるというその対比を
密度濃く描いているからです。

アカデミーの監督賞、脚本賞を獲得したことも頷ける
ヒューストンの分りやすく丁寧で
それでいて古さをちっとも感じさせない力量のすばらしさ。

メキシコのある町から金鉱が舞台であるが、

同じメキシコが舞台の西部劇の”荒野の七人”よりも
ずっと楽しめる娯楽作品であり、
ヒューマンドラマでもある。

1950年代というのはある年など年間に200本近い
アメリカ映画が封切られるようになるのであるが、

その他ヨーロッパ作品を見ても
下のように
日本公開が1949年という”黄金”が上映された年に
”戦火のかなた”、”ハムレット”、”大いなる幻影”、
”裸の町”、”恐るべき親たち”、”仔鹿物語”、
”聖処女”、”ミニヴァー夫人”、”狂恋”、”平和に生きる”
といった何かにつけ映画史に残るような名画が目白押しだったんですよね。

映画は時価のものという見方もあるように、
リアルタイムでないとという方もあるようですが
みんながみんなリアルタイムで見られるものでもない。
今、ビデオやDVDというものが出来て本当にありがたい。
新作は劇場で、
旧名作はビデオやDVDで鑑賞できるのだから。

当時に世界情勢や社会情勢の中で見るから古い名作も
生きてくる・・・だから年数が経って、二度以上観るのはイヤだと
いう方もあるでしょうが、
旧作も何度も何度も見て噛み砕く事をわたしは好みます。

さて、この”黄金”にはボガードの他に
ジョン.ヒューストンの父君で名優と言われた
ウオルター・ヒューストンが若きトム・ホルトと共に
共演しています。
で、ウオルターはこの”黄金”で、アカデミー助演男優賞を
獲得。
親子一緒にオスカーを掴んだんですよ。

ウオルターといえばサイレンと時代から活躍している役者ですが
トーキーになってからの
ウイリアム・ワイラー監督の傑作作品、
”孔雀夫人”というのに出演しているのを見ましたが、
とてもいい味を出しています。
もちろん、”マルタの鷹”にも出ていますよ。

逆に、”黄金”では息子のジョンが誰かさんのように
通りすがりのアメリカ人の役でちょっと顔を出しています。
ジョンもイタリアのデシーカのように役者としても
いい味を出す人で結構いろんな作品にでていますね。

前にも書きましたが、最近では、”チャイナタウン”の
フェイの父親役で出ておりましたね。

そろそろ”黄金”について語りましょう。
とにかく、ボギー、ウオルター、トムの3人が出会うところから
金鉱へ向かう流れがとても上手いし、引き込まれていく。

  あらすじ

メキシコはタンピコという町でアメリカから流れて来て
ポケットに
2ドル50セントしか残っていないというドブス(ボガード)は
同じような境遇でここにいるカーティン(トム.ホルト)と
老人・・・じいさんと呼ぶ(ウオルター・ヒューストン)と知り合う。

ここで人夫をやって稼いだ賃金を男に騙し取られたものの
まだ彼奴をやっつける力は残っていて
なんとか300ペソを取り返した。

食べるものもろくに食べていないドブスとカーティンが
インチキ労務者監督をやっつける場面は妙にリアリティがあって
笑える。

宝くじを買ったドブスは200ペソを手に入れた。
爺さんの貯金と併せて何とか600ドルになった金を
金鉱へ向かう準備金とした。

爺さんは過去にも鉱山へ入った事があるので
道、場所、見分け方など詳しい。
まあここで出かけるまでにそれぞれの人物像が
すこし分る仕組みで
この先どんな事があるのか想像を掻き立てられるのが
面白いのだ。

本物の金鉱を見つけられるまでに、一番に音を上げたドブス。

掘って掘って掘りまくる。
そろそろ三人の人生観をあらわすような会話、動きが、
頻繁に出て来るんですね。

山に出かける前にじいさんが言った言葉・・・

”黄金は人間を変える。仮に金が見つかっても
限度を知らない者が出ると困った事になる”と言った。

するとドブスは”見つけた人間による”と吐いた。

毎日、掘った金を計りにかけるが
最後に3等分するか、それとも毎日3等分して
それぞれが保管するか・・・?

カーティンは元々おっとりしているので最後で良いと言う。
彼はじいさんは信用しているがドブスを信用していない。

ドブスは段々と本性をあらわしてとにかく、二人を
疑う事しか知らない。

寝ている間に持ち逃げしはしないか?気になって仕方なく
言葉もあらわに二人に雑言を浴びせだした。

元々ドブスが”見つけた人間による”と言ったのに
それを忘れ、”金が人を変えてしまう”その人自身になっていっているのである。

もう一生遊んで暮らせるだけの金は手に入れたから帰ろうという
老人の言葉に耳も貸さず、もう少し、もう倍は掘ると言う。

毎日3等分してそれぞれがテントの近くに隠しているのだが
夜になり、老人が外に出ると気になるドブスは確かめに行く・

ドブスを信用していないからカーティンもまた
でてゆく。
じいさんは
”三人がこれを繰り返したら朝になっちまう、寝ろ!!”
と言うシーンがなんとも笑ってしまう。

だが彼等には笑い事ではないのデス。

老人はカーティンにお金に変えたら何に使うかと訪ねた。
彼は幼い頃母たちに混じって桃の栽培を手伝った。
果樹園でもやりたいなあと漏らした。
じいさんは、老い先長くもないし、のんびり暮らすさ”

それを聞いたドブスが
まず、町で床屋に行って、それから洋服を一ダース買って、
それから女を見つけて・・・・と言い出した・


町に食糧を買いに山を降りるときも一悶着。
ドブスがすんなりと事を運ばせなくて
わざわざトラブルを起こすのだ。

町で、カーティンが測量などを買い込みに行っていて、
甘いところを吸いたいと彼に同行しようとする男と
出合ってしつこく食い下がられるが何とか断った。

しかししっかりと尾行された。
だが、彼も根っからの悪でもなく、メキシコ人の山賊が
ちょうど襲ってきて彼の死で三人は助けられた。

彼の持ち物には妻からの手紙があった。
ダラスで果樹園をやっているがこの男は一山あてようと
ここにやってきたらしく、ご無事で帰ってくださいと書いてあった。

いよいよ砂金を皮袋に詰め、ロバ二頭づつにくくりつけ
町へ帰ろうとするときにメキシコインディアンが現れ
子供が川でおぼれたので助けて欲しいと言う。

息もしていない・動かない・でも死んではいない・・
ともかく老人が行く事になった。
無事に子供を助けた爺さんは帰ってきたが
翌朝、またインデイアンがやってきて
一週間で良いから歓待するのであなただけ来て欲しいと言う。
ドブスが難色を示したからだ。

わしの荷は預けるから町迄持っていってくれと頼み、
歓待を受けに向かった・

こんな旨い話をドブスがほっておくわけがない。
カーテインに爺さんの金も頂こうと言い出した。
もちろんカートは断った。
ドブスは拳銃で彼を二度も撃った・

ドブスは本当は肝が小さい。カートの死体をもう一度
見に行くか行かないか自問し、
うろうろ・・・

結局朝まで行かなかった。

すると死体が無くなっていた。
ハゲ鷹も来ていないのに何故??

6頭のロバを引き連れ道に迷い、水も無くよろよろと歩いて
とうとうあの山賊に又出くわしてしまった。

じいさんはまるで天国にでもいるような気分だ。
ハンモックに寝て、若い美人に手取り足取り
飲めよ食べよの歓待なのだ。

そこに傷を負ったカーテインが助けられてきた。
とにかく町へ降りてみようと手当ての後、
二人は馬で向かった。

一方、ドブスは山賊にロバを渡せと迫られていた。
積んでいるのは毛皮らしいと仲間内でぼそぼそ。

歯向かったドブスだが疲れ果てて抵抗も出来ない。
とうとう、殺されてしまった。

山賊はロバの背中の皮袋は全部切り落として
ロバだけを持って町へ向かった。

彼等に砂金の価値などネコに小判だから。

町でロバを売ろうとしたがロバには焼印があったために
盗んだものとすぐに判明。彼等は捕えられた。

そこにやってきた爺さんとカート。
事情を聞いてロバの背中を見たが皮袋は見当たらない。

現地へと急いだ。だが猛烈な砂嵐・・・
着いてみたがそこにはカラの皮袋が散らばっていただけだった。
砂金は砂嵐に飛ばされてしまったのだった。

じいさんは大声で笑い出した。
命が残っただけでも拾い物だと言わんばかりに笑って、
元び戻っただけさと。
・・・吊られてカートも笑い出した。

爺さんは山のインディアンの所へ戻ると言う。
あそこへ行けばわしは神様だ。何の苦労も無しで暮らせるさと。

カーティンにロバを売ったお金でダラスまでの切符を買え、
そしてあの夫人に遺品を届けてやれ!
ダラスには果樹園が待っているぞ!。

”決まった”と笑って二人は別れたのだった。

マルタの鷹やキーラーゴに見るハードボイルドタッチがお得意の
ヒューストンだが、”黄金”は
醜さの裏返しにじいさんの
おおらかで人生を達観していながら
若者の行動に身を投じて
また人間を凝視している。

アフリカの女王で見られるヒューストンの優しさ
ユーモアは随所で見られ、悪玉のドブスことボギーだけには
このユーモアは通じないと言う設定。

じいさんが現世の物欲を越えて、インデイアンの元に
身を寄せるというラストが
善意の人間の力強さとなって
心地よさを私に与えてくれた。

それにしてもボギーと組んでの一連の作品は余程相性がいいのか
素晴らしい作品が多いですね。

ドブスが町でアメリカ人を見つけては
”同国のよしみでちょっと金を融通してくれ”と声をかけるシーンがある。
その金で毎日を食いつなぐわけですが、
このアメリカ人が言う。
”昨日も一昨日も俺に声をかけたな、俺ばかり狙わないでくれ”と言うが
このアメリカ人をジョン.ヒューストンが演じています。
そして、ドブス=ボギーの答えが振るっている・

”すまん、お金と手しか見ていなかったので同じ人だと思わなかったぜ”。


最終更新日  2005年03月03日 23時44分30秒
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2005年03月01日

ドロンちゃんが我が家に来て一年!!画像あり!


どろんちゃん7
どろん1 どろんちゃん3 どろんちゃん2 どろんちゃん4

早いものでドロンチャンが我が家に来て一年経ちました。
運動の甲斐あってかたくましく育ちました。
性格はおっとりと優しい性格になりました。
甘えん坊はいまだ直らずです。
私の行くところついて離れません。
可愛くて可愛くて、この子のいない生活は
もう考えられません。

ちなみに ↓ この写真は我が家に来た時のもの。1
随分と変ったでしょう!!





最終更新日  2005年03月02日 00時36分53秒
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2005年02月27日

”長い灰色の線”タイロン・パワー

ジョン.フォード監督作品は西部劇だけではなく、
アイルランドを舞台にした名作、”静かなる男”など
大好きな現代劇作品があります。

どの監督でもそうでしょうが、いつも決まって出演する
俳優…フォード組とでも言いましょうか、例えば
ワード・ポンドなど殆どのフォード作品に出演していますね。

アイリッシュ気質を描いた3部作、
”我が谷は緑なりき”は、すでに紹介済みですが、
”静かなる男”も書きたいなと思っています。
そして今夜紹介する作品は
アメリカはウエストポイントを
舞台にしたものですが、アイリッシュ気質を丁寧に描いた
”長い灰色の線”です。

タイロン・パワー主演、お相手はフォード組常連の
モーリン.オハラ。

どうしても静かなる男のイメージからして、
ジョン.ウエインのほうが
良かった?かなと思ったのですが、いやいや
この主人公はタイロンで正解でした。

タイロン.パワーという男優は
ギリシャ彫刻のような美男子ですが、容姿はというと
意外にずんぐりむっくりなんですよね。

一本気で失敗ばかりする三枚目は
タイロンにぴったりの役どころだったんです。

ウエストポイントの陸軍士官学校で陸軍士官を養成する
仕事に一生を捧げたマーティー・マーの実話を元に描いた作品。

マッカーサー元帥やアイゼンハワー元大統領を送り出したウエストポイント。
タイロン扮するマーティーは一本気で屁理屈も時々こねるが、
生徒と同じ目線、姿勢で彼等に接するので
生徒からとても愛される。

この学校に50年勤務する中でのエピソードを
温かく、ユーモラスに描いています。
二枚目俳優が三枚目を演っているので非常に新鮮なのです。

若いうちは失敗ばかりを繰り返し、生徒たちに助けられる事も多いが
中年期にさしかかって、教え子が戦場で死に直面して
ぐらつきそうになる、そして老人となってリタイヤする充足感までを
骨太に演じきっている。
生徒たちと一緒にマーティも成長してゆく過程が
見ていて心地よい。

アイルランド移民の両親を持つフォード監督は
マーティの父親に
しっかりとしたアイルランド気質を
演じさせている。

決してスマートではないタイロンの魅力。
端正な顔形よりも誠実な部分を膨らませることは、
単にアメリカの正義を訴えているものではなく、
明るさと、ユーモアとどこか人を包み込む人柄の素直さを
のびのびと描き、
従来のタイロンにない魅力を醸し出しているのである。

モーリン.オハラはいつものように
はにかみ屋で頑固、一途、そしてかしこい女性を
明るく頼もしく演じている。
なでしこ流に申しますと
モーリン・オハラって
日本では巴御前のタイプ・・・とっても好きですね。

生まれて来たタイロンとモーリンの息子は
誕生してすぐに死んでしまうが、
その地に留まる辛さで去ることよりも
彼等の教え子を我が子たちとして
そこで育てる事を選ぶ。

そしてそれぞれが旅立ち、戦場に赴き、生き残って二世を
誕生させたものはみんな息子を送り込んできた。

その子達の癖や言動が一世にそっくりなことも
タイロン・マーティ夫妻にとっては嬉しい。

タイロンは1914年に誕生して1932年のデビュー・
1958年、44歳で亡くなっている。

戦前の作品では、”シカゴ”と”血と砂”くらいしか知りませんが
アクションで活躍したよう。

戦後、40歳という中年になってからは、
彼の甘いだけではないきびきびとした魅力が花咲く。
もちろん戦前も人気は圧倒的だったのでしょうが。

1954年、”長い灰色の線”の後、
1955年に”愛情物語”
1957年に”日はまた昇る”
1958年に”情婦”と駆け抜け
1958年に心臓発作で亡くなったのである。

わたくしはどちらかといえばあまり好きとはいえないタイプの
俳優さんですが、この”長い灰色の線”という作品の彼は好きですね。

ジョン・フォードの作品で珍しく宗教色の濃い、”逃亡者”という
ヘンリー・フォンダ主演の作品があります。

西部劇のフォードも大好きですが、アイルランド気質を描いた
”静かなる男”は又大好きな作品です。

故郷はだれにとってもすばらしいもの。
フォードにとっても両親の故郷は格別のものなのでしょうね。
イギリスに占領されてからのアイルランドは
カトリック教とプロテスタント教の戦いの歴史ですが、
国旗の色は緑と白とオレンジの三色。

緑はカトリック、オレンジはプロテスタントを表し、
白はその中立、両方を表すものなのだそうです。

アイルランドの肥沃な土地は頑固でも、
その人柄も肥沃なのでしょう。

あのキレイなキレイな緑に包まれた景色の”静かなる男”は
愛すべき頑固者たちの物語を温かく包み込んでいましたね。















最終更新日  2005年02月27日 22時27分28秒
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2005年02月24日

二人のロッキー??”傷だらけの栄光”

最近、映画”ロッキー”no.1からno.5までを
初めて鑑賞した。

で、1956年度のロバート・ワイズ監督の
作品”傷だらけの栄光”を思い出し、取上げる事にした。

二人のロッキーである。

その前に、ポール.ニューマン主演の
この”傷だらけの栄光”・・・・私の映画日記によると
昭和44年、テレビの日曜映画劇場で初めて観ているようで
その感想文にはアメリカ映画というのは雨のシーンを実に
上手く使うと記している。

そして、”雨の朝パリに死す”(なでしこでは紹介済み)と
カークダグラス主演、ウイリアム・ワイラー監督の
”探偵物語”と比較して書いてあった。

読んでみると、最近見ての感想が
違う角度で捉えていたなあと感慨深かった。

その雨のシーンは古い感想文を読むまでもなく
ずーっと覚えていたので傷だらけ・・・イコール雨!!という記憶であった。

あの頃はワイラーもワイズも全盛期の時代だった。
ポール.ニューマンはわたくしの好きな男優の
5本の指に入る人であります。

さて、二人のロッキーですが、
見たり聞いたりしたわけではありませんのであくまでも
想像ですがスターローンはニューマンロッキーから
この名を取ったのかなあと思います。


二人のロッキーを語る前に
”傷だらけの栄光”のあらすじを・・・・

ロッキー・・・ニューマン
ノーマ・・・・ピア・アンジェリ

スラム街のイタリア移民の青年、ロッキーは
不良というよりも
手のつけられない暴れん坊といったほうがいいかもしれない・

つまり、善悪の判断が出来ず、やり場のないエネルギーや
貧困に対するもやもやとした得体の知れない熱いものが
暴力や盗みといった行動にでてしまう。

大人たちの説教や戒めは理解できず、自分の法則でしか
判断できない。

不良のように計画的に大人を困らせようと思ったり、
ずるがしこく悪さをするのではない。

気がつくと人を殴ってしまっていたり
物を盗んでしまったり、自分で自分を押さえられず
自分を持て余している。

そんな彼を本気で心配しているのは母親くらいのもの。
その母親ももう、彼を見捨てようとさえ思っている。

留置場や刑務所は出たり入ったり。
入隊させられた軍隊を刑務所と同じように思って
規律など彼には通用しない有様。

そんな常識が彼には備わっていなかった。
軍を脱走した彼はまた町に戻ってくるが
母親にお金を渡したくて
ボクシングジムで喧嘩をするように相手を倒し、
10ドルをもらう。

しかし軍からオムカエが、いずれ来るのが分っているから
偽名を使い、小遣い稼ぎをした。
相手を倒すのは彼にとってボクシングではなく、
町で喧嘩をするのと同じだった。

軍に帰ると、また作業途中で喧嘩。
ボクシング部隊というのがあって、いいミドル級が見つかったと
ある中尉が引き抜こうとした。

まずは独房へ・・・
そこで彼を目覚めさせることになる人が待っていた。

思うにこの物語をわたしはどうしても
宮本武蔵とダブらせてしまうのね。
だからこの人は武蔵にとっての沢庵和尚にあたるわけ。

喧嘩がめっぽう強くても
人生の第一歩がわからない人間に道を作ってあげる人。

そしてシャバへ戻った彼は瞬く間に才能を発揮。
ドンドン勝ち抜くわけ。

ここに彼の父親が居るわけですが、いつも酒臭い息をした
酔っ払いの寡黙な人。
ロッキーは彼に優しい言葉をかけてもらった事がないんですね。

それは彼もボクシングをやっていた。
だけど行く先廃人になると思った妻、つまりロッキーの
母親はボクシングを辞めさせた・

不完全燃焼のままの父親はその結果、
家族にとっても廃人同様になってしまった。

妹が女友達をロッキーに紹介した。
女性にはうぶなロッキーはノーマに恋した。

ノーマと映画に行ってもラブシーンがつまらないと
途中で映画館を出てしまう。

ボクシングは嫌いとノーマは言う。
”あなたの殴られる姿は見たくない”と。

そこで練習を見に来いとノーマにロッキーは言った。
その練習が可笑しいんです。

ノーマが入ってくると急に踊るようなボクシングを始めたのだ。
ニューマンがとっても可愛いんです。

だが、トレーナーはノーマを連れ出しロッキーと
付き合うのを止めた。ロッキーの過去やボクシングの辛さを
全部話したのだ。

どしゃぶりの雨の中ロッキーはノーマを探して
87軒もの映画館を探したと言う。
彼の熱意に打たれまあ、とにかく結婚までこぎつける。

女の子にも恵まれ順調だった。
ある時、チャンピオンゼールと対戦。
負けそうになっている彼の試合をラジオで聞いていて
ノーマは居てもたってもいられない。
結果はロッキーの敗北だった。
試合の勝ち負けではなく、彼がいつ怪我をして
立ち直れなくなるのではと母に言った。
そのとき、母は彼女に答えた。

”ロッキーにボクシングを止めろと言ったの?”
”彼にとってボクシングは人生のすべてです”
”では、あなたにとってもすべてのはずよ、私と同じ間違いを
繰り返さないで”と・・・
”わたしはミドル級と結婚したんですね”
帰ってきたロッキーにノーマは
”あのパンチは何よ”とけしかけた。
ロッキーは”それですっきりしたぜ”と。
”ゼールヲ倒すのよ!!”

ゼールとの再試合に関して刑務所で一緒だった男が
八百長を持ちかけてきた。
受けなければロッキーの過去を新聞社に持ち込むというもの。
窮地に立たされたロッキーは試合を降りた。

彼の八百長は今までにも何度かあったようで警察も
調べていた。
面通しで、ロッキーはその男のことは知らぬ存ぜぬで通したが
結局、ロッキーの過去は新聞に載ってしまった。

そしてボクシング協会からライセンスを剥奪されてしまった。
ニューヨーク州では試合は出来ない。

シカゴでのゼールとの試合が持ち込まれたがロッキーは
イヤだといった。自分を嫌っている町での試合などイヤだと。

ノーマはトレーナーに言った。
まっとうな世界に生きたいと三年間頑張ってきたのよ、
戦意を失った彼を蘇らせて”。

三人でシカゴへ行ったものの夜中にロッキーはひとり
ニューヨークへ帰った。
行きつけの店でソーダー水を飲みながら
マスターに言われた。
”昔の仲間の五人のうち一人は刑務所、一人は殺され
一人は逃走中に車の事故に一人は電気椅子・・・。
ソーダー水を飲んだら金を払う事だ。”
ロッキーは父に会いに行った。

相変わらずの酒の匂い。
オヤジはどうして自分の質問にいつも答えてくれない?
何故ボクシングを止めた?ずーっと頭の中で闘うばかりで
一生頭の中で闘うつもりか?俺は今家族のために闘っている。
シカゴに居なくてどうしてこんなところに居ると何故言ってくれない?

父は泣きながら、やつに勝ってくれ!とつぶやいた。
ロッキーはにっこり”任せてくれ!とシカゴへ引き返すのだった。

試合はロッキーのKO勝ち。
父も、仲良しも店のマスターもそして軍で知り合ったあの人も
みんなラジオを聴いていた。

ニューヨークに凱旋したロッキーはパレードの花だった。

”そうさ、somebody up there Likes me!”
天の誰かが自分を好いていてくれるのさ!

決して人生を投げ出してはいけない。
家族愛、糟糠の妻、有り余るエネルギーも導き方で
こんなにすばらしいファイトになる。
そんな栄光でした。

夫婦って同じ方向を見て歩まなくてはならない。
決して向き合うものではないのね。

スターロンロッキーのすばらしさは
いつでも、
決して自分を強いと過信してはいないところ。
試合に勝ててもコミッショナーや妻や息子や
神様が付いていてくれているからだと思っていますね。

そしてとにかく人にやさしい。
人の話をきちんと聞きますね。
まっすぐな性格と粘り強さをロッキーファンは愛した。

どちらもスポーツ選手の成功物語ではなく、人生の成功への道を
歩んだという事ですね。

5部にも及ぶあの長いドラマが人々を惹き付けた事が
よく分りました。

めぐり合う人々によって人生が
あんなに素晴らしいものになるというお手本みたいな作品ですね。

そして、”傷だらけの栄光”のノーマ役のピア・アンジェリは
清楚で美しい女優さんでしたが29歳の若さで自殺してしまったんですね。

スターロンロッキーの原点をワイズのすばらしい演出で
ご覧になってください・

ニューマンってほんとすてき!!

そうそう、ニューマンのチンピラ仲間のひとりとして
スティーブ・マックイーンがデビューしていますよ。

最終更新日  2005年02月25日 02時02分22秒
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2005年02月22日

ハンフリー・ボガード ≪東京ジョー≫

007シリーズの中に日本を舞台にした”007は二度死ぬ”
という作品があったが、いまいち出来は感心しなかった。

ハンフリーボガードのハードボイルドタッチのB級映画に、
”東京ジョー”というのがある・
戦後の日本を舞台にしたものだが、この作品のほうが
娯楽作品としては楽しめる。

日本映画としての戦後の東京は当たり前の事であるが
郷愁もあって興味深い。がしかし、
アメリカから見た東京が違和感なく描かれているのに
驚いた。

この作品はボギーの作品歴にはあまり登場しないので
ご存知ない方も多いと思う。

偶然知って鑑賞したので紹介することにしました。

”戦場にかける橋”に出演していた早川雪州が悪役で
登場しているのも興味深いですよ。

作品、”カサブランカ”を思わせる恋人との再会、執着など
男女のロマンスも絡ませ、
多良尾伴内が登場する、”七つの顔の男だぜ”張りの
東映映画っぽい粗さも目立つが、
全体としては我々世代には楽しめるのではないでしょうか。

監督はスチュアート.ヘイスラーとかいう人で私は初めて
知りました。

ジョー.バレッタ....ハンフリー.ボガード
木村男爵........早川雪州


あらすじ
太平洋戦争前、銀座でキャバレー「東京ジョー」を
親友の日本人、伊藤と経営していたジョー・バレッタは
七年ぶりに日本を訪れた。
七年前、戦争が勃発してアメリカへ帰り、従軍していたのだった。

日本はまだ、GHQの支配下である。
米空軍基地に降り立ったジョーは東京に入るのが
米軍を脱走するより難しいななどとジョークを飛ばすほど
面倒だった。

ジョーはなぜか、米軍にマークされているようで
彼の通過する審査の後、逐一米軍のダークレン大佐に
報告されていた。

キャバレー「東京ジョー」は
もはやアメリカ人は経営に携わることは
出来なくなっていた。
ジョーはそのことをアメリカを出るときにはすでに知っていたが、
まだ銀座に店があるかどうか見たくてぶらりやってきたのだった。
しかし、滞在許可は60日だった。

何か仕事をしなくてはならなかった。
「東京ジョー」を訪ねると親友の伊藤は
再会を喜び、隣のボロホテルに泊まるというジョーを制して
店の二階に案内した。
しつらいは昔のままだった。
”隣のホテルは今は駐車場さ、B29という名のね”。
笑いながら柔道を始めた。

ただ、カンダと名乗る巨体の日本人は得体の知れない雰囲気で
表面は伊藤の使用人のように振舞っていたのがジョーには
気にかかった。

懐かしい唄声が電蓄から流れていた。
店で歌手をしていた恋人トリーナの声だった。

死んだと思っていた彼女が生きていると伊藤は言った。
中野に住んでいるという。
すぐさま訪ねると
彼女はアメリカ軍の法律顧問をしているラディングという男の
妻になっていた。

熱烈に愛し合って結婚していたジョーと
ロシア人女性、トリーナだったが、
事情があって、トリーナを捨て、米国へ帰ったジョー。
後悔して日本へ帰ろうとしたときの戦争勃発だった。

トリーナはジョーを忘れられないでいたが、
戦後、ジョーとの離婚申請をして
今はやさしい夫と女の子との平穏な生活があった。

アリーナという七歳の女の子は
初めて会ったジョーになぜか親しみを感じ、
自分の誕生パーティに招待した。

一方、伊藤は何か職が欲しいと言うジョーに
元秘密警察にいた木村男爵を紹介した。
木村はジョーがパイロットの免許を持っていることを知っていて、
韓国まで空輸する仕事を持ちかけた。

貨物の中味は何か?と訪ねると冷凍のカエルだという。
陰気臭いなと感じたジョーだが今は仕事を選んでなどいられない。
まずは空輸許可を米軍に申請した。
許可が下りるのは数ヶ月先だとのことだった。

ジョーは仕事を降りようとしたが木村は
ある秘密ファイルを見せ、この仕事を遂行しろと迫った。
その秘密とは元妻、トリーナに関するものだった。

ジョーは冷凍のカエルを運ぶ事になった。
倉庫で見た荷の中味は確かに冷凍のカエルだった。

二名の米人パイロットを雇い、一名の日本人パイロットを雇った。
日本人は神風を操縦していたという。
名前を聞いて笑ってしまったワ タ シ。

  カマクラゲンゴロウカネマサ と名乗ったんです。

そして行き先は韓国だった。
その日の荷はなぜか骨董品だった。
すると帰りの便に日本人の男が乗り込んできたのだった。
何か引っかかるがトリーナを守らねばという思いだけだった。

トリーナの秘密とは・・・
トリーナは戦時中に女の子を出産したが、
戦後日本軍の捕虜となった。
そして釈放された。

日本軍に強要されたとはいえ、GI向けのラジオ放送に携わることで釈放されたという
いわば反逆罪に相当する過去を持ってしまっていた。
生活苦のためにに仕方なかったとジョーに告白した。

女の子が7歳だとすると自分の娘だと確信したジョーだった。
きっと君を取り戻して見せるとジョーはトリーナにも
夫ラディング氏にも断言した。

ラディングは分別ある人物だった。
彼もジョーもトリーナを守りたいという気持ちは一緒だった。
ここはあの”カサブランカ”のリックと立場が逆に
なっているんですよね。

悪いようにはしないから
自分に任せろとラディングはジョーに言い、
ダークレン大佐に連絡をとった。

ダークレン大佐は恐らく、
前々から木村男爵をマークしていたと思われる。
その彼に接触するジョーの行動が
果たしてどういったものなのかを掴む為に
ジョーをも、マークしていたのだった。

”昨日の韓国行きは試しの運航だった。
明日、本当に冷凍カエルを運ぶらしい、そして
帰りの便には戦犯の日本人三名を乗せてくるはずだ”と
ダークレン大佐は言った。

そして木村とその戦犯たちはクーデターを起こそうとしているのだ。日本国と日本国民のために絶対に阻止せねばならないとも
言った。

その情報はカマクラゲンゴロウカネマサが探ったものであった。
トリーナの件はもみ消すから軍に協力してくれとも言った。

ジョーとダークレンは協力してセスナに乗る事にしたが
木村はアリーナを人質として誘拐した。

ジョーが裏切らないようにであった。
三名を乗せた韓国からのセスナに
木村は横浜に着陸しろと命じてきたが
軍は羽田に着けろという。日本の警察と協力して
木村を逮捕しようとしたが彼は行方をくらました。

娘を守るために横浜にセスナを着けたが
待っていた木村の手下は戦犯三名を受け取ると
手下の一人はセスナの翼をハンマーで叩いた
流れるオイルに火を放つと爆発炎上であった。

各飛行場に張り巡らした兵は、ここ横浜にも待機していたので
すんでのところでジョーは命拾い。
踵を返して「東京ジョー」に行くと責任を感じた伊藤は切腹していた。
息を引き取る前に教えてくれた木村のアジトはなんと
例の、元”B29”という名の
ホテルだったーー今は駐車場ーーところの地下に
潜伏していると言うものだった。

ジョーは伊藤に言った。
”米軍は真の敵ではない、日本の国の復興の手助けと
日本の国民のために居るんだぜ”

地下に降りてみると、
巨体のカンダはやはり木村の手下だった。

もみ合って、何とかカンダを刺し殺した。

泣いていたアリーナ・・・我が子を
しっかりと抱きしめるジョーだった。

しかし、木村の銃口がジョーに向けられた。
負傷したジョーを救ったのは米軍兵士の銃。
ダイナマイトを投げようとした木村に命中し、倒れていった。

やってきたトリーナに重傷を負ったジョーは
”アリーナと一緒に
アメリカへ帰ってやり直そう”と告げるのだった。

トリーナの答えは”もちろんよ”だった。

ここはカサブランカと違って、ボギーとトリーナは
ハッピーエンドでした。

筋立ては三流映画のようですが、
アメリカから見た日本の時代の背景がとてもよく出来ていて
楽しめる一本です。

昨今の複雑な情報スパイものは
大型映画っぽく作られていて惑わされやすいですが
単純なストーリーをストレートに分りやすく
かつ、ボギーが日本を舞台に活躍というちょっと拾いものの
作品であります。

日本家屋をアメリカ式にインテリア化されているものも
違和感なく、興味深いし、
早川雪州の英語の合間に入れる日本語がちょっと笑えます。

”カサブランカ”だって”慕情”の舞台、香港だって
異国情緒なんだから、そこが日本だというだけで
我々から見れば少しくすぐったいかもしれないけれど
あちらから見れば舞台としては
さほど差はないのかもしれませんしね。

これ製作年は分らないのですが多分1950年前後だと思います。
正式なものをご存知のかたは教えてくださいませ。

ということで今夜はハンフリー・ボガードの拾い物作品でした。

最終更新日  2005年02月23日 04時04分40秒
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2005年02月21日

フリッツ.ラング監督、”M”

長らくのお休みでした。
友人が1970年から1990年代にかけての
ビデオをボール箱いっぱい持ってきてくれて
がんがん見まくっておりました。

話題作以外、いや殆どと言っていいほど見ておりませんでしたので
一気に見てしまいました。

それによってまた、旧作の価値などを再認識もできましたし、
時代の流れによる映画の変化というものも少し把握できたように思います。
そして、まだまだ見てみたいものが出てきました。

わたしのページは旧い映画のページでありますので
新しい作品の紹介はしないと思いますが、
見たことによって今まで気づかなかったものが
見えてきました。

100本観たぐらいのものですので
たいした収穫もないかもしれませんが
それでも目からうろこの状態にはなったんですね。
食わずギライのニューシネマはアウトローを
ヒーローとした作品。
それが一段落した新しい形の根性物や政治サスペンスへと
なんと新鮮だったか!

はっきりと把握できていなかった男優、女優もようやく
覚えたし、結構面白く見ました。

これらを見たことでアメリカ史を知らなくてはと
学生時代の世界史を引っ張り出して
1700年代から独立時代、そして州がどんな経緯で
増えていったか、そしてアメリカ地図を画いて
どういう順番で州に認められて行ったか?
1776年から1952年の50番目のハワイ州まで、
番号を付けていってみました。

面白いですね。
そうする事で同じ西部劇や南北戦争ものの時代背景と
場所の確認を掴む事が出来ましたし、
政治サスペンスも時代の変化で
複雑かつ面白くなり、
改めてみる映画の確実な面白さに
気づく事も出来ました。

学生時代になにを勉強していたのでしょう??と
我ながら恥ずかしい限りでした。

これは今、もう少し突っ込んで勉強しています。
西部劇も政治サスペンスもこの背景と場所の確認がしっかりと
つかめていないと
旧作でも新しいものでも
薄っぺらな見方に終わってしまうことは
前々から感じていましたのでいい機会だと思っています。

それに吊られて
ドイツや、イタリヤ、スペイン、イギリス
ロシアの歴史へと今お勉強が広がっているんですよ。

年始めにABC順に俳優をピックアップして
日記をまとめようと思って書き始めましたが、
アレも書きたいこれも書きたいと...どうもまどろっかしいので、
やはりランダムに作品を選んで書こうと思います.

今、BS2では
なでしこで紹介した作品が次々に放映されていますね。
みなさま、見ていらっしゃいますか??
今夜は深夜に”戦場にかける橋”が放映されますね。
先日の”その男ゾルバ”、如何でしたかしら??

”チャイナタウン”は同じ年に”ゴッドファーザー2”が
封切られたために霞んでしまったようですが
ニコルソンはこの作品が一番いいんじゃないかしら??
ロマン.ポランスキーの絶品でしたよね。

私の方は、

今夜はサスペンス映画の原点とも言われている
フリッツ.ラング監督の作品  ”M”を取り上げてみます.

この作品ですが、今日本でも頻繁に起こっている
性格異常者による少女殺人事件がポイントなのですが、
それだけに終わらない奥の深い作品なんです。

主役のピーター・ローレはこの作品の殺人犯の役で有名になり
イギリス、アメリカで
ヒッチコックの作品や、ジョン.ヒューストン監督の
”マルタの鷹”などに出演していきます。
この作品では彼の形相は作品の犯人の不気味さを盛り上げまさに
ぴたりとはまっていました。

”M”を撮り終えて
ラング監督はすぐにパリへ亡命するわけですが
これがこの映画の重要なポイントになります。

MはmurderのM.

少女の殺人場面もなく、
犯人の登場も映画の中盤以降。
だけども、怪奇性を感じさせるラングの手腕。

警察に犯人逮捕を任せておけないと
市民を含んだそれぞれすねに傷をもつ者、暗黒街の顔役たちが
犯人像を分析していく過程が殆どである。

この両者別々の談義が交互に映されていく仕組み。

殺人者の特徴はどうも少女を連れ去る時に聞こえる
口笛の音。
ストーリーの中盤、盲目の風船売りが
口笛の音を聞いて
前に居なくなった少女に
風船を買ったやった男がこの口笛を吹いていた事に
気づく展開。

見つけた犯人を市民がリレーで追うわけですが
見失わないようにと
犯人の背中にチョークで本人にわからないように
”M”の印をつけるくだりは上手いですねえ。

逃げて逃げてあるビルの倉庫に逃げ込む。

それを金庫破りの名人が
倉庫の上の床を電気ドリルで掘ってゆき
警察に捕まる。
警察は彼らが集団で犯人を追い込んでそれぞれ
倉庫へ向けてあの手この手で近づこうとしている事には
気づいていないので、
この金庫破りを尋問するくだりは
あのドロン作品の”さらば友よ”のブロンソンを逆彷彿させられ
思わず笑った。
ドロン作品もこれ頂いたのかなあ・・ってね・

作品が作られたのは1931年度。
ドイツではワイマール共和国が終わりを告げようとする
ヒンデンブルグ大統領下にあり、ヒトラー率いる労働党が
のし上がりつつある頃です。

この映画に登場する警察は間違いなくワイマール共和国の象徴であり、
市民を率いる暗黒街の輩はヒトラー政権の象徴であると思います。

犯人はこの双方の社会に属する事の出来ないはみだし者で
ラング自身の化身とも思われます。

映画の中心は双方の喧喧諤諤とした会話で
犯人像に近づいていく過程の談義だと書きましたが
まさにワイマールとヒトラーの思想談義だと
取れるわけ。

犯人は日常的には子供が好きで普通の人物であるから
人々は気づかないのだという結論に達していくわけですが
犯人を自分たちの手で捕まえ、人民裁判をしようとする。

警察はと言えば
左、右 の中間といった思想のなかで論じてゆくわけです。

そうやってとうとう市民は犯人を捕らえ
廃墟ビルの一室で人民裁判を行う。

少女と一緒にいると安らぐ・・が
途中でどうしようもない恐怖にかられ殺してしまう。
そして殺した時のことは覚えていない。。が
殺した事実は自分でもわかっている犯人。

つまり犯人をラング自身に置き換えると
ワイマールにもヒトラーにもついて行けず、
身の置き場のない恐怖を感じているわけだ。

”死刑だ!”という娘を殺された母の叫び。
総立ちになる市民。

だが、弁護士は言う。
あなた方も国家も
この者を捌く権利はない。人民裁判はあってはならない。
警察に渡すべきだと・
  ”警察だ、手を上げろ”..と
乗り込んできた警察に手を上げるのは
犯人ではなく市民全員だったのでした。

そして最後にメッセージが出る.
”親はどんな時にも子供から目を離してはならない、
親が守るべきだ”と・

しかしこれはこの映画の言いたい事でもないように思われる。
ある意味では本当ではあるが。

まだ、ヒトラーの殺戮は始まってはいない年であるから
このときにこののちのヒトラー政権を予測したラング。
そしてまさに現代の幼女殺人事件をめぐって
法務大臣への批判や殺人者予備軍の野放しへの疑問等で
騒がれている今の日本の抱えている問題を
この時代に取り組んだラングの碧眼はすごい。

ドイツでのラングはぞくぞくする怪奇的な映像とともに
いろんな要素を散りばめたこれぞサスペンスという一級の作品を
ぜひご覧になってください。

パリに亡命してから後、ハリウッドに招かれて
撮った作品”死刑執行人もまた死す”はなでしこでも
紹介済みです。
ぜひご覧になってくださいね。

彼の生まれた19世紀末のウイーンの雰囲気と
妙にマッチした彼独特の異常な世界は
古さを全く感じさせないものであり、
切れ味の良い、歯切れの良い運びの脚本は
夫人の共同も多く、この作品もしかり。
素晴らしいの一言である。


1931年度、ドイツ作品。

最終更新日  2005年02月21日 14時26分19秒
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2005年02月04日

男優C..クラーク・ゲーブル、”荒馬と女”

男優をABC順にピックアップしていますが、
Bの項でビング・クロスビーを挙げませんでした・

というのは彼の作品は何作品かすでに紹介していますので
省略しました。
”我が道を往く”、”聖メアリーの鐘”、”ホワイト・クリスマス”
”上流社会””喝采”などを紹介しています。
どうぞ、ご覧になってくださいませ。

で、”皇帝円舞曲”をと思いましたが、
またの機会に取り上げてみますね。

さて、Cの項はケーリー・グラントで始めましたが、
今夜はクラーク・ゲーブルを取上げます。

彼の作品といえば、”風と共に去りぬ”でしょうが
このメジャー作品は避けます。

では・・、”或る夜の出来事”や”モガンボ”も
すでに取上げましたね。

そこで今夜はメジャーではありますが、
”荒馬と女”を取上げましょう。
その前にゲーブルその人のことをちょっと。

1901年ん生まれ。
両親はドイツ移民。
ハイスクールの時代に家を飛び出していろいろな職業を
転々とした後に演劇の世界へ入る。
”惨劇の砂漠”という作品がほぼデビュー作品のようである。
元々ギャング映画の悪役からの出発だったようですね。
それが、33歳の時に”或る夜の出来事”の主役に抜擢され
いきなりオスカーを手にする。

その後は、”風と・・・”で名実共にハリウッドの大スターと
なるわけである。

我々世代はゲーブル=レッド.バトラーというイメージが
定着しています。

高校時代の夏休みにマーガレット.ミッチェルの
”風と共に去りぬ”(河出書房版)三巻を一気に読みました。

その時のレッド.バトラーの印象は強烈でした。
余談ですが、その後、司馬遼太郎の”竜馬がゆく”を読んだときも同じ
カルチャーショックでした.もう40年も前の話ですが。

大きな心で懐の深いワイルドな男性バトラーは
いっとき、理想の男性像でしたもの。
その後、リバイバル上映でもって
スクリーンで
ゲーブルのレッド・バトラーに対面した時は感激でした。

そのワイルドさは”モガンボ”で受け継がれ、
そしてこの”荒馬と女”という現代のワイルドな
カウボ-イに投影されています。

さて、この”荒馬と女”という作品。
なにかこう因縁めいた作品なんですね。

なでしこでも紹介しました
”セールスマンの死”・・・の原作者である
アーサー・ミラーの原作、脚本によるものです。
そしてこの作品に共演している
マリリン.モンローの当時の夫でもあります。

アーサー.ミラーは”セールスマンの死”で
当時の(195,60年代)アメリカの
社会の孤独と責任と倫理感を
強く主張した人です。

その彼の原作の”荒馬と女”は強く生きること、
真の男らしさと真の女らしさの歯車のかみ合いをベースに
それぞれ孤独な過去を持った男と
生きる不安を抱えた女が出会って
どう決着をつけるかというテーマなのですが、

この作品の完成後四日目にゲーブルは亡くなり
一年後にモンローも孤独な死を迎えている。

そしてもうひとりの共演者、モンゴメリー・クリフトも
5年後に心臓麻痺で亡くなっている。

生きることの真実をやっと見つけた男達と女、
まさに3大スターが
相次いで亡くなっているという人生の淋しさ、怖さが
浮き彫りにされ、胸に迫るものがある。

では、簡単なあらすじを・・・

ネバダ州のリノという町は離婚都市と呼ばれるほどで
離婚をしたい人々はこの都市に6週間滞在すれば
離婚が認められるため、
あちこちからたくさんの離婚希望者たちがやってくる。

ロズリン(モンロー)もそのひとりで
離婚が成立したその日にカウボーイ、ゲイ(ゲーブル)と
自動車修理工のギドー(イーライ・ウオーリック)と
知り合う。

先にギドーがそのお色気溢れるロズリンと知り合うわけだが
一目ぼれ、紹介したゲイも一目ぼれする。

しかしロズリンは多分その魅力ゆえ、男たちがいつもいつも
とりまき、彼女も恋するが、失望し
男不信に陥っていると思われた。

が、彼女は心底やさしく思いやりがあって
天使のような性格であることが次第にわかってくる。

彼女の真の魅力に男たちが近づくのではなく
その外見の魅力で男たちが近づいてくる事が
ロズリンにはやりきれないのであった。

しかしゲイは違った。
彼女の踊りの上手さを褒め、
動物や植物に優しく接する彼女の純粋さを見抜いていた。

ゲイとギドーは少しの間この町に留まる事を勧め、
今は住んでいない郊外のギドーの家を彼女に提供した。

ゲイはそれまでこまめに働く事はなかったが
彼女のために家の模様替えや修理をして
野菜を植え彼女の手助けをした。

ギドーとゲイとロズリンはピクニックに出かけて
ムスタング、つまり野生の馬を発見した。
ゲイはいつもドウインという愛犬を連れている。
ドウインはやさしいロズリンにすぐになついた。

二人の男は野生馬を捕らえて儲けようと
投げ縄の名手パース(モンゴメリー.クリフト)を仲間に入れようと
彼が出場しているロデオの会場へと迎えに行った。

パースもロズリンに一目ぼれした。
このあたりのシチュエーションはリノ.バンチェラと
ドロンの”冒険者たち”を彷彿とさせますね。年代が逆ですが。

ここに来るまでにロズリンの心の葛藤も当然あります。

ゲイは離婚経験者で
妻が娘二人を連れて男と駆け落ちしたという過去がある・
パースは父の死後母親が再婚。
義父に牧場を乗っ取られたという経験の持ち主、

ギドーはといえば結婚したものの
妻は妊娠後、赤ん坊共に亡くなっているという過去がある。

彼はいつも自分を嘆いてばかりいるような男で
ポリシーというものがない。
ロズリンは彼らの性格をよく見ている。

そんな中、荒馬の捕獲を男共は始める。

ギドーがぼろセスナで馬を追い集める。
パースとゲイがジープで荒縄を振り回して
馬の首にかけるわけだが、
縄の先には大きなタイヤがついていて、
走る馬も逃げれなくなる。

そこで男たちは馬の手脚をしばり放置する。
後は仲買の博労が持っていくというものだ。

分っていたはずのロズリンだが目の前で
馬が倒されていく事に耐えられない。

親子馬が三頭結わえられるところで
ロズリンは限界に達する。
”動物殺し!”と喚き、”自分たちを殺せば・・”と
男たちを責めた。

ゆくゆくは犬のえさになる馬の肉。。。

遠くから見ている犬のドウインは昨日から落ち着かない。

今までこの光景を何度も見ていて
犬の本能としていつかは自分も殺されるのではないかと
思っているかもしれない。

だから、この頃はいつもロズリンのそばを離れない。

飛行機に繋がれたまま、この光景をまたドウインは
見ているのだ。

ものすごい格闘の末、
牡馬が結わえられ、牝馬が結わえられた。

子馬は母馬のそばを離れないのが分っているから結わえられない。

この家族の捕獲は他ならない四人の人生を投影しているのを
男たちはその瞬間はわかっていない。

それぞれ家族というものに縁がない。そんな彼らが
この三頭の親子馬を見てなにも感じないはずはない。

ギトーにはこれが分らなかった。
ゲイを責めたロズリンにまたもやギトーが
人生の伴侶として名乗りを挙げたがロズリンは彼を
激しく非難した。

男らしいということと
仕事として残酷な仕打ちというその違いは頭では分っている
ゲイ、パース、ロズリンであった。

思い切ったパースはジープを走らせ牡馬のロープを切った。
走って牝馬の方へ先回りをしようとするゲイ。

だが放たれた牡馬が牝馬のところへ迎えに来た。
見守るパースとロズリンの前で
ゲイは牡馬と一騎打ち。

牡馬はゲイを力いっぱい引きずる。
彼(牡馬)とて死ぬか生きるかの瀬戸際だと知っているからだ。

激しい格闘の末、ゲイはとうとう牡馬をねじ伏せた。
だが、その後彼のロープを切ってやるのだった。

いかなる人間の指図にも屈しないという牡馬の
抵抗に、
例えねじ伏せてもゲイは牡馬に負けたことを悟ったのだ。

自分の仕事はもうこれまでだと観念したが
それを見ていたロズリンは
人間の誇りと馬の誇りの闘いに
真の男らしさを確信し、死への恐怖から解放され
ゲイと一緒に強く生きていける自信を得たのだった。

