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アイフォニックホールにて稽古。
家族会議シーンと先生の抜き稽古。 いくつかの物差しを持ち、いくつかの補助線をひき、戯曲をこねくり回したが、 腹は決まった。 「エリアン」は、狂おしく人を求める芝居にしたい。 狂おしく人と人の絆を求める芝居にしたい。 芸術はよそに任せておけばよい。 人は弱いのだ。なかなかつながらないのだ。しかし、求めるのだ。「あなた」を求め続けるのだ。間に合わないかもしれない。もう取り返しのつかないことは起こってしまったあとかもしれない。 しかし、人が人たるために、揺れ、震え、のたうち回り、死んだとか、死んでないとか、考える前に、考える前に、狂おしく求めようと思う。狂ってもいい。 「個」の復権である。 あらゆるものに対してのレジスタンスである。 さて、 こんな場でこんなことを書くのもどうかと思うのだが、現時点で私の演出と並走、もしくは刺激を与えてくれる俳優は、全員ではない。 昨日の稽古終わりでは本気でムカついた。 稽古を何だと思っているのだ。 稽古場で稽古をすると思っているのだろうか、稽古場は完成品を持ってくるという常識がない。 どうしたもんかと思う。 客演をたくさん呼んでるんだけど、オールスター戦をするつもりはない。 楽しく芝居ができればいいんだろうか。 そうならば「エリアン」を選ばない。 私は文体を、一言一句、こだわりたい。リードもすべて細かくこだわりたいのだ。 それらを含めて全部、私の責任であるが。 こんなことを書いて稽古場がギクシャクすればいい。 毎回、ボクサーがリングに上がるように稽古場に来て欲しい。 いつになくぬるい稽古だ。 私のせいだ。 今日は、良い稽古だった。 やっと観客に揺れが伝わりだした。 │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |