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離人症の器

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凪2401

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2012年08月19日
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カテゴリ:離人症
暑い日が続いていますね。
気温はたいしたことがなくとも、なんだか湿気て不快指数高めです。

オリンピックは終わってしまいましたが、今度は甲子園ですね。
当県出身の高校はまだ残っておりますので、盛り上がっています。

プロ野球は見ませんが、甲子園は大好きでして。
毎年、暇があれば見ています。


さて、離人症と脳科学。
前回までのお話をさらりと復習します。

このテーマの最初に、離人症の症状を考えていると、
どうやら体の感覚と視覚の情報の統合がうまくいっていないために、
自分の身体や外界に対する違和感が生じるのでは、という疑問が生じたと書きました。

実際に、離人症では体の感覚と視覚の情報を照合・統合する頭頂葉の右側の活動が、
異常に高くなっているというデータも紹介しましたね。

ただ、この問題を考えるときに、
じゃあ、我々はそもそも自分の体や外界の状況をどういう風に把握しているの?
ということを理解しなければ、なかなか難しいところがあります。

ですから、赤ん坊までさかのぼって発達の視点から見てみると、
どうやら赤ん坊は、身体的にも神経学的にも未熟な状態で生まれてくるために、
自己と外界の区別がなく、世界と自己とが渾然一体になったような状態にある、
ということを説明しました。

つまり、自分は皮膚でくるまれた一個の存在ではなく、
世界は自分であり、自分は世界であるという、非常に充足した状態にある、ということです。

そこから赤ん坊がいかに自己身体のイメージを構築し、
皮膚で隔てられた外界のイメージをどのように脳内に描き出して、
自分と外界との相互関係を築き上げていくのか。

前置きが長くなってしまいましたが、それが今日の内容になります。



この世界に生み落とされた赤ん坊は、非常に劇的な変化を経験することになります。

それまで狭い子宮という環境の中で、羊水の中にぷかりと手足を折り曲げて浮かび、
自分で栄養を取る必要も呼吸をする必要もなかった赤ん坊は、
急に重力に支配された地球という壁のない環境に落とされて、
はい呼吸呼吸とばちばちたたかれたりして、
もう、ある種のトラウマになるほどの変化です。

身体構造的にも神経学的にも未発達な赤ん坊は、もう、なすすべがないわけですね。

その中でも、他者の庇護下に置かれながら、
赤ん坊は自分の手足をばたばたと一見無目的に動かしてみたり、
手の指をくわえたり足の指をくわえてみたり、
笑いかけられて笑い返してみたり(ミラーニューロンの役割と言われています)、
泣きじゃくってみたり、そういう行動を環境に対してとっていくわけですね。

その、外界への働きかけの中で、赤ん坊は気がつくわけです。
今、動かしたり、口の中にいれたのは、自分の体の一部であると。
自分が泣いたり、笑ったり、そうしたアクションをすれば、それに応じた反応、
――――それは母親のぬくもりであったり、哺乳であったり、
  オムツの汚れなどの不快な刺激からの解放であったりするかもしれません――――
そうした反応がかえってくるのだと。


そうしてぼんやりと、自分の身体や自分を取り巻く存在について認識する赤ん坊ですが、
大体生後6ヵ月から18ヵ月のあたりにですね、大きな経験をします。

この頃、赤ん坊は自己の像を他者の中に求めるようになる、
つまり、母親や、父親や、あるいはその他の自分に近しい他人の中に、
自分の姿の輪郭を探して、その姿を想像的に脳内に先取りして、
自己のイメージを築き上げるわけです。

実際に、ある種の生物では、生物学的に成熟した個体の姿を見ることで、
自身もその成熟した構造に向けての発達を遂げる、
つまり、「自分、あんな姿になればいいんだな」と大人の姿を見ることで、
自分もそのように成長していく動物もいます。

ただ、ヒトにおいてその重要な役割を他者の像は、「鏡像」になります。
つまり、鏡に映った自分の姿、ということですね。

鏡の前に座り込み、
自分が手を上げると、鏡の中の誰かも手を上げる。
自分が笑うと、鏡の中の誰かも笑う。
自分が近づくと、鏡の中の誰かも近づいてくる。
自分が遠ざかると、鏡の中の誰かも後ずさっていく。

その経験を通して、赤ん坊はこれぞまさに自分の姿だと、
自分の身体の輪郭、自分はこういう姿なんだと、その自己身体イメージを獲得するわけです。

これは、ちょっと古いんですが、ジャック・ラカンの「鏡像段階論」といわれるものです。

そうして赤ん坊は、鏡の前でいろいろ動いて試して遊びながら、
自分の身体や自分の身体と外部環境とのかかわりについて学び、
自己を確立し、外界から隔たれた一個の存在であるということを理解するんですね。

つまり、ここで行われているのが、
体の感覚の情報と視覚の情報との照らし合わせ、ですよね。

こういう風に筋肉を動かして、関節を動かした(体の感覚情報)。
そうすると、鏡の中の自分の手はこう動いた(つまり視覚情報)。
こうやってりんごに腕を伸ばして触れたら、
指先に触覚情報を感じると同時に(体の感覚の情報)、
自分の指先がりんごに触れるのが見えた(視覚情報)。

こうして、体の感覚の情報に対して、視覚情報が矛盾なく従うことで、
我々の統一的な身体のイメージは確立されていくわけです。

ここが機能不全になっちゃったりしたら、
うまく体の状態や外部状況を把握できないことになってしまいます。

じゃあ、この体の感覚の情報と視覚の情報の照合は脳のどの部分で行われているのか、
次回もう少しくわしく見ていくことにしましょう。






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最終更新日  2012年08月19日 19時48分19秒
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