パースも天使のような心のロズリンに会えて
幸せだったと言って去って行った。

ギトーはとうとう人生というものを理解できぬままだった。

繋がれていたドウインは迎えに来たロズリンに
全身で歓びを表現し、ふたりと一匹は新しい人生の一歩を
踏み出すべくジープを走らせるのだった。
前方にはあの親子馬がじゃれ合いながら駈けていくのが見える。
ロズリン、”暗闇でも道が分る??”、
ゲイ、”あの大きな星を見れば道は見失わないよ!”

このセリフ”冬のソナタ”にも出てきましたよね。

考えてみればモンローという女優はあれほどに
美しく魅力的なのにいつもおどおどしている役柄が多いが、
これは彼女の地でもあるように思われる。
純粋すぎてガラス細工のように壊れそうな人・

この作品の撮影当時も恐らく神経衰弱は重かったのだろうと
思うのは私だけであろうか。

モンゴメリー・クリフトこのひとは
いつもいつも耐えて耐えて耐え抜く役がぴったりとはまる。
”女相続人”や”陽のあたる場所”、”愛情の花咲く樹”
”終着駅”などを紹介しましたが、
”地上より永遠に”やヒッチコック作品の
”私は告白する”でも耐えぬく役がはまっていますね。
この人は意外とスターであった期間が短いんですよね。

”荒馬と女”はもう亡くなる5年前ですか・・・
この頃はもう嘗てのクリフトらしさは出ていません。
スタートしてのクリフトは”終着駅”まででしょうね。

ゲーブル・・・
この人について行けばどんな状況でも
食わせてくれる・・・安心感がありますよね。
荒っぽさの中に優しさと繊細さもある。
同じワイルドでもランカスターと違って 粋っぽさ があるんですよね。
そこが魅力でしょう。

1961年度作品
監督。。ジョン.ヒューストン
スケールのでかい西部劇をワイラーが描くと
教科書のお手本のような・・これもまた魅力ですが
ヒューストンはもっと人間臭い。
”ジャイアンツ”もたしか??かれの監督作品でしたね。

この人は俳優としても何本か出ていますが
晩年、ジャック.ニコルソン主演の”チャイナ.タウン”に
犯人役として出演していましたね。



最終更新日  2005年02月05日 02時05分00秒
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2005年02月01日

めぐり逢い ケーリー・グラント

今夜はケーリー・グラントの作品の紹介です。
作品は ”めぐり逢い”

ニコラことニッキー  ケーリー・グラント
テリー        デボラ・カー
早速、ストーリーから。

あちこちの国で浮名を流したニコラ・フランチェは
今度はニューヨ-クの大富豪令嬢と婚約した。
そのニュースは各国のラジオで報じられた。
つい最近までつき合っていたガブりエラはこのニュースにかんかん!。

その頃、ニコラはニューヨークへ向かう豪華客船の船上にいた。

ここでも彼は有名人で、
レディキラー、ニコラにサインを求めるご婦人や
紳士に囲まれた。

しかし、今まで手練手管で女性を操っていたこのハンサム男は
何日かの船上生活で180度変貌する事になるのである。

落としたシガレットケースを拾った
テリーというエレガントな女性と
言葉を交わした。

しかし、彼女も彼がそういった噂のある男性と知ったので
彼のスマートで上手い誘惑には乗ってこなかった。が、
まるで彼をからかって楽しんでいるような接し方であった。

船上の人々は彼が又新しい女性を口説いているのだろうと
興味津々。
二人の行動を常にマークして楽しんでいるのだった。

テリーにも5年間付き合っている恋人はいる。

だが、・めぐり逢いとはこういうものか・・。
運命の赤い糸は・・・?

いかなるレディキラーのニコラもテリーの知性ある辛辣な
ジョークはニコラを戸惑わせた。

今まで付き合ってきた派手な女性達とはどこか違う
エレガントで知的なこの女性に、
興味がそれ以上の恋へと
変りつつあることをニコラは気づいていない。

賢いテリーも、彼が噂のとおりの男なのか?
それは仮面で本当は本物の恋を求めているのか
計るような眼差しで見つめている。

船はビル・フランシュという町に寄港した。
下船すると言うニコラにテリーも付いておりた。

聞けば祖母を訪ねると言う。
半信半疑だったテリーは
着いたその屋敷の天国の庭のような佇まいに
ため息をついた。

年老いたマリアさまのようなその夫人に
ニコラの素顔を見たような気がした。

老婦人の皺のある手で奏でられる美しいメロディーに
歌手のテリーは思わず、ピアノに合わせて口ずさんだ。
おばあ様が身に付けていた素敵なレースの肩掛けを
いつか頂くと言う約束にテリーは喜んだ。

去りがたい思いを残して屋敷を後にしたテリーの心は
急速にニコラに傾いていった・・・

ニコラも同じだった。
”二人の進路は変った”・・と熱いキスをかわす二人は
部屋に戻っても興奮を押さえるのがやっと。

進路は変ったといっても二人のそれぞれのパートナーの
問題があるのであった。

みなの目を欺く為に白々しい態度を取ったが
仲良くしても白々しくしても結果は同じ。

蛍の光が恨めしい。下船すれば現実が待っているのだ。

明日は下船という夜、
  半年後、エンパイアー・ステートビルの展望台で
  再び会う約束、そして結婚の約束をした。
   本物の恋を成就させる為には時間がいる。

そして半年間、色々なトラブルを片付けようと頑張っている二人・
ニコラ=ニッキーは好きな絵で生計を立てようとしていた。
テリーもステージをこなし、婚約も解消していた。

そして半年後、
それぞれエアンパイアーステートビルに向かった。

いくら待っても来ないテリーに
ニッキーは夜の帳が下りるまで待ちつづけた。

だが、テリーは来たくても来れなかったのだ。
ビルの下まで来て上を見上げていて交通事故にあってしまった。

車椅子の生活となったテリーは足を治してからでないと
ニッキーに会いたくなかった。
そんな姿を見せたくなかったのだ。

テリーに振られたと思ったニッキーは
傷心の中、祖母の屋敷を訪ねた。
今はもう居ない祖母。
ピアノの音色を思い出すニッキー・
使用人がニッキーに手渡したのはあのレースの肩掛けだった。

ニッキーはそれまでの
レディキラーの生活に戻ってしまった。
彼女をへの愛への辛さに苦しみながら。

ステージに立てなくなったテリーは
辛さをこらえて、
子供達に歌を教えていた。

祖母が亡くなってからのニッキーの画風が変ったと
画廊主は言った。

あるクリスマスの夜、
バレーの公演を見に行った劇場で
ニッキーは座席に座っていたテリーに
出くわしてしまった。
恨みと未練のニッキー・

テリーは今は友人として助けてもらっている
以前の恋人の手を借りて
車椅子で来ていたが気づくはずのないニッキーだった。

テリーはそんな身体でも
ニッキーへの愛は変らず、早く足を治して
歩いて彼の元へ行きたいと思っていた。

今夜のクリスマスは子供達の合唱隊の初舞台。
コーチのテリーは舞台に上がれない。
テリーのベッドを囲んでのリハーサルも終わり、
リヴィングのソファーに横たわるテリー。

その時、男性が彼女を訪ねて来た。ニッキーだった。
祖母の形見の肩掛けを届けに来たのだった。

ソファーに横たわる彼女に皮肉を並べ立てた。
それでもテリーはあの時の言い訳をしなかった。

ソファーから立たない彼女を不審に思いながらも
よそよそしい彼女に腹が立つニッキー・

想いを断ち切ろうとしていたニッキーにとって
劇場での再会は応えたのだ。

ショールを手にしたテリーに
一旦はさよならを言ったニッキーだったが
ドアの前でふと言った自分のことば。

”その姿を絵に画いたよ・
若い女性がその絵を欲しがっていたが
その女性にはその絵を買うお金がないといったので
差し上げたと画商が言った”・・

ニッキーは踵を返して彼女の寝室の扉を開けた。

そこの壁にはそのニッキーの絵がかかっていたのだった。

そしてすべてを一瞬に理解したニッキーだった。

このラブロマンスがなぜ素敵なのかと言いますと。

さんざん女と浮名を流した男と
それまで結婚の理想像の中にしかいなかった女性が
初めて本物の恋をして、真剣に純愛を貫こうとする
現在には見ることが出来ないような大人のドラマであるからだ。

そしてそこに人生の厳しさが込められ、
あの頃の温かなアメリカ映画そのものの
世界が描かれているからだ・

監督、レオ.マッケリーといえば
”聖メリーの鐘”や”我が道を往く”の名作を生んだ人。
この人の映画には必ずと言っていいほど
たくさんの子供達が登場する。

そういったエンターテイメント性もたっぷりで
二人をとりまくシチュエーションが何とも素敵である。
そしてあのニッキーのおばあ様がまた素敵。

彼女が二人のキューピットであり、あのレースの
肩掛けが二人の愛を結びつける重要な小道具ですね。

見るものの納得の行く運びのこんな恋愛映画。

適度なもろさと明るさが魅力のスマートなケーリー・グラントは
こういった都会的な作品が多いですが
初期の頃にキャサリン・ヘップバーンと多く共演しています。

その中の一作、”赤ちゃん教育”という楽しい作品がありますよ。

彼の笑みは
不潔さを伴わないレディキラーの表情、仕草、
子供のような純粋さ、
必死に女性をこちらへ向けさせようとする
内面の動きを
含んだものなのである。

やはりグラントは
その笑みで極意を極めた都会的紳士なのである。

そして聖母のような美しさと清潔なお色気はうっとりものの
デボラー.カーとで成り立った作品です。

1957年度作品。

最終更新日  2005年02月01日 23時17分59秒
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2005年01月31日

家族の肖像 バート.ランカスター

イタリア映画界において、フェリーニは天才、ヴィスコンティは巨匠だと
以前書きました。
ヴィスコンティの方が難解な監督のように思われがちですが
わたくしはどちらかと言えばフェリーニのほうが難解です。

今夜はヴィスコンティ晩年の作品で、B.ランカスターの最高の演技の
作品である”家族の肖像”を取上げるのですが、
ランカスターを語る前にヴィスコンティその人を少し整理してみたいと思います。

わたしも彼の作品をそうたくさん見ているわけではありません。
なでしこで紹介したヴィスコンティの作品は、
”若者のすべて”、”山猫”、”夏の嵐”、”ベニスに死す”位でしょうか。

”揺れる大地”という初期の作品は見ていないのですが、
どうも、貧困に苦しむシチリア漁民を描いたようです。

”若者のすべて”は南イタリアに住む貧乏な一家族の崩壊を
リアルに描いたまさに号泣ものの作品でした。

ヴィスコンティはイタリアでも屈指の名門の貴族出身ですが、
彼自身は極端な左翼思想に影響された人で
自らの貴族階級というものを容赦なく否定したところに
彼を知る鍵があるように思います。

それは”山猫”や後年の作品に美と頽廃を徹底した時代考証で
歌い上げているところにあると思うのですが・・・・。

彼の完全主義なリアリズムは見るものには息苦しく、
偏執的にさえ感じられる。

言葉ではあまり詳しく表現できないけれど
感覚的にはただただ、すごいなと・・思うのです。

フェリーニのストーリー性を重要視せず、映像感覚で表現する・・・という
感覚の方がどうも苦手です。

”家族の肖像”は
実生活で愛人関係・・・同性愛と言う関係にあったと言われる
ヘルムート・バーガーを美の象徴として据え、
死を間近にした老人ランカスターの戸惑いは
まるでヴィスコンティ自身をモデルにしたのかと思う作品です。

”ベニスに死す”は大好きな作品ですが、
ダーク・ボガード扮する老作曲家が若く美しい少年の息吹に
胸苦しさを覚えながらも彼を眺められずにはいられない・・・
・・濃厚なワインのような作品でした・
これもヴィスコンティ自身を投影しているようですね。

”家族の肖像”はそれをも超越して生きる気力もなかった
老人に生きる活力をもたらし、
そしてまた絶望し、死を迎えるといったものを描いている。
それは、旧いものと新しいものの交代はどうしようもないと言う
監督のメッセージであろうか・

最近の作品でショーン.コネリーが演じた”小説家を見つけたら”でも
若者の息吹から生きる尊さを改めて、授かった・・という
素敵な作品がありましたが
極めてアメリカ的な正攻法の作品でした。

ヴィスコンティの手にかかるとそれはもう芸術の域に招じられると言った方がよい
重厚さをもって伝わってくるのですね。

前期、ランカスターは野性的な魅力で売っていた俳優ですが、
”山猫”での没落貴族の役柄で演技に開眼した。

ヴィスコンティによって
彼の持つ渋さが引き出されたといって良いでしょう。
そして役者は役に埋没していった・

簡単なあらすじ

騒々しさを嫌いひとり大きな館に住む老教授は孤独を愛し、
たくさんの絵画・・家族の肖像画に囲まれて静かに暮らしている。

そこへ傍若無人にも突然、公爵夫人(シルバーナ.マンガーノ)が
愛人で元学生運動家の美青年、
娘とその愛人を伴って、拒む老教授の声に耳も傾けず
間借りをしたいとやってくる。それはもう侵入と言う表現が
いいかもしれない。

女たちはそれぞれ身勝手、
男たちは屁理屈をこねる輩である。

騒々しく勝手に二階を改築したりと
老教授は、彼らに振り回されわけであるが
そのうちに
その仮の家族のような錯覚にむげに抵抗する事もなくなり
むしろ美少年のヘルムート・バーガーに美の対象を見つけ
何かと構うようになる。
そしてそれが息子への愛に変化してゆく。
それは生きる意欲のなかった孤独な老人から
生への気力と変る。

だが、旧い階級意識や因習はいずれは崩壊し、新しいものへと
移り変わっていくものだと気づいていくその中で
美少年の死によってまたもや老教授は生きる意欲を失い、
孤独な死を迎えると言う物語である。

それは明らかに貴族制度は崩壊しても、新しい息吹で
新しい形へと受け継がれていくものだという監督のメッセージでありましょうか。

この老教授役は
ランカスター最高の出来栄えであると思うのであります。

そして病から一旦は立ち直ったヴィスコンティが
死を予感してランカスターにわが身を投影して
愛人であったヘルムート・バーガーを起用して
撮ったというのは興味深い。

まるで私設美術館のような豪華な邸宅で繰り広げられる
舞台劇のような人間模様は一見の価値アリです。

バート.ランカスターの作品は
なでしこでは過去に、前記した”山猫”、ハリウッド作品の
”OK牧場の決闘”、ドロンとの共演作品”スコルピオン”を
紹介しています。

他に”空中ぶらんこ”や”終身犯”、ヘップバーンとの
共演作品”許されざる者”、大好きな作品”雨を降らす男”
”地上より永遠に”などなどたくさんありますね。

1931年生まれ、
このひと実際にサーカス団に入団していた事もあるんですね。
1946年”殺人者”でデビュー・
ウイリアム・ホールデンもどちらかと言うと
都会的な野生美で売っていましたが
ランカスターは少し野暮ったい野生美とでも言いましょうか・

最終更新日  2005年01月31日 22時28分34秒
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