私が働いていたホテルは「関西の迎賓館」と呼ばれ、皇族や国賓が大阪にお越しになるとお泊りいただくようなタイプのホテルだったが(一番高いスイートは1泊100万円した!)、伝統がある分、古くからの狭い客室タイプもあり、一番狭いシングルルームなどビジネスホテル・プラスαくらいの価格で販売していた。そのため、私が新入社員だった頃、シングルを中心に狭い客室について、アメニティのシャンプー、リンスを、それまでのミニボトル(持ち帰り可能)から、バスルームの壁に据え付けられた「ディスペンサー」タイプに変えることになった。レバーを押すとシャンプーが出てくる、無愛想なタイプだ。当然、コスト削減が目的である。
そのことに、ハウスキーピング課のルームメイク担当スタッフ(親しみを籠めて言えば「掃除のおばちゃん」)は愚痴だらけだった。彼女達の作業自体は楽になるはずである。しかし、愚痴だらけだった。「私ら、○○ホテルや、言うから働かせてもろてんねん。こんなん、その辺のビジネスホテルと一緒やんか」「シャンプーの詰め替えなんか、私らウチでやってる。それで十分やわ」
ソムリエ資格を表わすバッチをさりげなく付けタキシードをスマートに着こなしたイケメンのウェイターが言うのではない。数ヶ国語を話せる才媛のコンシェルジュが言うのではない。ホテルから言うと業務委託先のアルバイトでしかない掃除のおばちゃん達が、「そんな安っぽいサービスは私達のこだわりに合わない」と口々に言うのである。
ホテルに限らず、日本の「現場」は、数々のこだわりを持って仕事をしてきた。現場スタッフの「職人気質」が、日本のあらゆる商品の品質を高めてきた。その意味で日本企業は、現場スタッフに支払う給料以上のものを従業員から得てきたと思う。自動車や電気製品など日本製品が世界を席巻したのも、現場のこだわりが要因のひとつだろう。また、逆に現場の労働者は、自分達のこだわりを業務の中で実現していくことで、給料以外の何か(誇り。もっと言えば生きがいや自分自身の存在証明のようなもの)を手にしてきた。
もっとも、掃除のおばちゃんたちが反対したところで会社の方針は変わらず、シングルルームには無愛想なディスペンサーが付いた。しかし今、新規にオープンするビジネスホテルを見ると、壁掛け式の業務用ディスペンサーではなく、お洒落なインテリア雑貨店で売っているような、非常にデザイン性の優れた家庭用のポンプ式容器が置かれている。ゴミ問題や資源の無駄遣いに社会の目が厳しくなったこともあり、古いデザインのホテルのロゴ入りミニボトルなどより、見た目にもよほど小洒落て見えて好印象だ。コストなど、ミニボトルはもちろん業務用に特別に作った壁掛けディスペンサーより安いのではないか。
現場が自らのこだわりをどんどん「深堀り」していくなら、視野を広げてアイデアを出し、その「深堀り」が単なる自己満足にならないようコントロールするのが経営の役割である。現場が目の前の課題に正面からぶつかる一方で、永続的に事業を成長させられるよう、長いスパンで物事を考えるのが経営である。今、老舗の路線バス事業者から「新免」の家族経営のような小規模事業者まで、大小さまざまなバス事業者とお付き合いしているが、「プロの現場」と出会うことは多いが「プロの経営者」(大企業の場合は、社長本人という意味ではなく「経営部門」)と出会うことは少ない気がする。
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