テーマ:名古屋だがねぇ。。(547)
カテゴリ:松坂屋(デパート・揚輝荘等)
揚輝荘(ようきそう)特別公開のイベント公募に高倍率(応募者千名以上:定員100名)の中当選し、出掛けてきました。
【揚輝荘座敷】 今日は紅葉が素晴らしく、名古屋の“かつての別荘地”と言われるだけのことはあります。 広大な庭園は、10年余りを掛けてボランティア市民の手によりとても整備されていました。 【聴松閣】 【松坂屋ロゴ】 揚輝荘(ようきそう)は、かつて松坂屋の別荘で「名古屋の迎賓館」とも言われ、園遊会やパーティーが頻繁に催され、各界の当時のVIPが滞在していました。 東区の邸宅に移る前の川上貞奴も、一時住んでいたことがあるそうです。 伊藤家当主がインドとの交流を大切にしていた為、内装にインド風の壁面が残っています。 現在は名古屋市が委託で管理していますが、基本的に非公開です。 【聴松閣地下ホールにあるインド風の壁面】 『揚輝荘は、松坂屋の創業者伊藤家の第15代当主伊藤次郎左衛門祐民氏が1918年(大正7年)から覚王山(かくおうざん)の約1万坪の森を切り拓いて造った別荘で、興味深い建造物を移築したり新築して、完成時は30数棟が威容を誇っていました。 【第15代当主伊藤次郎左衛門祐民氏胸像:伴華楼蔵】 大半を空襲で失ない、1937年に竣工した山荘風建築の「聴松閣(ちょうしょうかく)」と、尾張徳川家からの和室と東海建築界を風靡した鈴木禎次氏設計の洋室を組み合わせた「伴華楼(ばんかろう)」や修学院離宮風の池泉回遊式庭園が残っています。 2001年から始まった名古屋市の「城山・覚王山地区魅力アップ事業」の中で行われた、歴史散策会やワークショップに参加し揚輝荘を訪れた市民の中から保全、活用の声が高まり、NPO法人を設立する動きになっています。(紹介サイトから転載)』 【伴華楼(和室)】 何年か前勤労感謝の日に、一部(聴松閣のみ)を名古屋市が市民に一般公開したら、入るのに長蛇の列で内部も大混雑でした。 今回は、未だ訪れたことのない庭園、北側の建物やお茶室等を少人数毎に詳しいガイド付きで拝見することができました。 周辺は大邸宅や高層マンションが林立する高級住宅街なのに、ここだけは手つかずの自然がとても残っており、驚くと同時に都会のオアシスみたく癒されます。 【修学院離宮風の池泉回遊式庭園】 私の自宅(※ウチは豪邸ではありませんよ~、念のため!)からとても近いところにありながら、非公開の為今回のチャンスは滅多にないことです。 名古屋市民一人一人が「覚王山周辺の自然や歴史的な文化財を守り、後世に伝えていく」ことの大切さを痛感しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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