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[全11件]
前回の更新から半年も経ってしまいました。 やっと新しい年がやってきてくれた。 この年越しほど待ち遠しかった年はありません。 お正月の清らかさとか厳かさとか、しみじみと感じたお正月でした。 いつも義兄弟が集合するにぎやかなお正月ですが、今年も場所こそ変われど、みんなが元気に集まり、子供たちの成長を見つめることのできるありがたいお正月でした。 春からは一年遅れの長男の幼稚園生活が始まります。 この一年、家で過ごすことを決めた長男。 その決断を3歳の長男にまかせることが正しかったのかどうかはわかりません。 こればかりは人それぞれだと思います。 我が家を離れ、仮住まいという環境の中では、幼稚園でお友達と少しでも楽しい時間を持てた方が良かったのかもしれない。 そういう気持ちが無いわけではありません。 親の買い被りかもしれないけれどウチの長男はしっかりしている方だと思う。 それでhAnAは彼に決断させることにしたのです。 川越での一年、彼はとても成長しました。 そして、hAnAが心がけていることをしっかりと身に着けてくれました。 それは震災のことを忘れないこと。 震災による原発の事故で避難していること。 避難生活は多くの方の善意に支えられていること。 そして何より大事なことですが、いつか必ず小高の我が家に帰ろうということ。 hAnAには過ぎた子供w hAnAは幸せ者です。
いよいよ18日、一時帰宅します。 我が家に住めない 我が家に入れない 我が家に帰るのに申し込まなければならない 我が家に帰るのは決められた日程 我が家には2時間弱しかいられない 我が家に重装備で入らなければならない と、いろいろとありますが。 みんな、同じ条件。 みんな、同じ思い。 ウチはだーりんとhAnA2人で申し込みできたので、それだけでもありがたいです。 そして、その間、子供たちを実家で預かってくれることにもなったので、本当にありがたいことです。 ただ2人で行っても袋は一つ。(そもそも袋って、あんまりだと思いますが) 家の生活用品と仕事環境のものなど、持ってきたいものはいろいろなのに、袋1つに入るのかなぁ。 今年の夏に着せたいと思って買っておいた子供たちの洋服も持って来たい。 丈太郎を迎えた2005年からの写真データはどうしよう。 新婚時代に飼っていたハムスターのお骨は。 結婚式のアルバムは。 CDは、DVDは。 使い慣れた生活用品は。 わー、きりがありません。 少なくともお正月は川越に迎えるのだから着物も欲しい。 でも、着物を入れたら袋いっぱいになってしまいそう。 それでも、私たちは持って来たい物があるのだから幸せなのです。 全てを失ってしまった方もいるのだから。 あれもこれも、なんて文句言えるのは贅沢なんだなー。 ![]()
今日は端午のお節句でした。 去年12月に産まれた甥っ子は初節句。 我が家の長男は3度目のお節句です。 3月の終わりか4月の始めの週末に、男性陣総出で(去年はだーりんの友人やご近所の方の手まで借りました)竿を立てる。 ウチは鯉のぼりと絵のぼりを両方立てるので、竿たてだけでも大仕事。 竿を立てて、お節句まで毎日の、のぼり上げ下ろしはだーりんの役目。 毎日、大変だぁ と言いつつも、楽しくてうれしい役目。 今年はそんなことも無く、迎えた5月5日。 小さな鯉のぼりをベランダに飾りました。 家族みんなで甥っ子の初節句お祝いをしました。 家が地震でめちゃくちゃになっていたって、いつも竿を立てるところが地割れしちゃってたって。 家に居られれば直せるんです。 なんとでもして義両親から贈られた鯉のぼり、hAnAの両親から贈られた絵のぼりをあげられたんです。 3歳の長男 小高のお家にも鯉のぼり、あげないとね 彼の小さな心がどんなに傷ついているか、わかってください。 彼の小さな願いをどんなに打ち砕いているか、わかってください。 ねえ、東電さん。 ![]()
今、自分の気持ち、考えが宙ぶらりんになっています。 避難中なのだから、質素に最低限の暮らしさえすればよいと思う自分と、毎日の暮らしなのだから贅沢をするわけではないけれど楽しんだっていいじゃないかと思う自分。 原発20キロ圏内だけど家自体は無事で家族も誰一人欠けることなく避難できている。 津波・地震で住むところ・家族・仕事を失った方からすれば被災の類ではないと思う自分と、家がありながら戻ることが叶わない、こんな目になんで遭わなければならないんだと思う自分。 非常事態なのだから自分のライフスタイルなんて閉じ込めて周りと調和するべきと思う自分と、どんな環境であっても自分のライフスタイルを保つべきと思う自分。 まずは子供を第一にと思う自分と、実はその背後にある自分のためではないかと思う自分。 狭間がありすぎるのです。 わがままはいけないと分かっている。 でも、せめて、自分の想いを正直に持ち続けることだけが今できる「私」を保つことだと思うのです。 hAnAはもともと、とてもマイペース。 ちょっと協調性には欠けるかもしれないけれど、そのバランスで自分を保ってきた。 どんなところでも大抵のことは楽しんでやっていこうとしてきた。 そんな自分の性格は嫌いではない。 周りにどう思われようと、それが「私」なのだから。 でも、今、この瞬間、「私」が「私」でいてもいいのか?と疑問がわいてくる。 皆がつらい時期に、「私」を保つなんて贅沢なのか。 ・・・ むっきーってなるのです。 いつもこんなことを考えて1人でむっきーってなるのです。 今はだーりんはお仕事中、長男&長女はぐっすりお昼寝中。 二人が起きてくればまた楽しい日常に戻れます。
2011/3/11から始まった 2011/3/11のあの出来事 「東日本大震災」と名づけられた災害。 1ヶ月経っても進行中。 災害ってこんなにも無情なものなんでしょうか。 1ヶ月となる明日、2011/4/11に我が家は引越しをします。 被災者用に提供していただいた部屋で新たな生活を始めます。 はじめ、避難してきたころは実家にいる間に小高に帰れるようになるだろうと思っていた。 長くても2月くらいかなーって。 根拠の無い希望。 そのうち帰れるから部屋を借りる必要は無いと思ってた。 部屋を借りたらしばらく帰れないということを認めてしまうようで。 震災翌日から始まった避難生活。 川俣町でお世話になったお宅での3日間。 温泉旅館で過ごした3日間。 青梅の実家で過ごした24日間。 子供たちは長い旅行のようで楽しく過ごしているように見えます。 本当に楽しいこと、たくさんあるのでしょう。 でも普段とは違う生活リズム・環境。 いつもはお寝坊な長男が朝早く起きてしまい、一日中、眠そうにしているのを見ると、やっぱり、身を寄せているのも限界だな、と感じました。 hAnAままが避難方法を考えてくれたように、hAnAは長男&長女のために落ち着ける環境を作らなければと考えるようになりました。 有難いことに、我が家は部屋も家電も提供してくださる方に出会うことができました。 本当にたくさんの方に支えられていると実感しています。 明日の引越し、長男はとても楽しみにしています。 新しいお部屋を気に入ってくれています。 そんな長男を見て、立ち止まってはいけないと、背中を押してもらうのです。 避難生活ではあるけれど、卑屈になることなく、今はここが居場所なのだから、小高で築いたように、我が家の雰囲気を作ろう。 仮の場所ではあるけれど、ここで生活するのが今の日常になるのだから、しっかりと地に足をつけて暮らそう。
震災以降、hAnAは時々、実家の母と電話で話していました。 多分、母が「何かあったら青梅に来ていいよ」といってくれたのだと思います。 それに対してhAnAはガソリンが無いのが問題だと伝えたようです。 震災当日から小高区内はガソリンが売り切れていて給油できなくなっていました。 母はそこからいろいろと考えてくれたのでしょう。 震災翌日か翌々日、母から連絡がありました。 免許を持っていない母が迎えを出すというのです。 便利屋さんが迎えに来てくれるという案! 思いもつかなかったことなので母の機転の良さにびっくりしました! 【3/15】 電波がずっと不安定な状態で長時間の通話が難しい日々でした。 便利屋さんがmixiを使われているということでマイミクになりました。 これで連絡がぐんととりやすくなった! 脱出まで30回ほどmixiメッセでやり取りしました。 【3/16】 当初、3/17にお迎えに来ていただく予定だったのが、雪がひどく泣く泣く中止に。 次回の予定を18日とし、ルート等を検討。 便利屋さんの車で青梅に向かうという案からガソリンを持ってきていただいてマイカーで青梅に向かう案に変更。 【3/17】 最終打ち合わせの日。 便利屋さんが携行缶を利用して25L分のガソリンを積んで来てくださる。 マイカーのガソリンを残量から宇都宮までは行けると推測。 宇都宮で便利屋さんと落ち合って給油、一路、青梅へということに決定。 脱出計画を練る間にも避難先が移動したり、目的地が変更したり、脱出する人員が変わったりと二転三転しました。 その都度、臨機応変に対応・提案してくださった便利屋さんに本当に感謝しています。
3/12夜に始まった避難生活。 夜8時ころに突然伺って泊めさせていただいたのは川俣のお宅でした。 震災発生後に「何かあったら頼っていい」と申し出てくれていた義父のお仕事仲間。 義両親だけでなく、我が家4人+1匹、義妹一家4人まで押しかけてしまいました。 すでに娘さん一家も福島市から避難されていたので20人弱の大所帯になってしまいました。 震災発生から電気・水道が止まっており、被災者のお宅に避難させていただくという、本当に申し訳ない状態でした。 このお宅に3晩お世話になったのですが、ライフラインが途絶えている中で本当にたくさんのお食事、暖かく眠れる環境を用意していただきました。 今の事態が落ち着いたら、みんなでお礼に伺いたい!今はその気持ちでいっぱいです。 川俣町では双葉や浪江の方をたくさん、受け入れていました。 聞くとその受け入れは県からの指示はまったくないとのこと。 町長間での話し合いによって行われていたのです。 被災している町が他の町民を受け入れるとはとても大変なことだと思います。 支援物資もすぐには届かず、川俣町民が持ち寄って、避難所に炊き出ししていたと聞きました。 川俣滞在中に一度、銭湯に行きました。 震災発生から入浴できていなかったのでとても助かりました。 激混みでしたがあらかじめ名前を書いて出直したのですぐに入ることができました。 しかも避難者は半額! 川俣町の藤の湯さん、ありがとうございます。 暖かく受け入れてくださった川俣町に感謝♪ ■3/13のつぶやき ■3/15のつぶやき |一覧|Recommend Item |
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