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◎宗教弾圧の時代
昭和に入ってから終戦までの間に、治安維持法がらみで弾圧を受けたのは大本教だけではない。宗派を問わず軒並みやられている。 1.昭和18年、創価学会は、伊勢神宮の大麻(神札)を祀ることを拒否して弾圧され、会長牧口常三郎は獄死。戸田城聖、矢島周平以外の幹部は全員転向した。 2.ハリストス正教会の老齢のセルゲイ大主教は、ゾルゲ事件の容疑で拘引され、終戦直後に厳しい取り調べが原因で病死。 3.キリスト教のホーリネス系諸教会が弾圧され、殉教者6人を出した。 4.「ひとのみち」は、御木徳一を教祖とし、教育勅語を経典として、アマテラスオホミカミの信仰を中心とする新興宗教で、国策に協力していたが、昭和11年、教育勅語の卑俗な解釈などを理由に、教祖御木徳一は不敬罪で起訴、保釈中に病死した。 5.昭和11年、仏教の革新と社会主義運動との提携を唱える妹尾義郎らの新興仏教青年同盟が治安維持法で弾圧。 6.キリスト教学生社会運動(SCM)も弾圧。 7.昭和13年、天理教系「ほんみち」は、内務省により禁止とされた。生き神甘露台を自称する教祖大西愛治郎は、記紀神話は架空の物語であり、これを根拠とする天皇に国家統治の資格なしと断ずる資料を大量に配布。 第二次弾圧では、教祖以下信者400名を検挙したが、生き神甘露台を裁判で否定することなく、教祖を精神病と認定して、無罪判決を下した。 一方新興宗教の全部が弾圧されたわけではなく、生長の家や霊友会は弾圧されることはなかった。 (以上出典:国家神道と民衆宗教/村上重良/吉川弘文館) 宗教弾圧は、文部省による現人神思想の確立の昭和10年以降に盛んに行われているところを見ると、現人神の権威を守るためにしゃにむに宗教弾圧を繰り返していたようである。ところが、現人神であった方は、敗戦後直ちに人間であることを宣言されたのだった。 特定の宗派の中からみれば、わが宗派こそ圧政の犠牲者の筆頭みたいに見えがちなものであるが、当時の暗い時代を輪切りにして俯瞰すれば、現人神をわずかでも認めない宗派はことごとく弾圧されていたのであって、まさに思想面でのファシズムだった。 一方既成宗教にあっても、積極的に戦争協力していた宗派は、戦後その見識を問われてはいる。そうした宗派は戦中に、現人神をどう位置づけていたのだろうか。 結局、敗戦後大衆の心に残った影響は、絶対的な権威など何もないということだったのではないだろうか。 つまり政府の押しつける精神的・宗教的な権威は絶対的なものでなく、その場しのぎ、ご都合主義みたいなところが多分にある。また宗教においても、戦争に協力した宗派も、同様のそしりは免れない。一方、弾圧された宗派においてであってすら、自己犠牲の正当性は保持したが、現世利益面では疑問を持たれる結果となった。 戦後国民全体の生活水準が向上したことで現世利益を標榜する宗教はほとんど例外なく興隆することになった。しかしながら、戦争を意識して一朝政府の思想統制が始まれば、規律厳しい官僚によって戦前と同じようなことが徹底されない保証はないだろう。 こうした戦前の宗教弾圧は、なぜかNHKなどでもまとめて採り上げることがほとんどない。そんなことが布石とならねばよいが。 │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |