大井線の歴史(架空鉄道だよ。)
もう廃止されてしまう大井線。もうどうしたって無理なのだ。歴史の話に戻す。中井鉄道の前身京浜交通中井線が開通したのは大正11年。この四年後に大井線の前身となる大井鉄道が開業した。当初は官鉄で最初の機関車1号機関車が使われたほどだった。島原鉄道に渡す前までは大井鉄道を走ったのだ。その後、列車は5往復まで増発された。そして昭和に入る。この調子で列車を増発させようと考えたのか、C62で牽引されるようになった。更に、大井だけでなく、箱根の温泉へ伸ばそうという計画もあり、国に申請中だった。許可をもらい、見切り発車で早速取り掛かった。だが、その頃は空襲が起きたり、爆撃機にB-29型爆弾を落とされたりして、なかなか工事は進まなかった。工事ばかりに気を取られてて、大井鉄道のダイヤは変わらなかった。そして、日本人が初めて迎える敗戦の日、八月十五日をむかえた。明治維新から、世界の強豪とまで肩を並べるようになった日本は、一転して連合軍に統治されてしまい、土地は奪われ、連合軍専用列車なるものまで運転させたりとか。この頃大井鉄道は、石炭や水、荒れ果てた路線との戦いに追われた。結局、ディーゼルカーでの運用に変わったのは、昭和十九年だった。箱根の路線計画は、大井から足柄町(現:南足柄市)を通り、小涌谷までの路線だった。しかしかかる悲惨な状況を見て当然ながら計画は中止となるのは言うまでもない。その後かなり落ちぶれた大井鉄道だが、いさなぎ景気が到来。日本の民はみな裕福になり、その頃は鉄道ブームということもあったから、大井鉄道も列車を増発、さらに秦野からは小田急に乗り入れ、大井鉄道直通急行も設定され、大井鉄道は輝きを取り戻してゆく・・・。しかし、昭和五十年、東名高速にも足の速いバスが入り、大井まで一時間もあれば着く(横浜から)ので、大井鉄道も再び落ちぶれた。その落ち込みぶりは、日に日にかさんでゆくのは目に見えてる。結果、中井線は第三セクターの「中井鉄道」になり、それと同時に大井鉄道も中井鉄道に買い取られた。だが、昭和末期のこと、バブル期の到来である。この頃になると、皆大井線を利用したり、ドラマにも大井線が出たことから(勿論架空)大井線ブームという前代未聞のことがおきた。これに乗じて、小田急と再び直通運転して、最大30往復といった大井線史上最大の運転だった。そんな大井線も束の間、平成四年にバブルがはじけて不況が深刻なもんだいになると、小田急との直通運転は廃止、平均乗車率はいつも0.01といったていたらくをかこっていながらも、なんとか大井町の住民に助けられた。その後、ワンチュン電鉄(現在は新わんこ電鉄の路線)との直通運転や中井鉄道線全線電化といった華々しいれきしもあったが、九月八日をもって消えてしまう。まあ、架空の話として勘弁いただきたい。