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2009年03月31日
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前回の記事では「東洋の教え」に対する「演繹法の欠陥」を指摘しましたが
実は西洋のキリストの教えも同じで、「原罪」は説いたものの
「因果」の部分が曖昧になっており、しかも「その原因」を辿っても
時計時間自体”が、元から起点も終点が存在せず
かつ、長さも決められないため
「因」が複雑にもなってしまい 特定が出来ず そのため「原罪自体」が成立しないし
仮に成立したとしても、無理矢理「一つの存在」にまとめてしまった為
無数の存在が置き去りにされる状態に陥り 
その結果、善意は「“あくまでも「神の主観」”で「判断」されてしまう為
客観的な視点で見れば、神は“独裁者”と何ら変わらず
衆生は「奴隷」しか選択が出来なくなってしまう訳です。

しかも「神の怒り」なぁ~んていう“表現”が存在している以上
当然、神にも「感情」があり「ウラミ」があり「怨憎会苦」などもあるので
神が人類よりも強く賢く太刀打ちが出来ない以上
「神の怨憎会苦」が消えない限り「救われる」と言う話し無理な話で
永久に許さなければ「神のお許し」は永遠の夢にも成ってしまうわけです。

さらに「原罪」の特定が出来ないのと
「原罪」と言うのが教義上の中で規定している以上、逆鱗に触れた事を考えれば
当然、弱肉強食の論理で「人類が神に勝った!」事もあるわけで
その事によって、今度は「神」が「被害者」となり、先に述べた「報復」なども考えれば
当然、責任の割合が50/50の確率にもなって「神の責任」すら問う事も出来ます。

つまり“「神」よりも「人類」の方が上”に立つ事もあるわけです。


― Blasphemous rumours ―

Girl of 18.
Fell in love with everything.
Found new life in jesus Christ.
Hit by a car ended up.
On a life support machine.

Summer day.
As she passed away.
Bird were singing in the summer sky.
Then came the rain and once again.
A tear fell from her mother eye.
I do not want to start.
Any blasphemous rumours.
But I think that. God,s Got a sick sence of humor.
And when I die. I expect to find Him laughing.

(少女が18歳の時、イエスキリストの恋に落ちた
 すべての新しい道が切り開けたけれど
 車に撥ねられた 今は生命維持装置をつけての生活。

 夏の日。彼女がこの世を去った。
 鳥の夏の空に歌っていた。
 だけどすぐに雨が振り出し
 再び 彼女の母親の目から涙となった。

 「不敬な憶測」を立てるつもりはないけれど
 しかし、私は、それでも「神達の仕業」だと思う
 神が「病気」と言うユーモアのセンスを与えてくれたのだ
 何故なら「私が死ぬ事」を期待して、笑いたいから・・・)

by Martin L Gore
http://www.youtube.com/watch?v=HGObsLLqwnU


私から見たら「神」や「仏」の存在は
Adolf HitlerJoseph Stalinよりも酷い「ずる賢い卑怯者」であり「臆病者」で
やっぱり、神=仏=支配者 人間=奴隷 ・・の
“弱肉強食”の「畜生界の図式」しか成り立たないわけです。

これは、「キリスト」だけでなく「全ての宗教」に対しても共通して言える事でもあり
何処を見ても、創価学会も含め・・・
「教主=当たりくじ=勝ち組=支配者」「人間=ハズレくじ=負け組み=奴隷」
・・・と言う畜生の図式しか成り立たない訳です。

つまり池田氏が「SGI提言」などで申し上げていた
「抽象化の罠」と同じ事なのですが、ところが、どっこい!!
創価も実は「同じ罠」に嵌っている事に気付いていない。

実は、創価学会も「日蓮正宗」の言う「法主絶対論」と変わらないような
「師匠のいう事は絶対的に正しい!」
・・・と「条件反射」を、「根拠」も「価値」も示せず信者に推し付けているわけです。

否、その振る舞いは「日蓮正宗」や「顕正会」よりも酷いんじゃないでしょうか?
何せ、信者は現場での本音を言ってしまえば
「感情論」と得意の「声闘」で粛清されてしまう状態なんですから・・・

更に「創価学会」の場合は、指導者の話によって、キリスト的な「二枚舌の要素」と
「ダブルスタンダード」Systemが構築されている上
更に「権力」によって「一人相撲」までもが出来上がってしまっている為
尚更、最悪の状態で、儒教みたいな、差別主義にまで陥っている訳です。

こんな事は「5W1H」や「帰納法」などで、いちいち細かく説明しなくても
「創価系ブログ」の記事や「Inter-netでの振舞い」「創価新報」「聖教の寸鉄」
「前回の記事」を読み合わせて考えていけば
「論より証拠」で、見事に「閉鎖的な命」が実証されているじゃないですか?
「キリスト臭味」や「儒教臭味」になっている。・・事にも気付く筈なんですけれどね~

そして、何よりも如実にバカな醜態を晒して
「キリスト」や「孔子」の価値観を推し付けているのは
「公明党自身」じゃないでしょうか?

それでも気付かない「おバカちゃん」のために
親切丁寧に教えてあげれば「絶対的」と言う表現は、「支配の象徴」でもあり
また「裁判官の役割」を果たしてしまうわけです
何せ「 絶 対 的 ! 正 義 」なんですから・・・

そうなってくると、今度は「大聖人自体」が“裁判官”にも なってしまうわけです。
更に、その血脈を「池田氏が受け継いでいる」・・・となれば
今度は“池田氏が裁判官”・・と、なるわけです。

しかし、「正義」と言う言葉が独り歩きしてしまい
その事によって「権力化の温床を生み出し」
見事「抽象化の罠」にも嵌る「Simulation」が一つも出来ていなかった訳です。

もう一度、前回の記事を読み
「当て嵌まるか?如何か?」を Checkしてみたら 如何でしょうか?


ところで、こうやって客観的に宗教や既存の人間の振る舞いを見てしまうと
「善」と「悪」の区別と言うのは「独りの人間」が決める事なのでしょうか?
或いは一つの組織が決める事なのでしょうか?
また「善」も「悪」も「一つの抽象的な現象」にしか過ぎないのではないでしょうか?
・・・と考えてしまう訳です

奥深く突き詰めていけば、結局、善も悪も恩も五常も
「その人“一人の主観”」でしか基準を決めていなかった。事にも気付くわけです。

ところが、ソレを「一律」に、無理矢理「起点」と「終点」と「形」の「閉塞」を設けて
全体を「閉塞の枠」に“一滴も残さず、全て閉じ込めてしまった”ため
「閉塞の枠」による「固定概念」によって、衆生を縛り付けてしまう「欠陥」が否めず
更に「閉塞」の域から、条件反射によって抜け出せる事が出来ないため
進化する事や発展性などが止まってしまい 結局・・・
“人間の上の神”の発想から抜け出す事が出来ないまま、悪戯に「時間」だけが過ぎ
更に、教主によって褒め称えられた衆生は
「選民思想」にも陥って差別が発生し「勝ち組」「負け組み」にも分かれてしまった為
「勝ち組」の世界では慢心が発生し、更に「正義」と「原罪」などを盾に出し
平然と「負け組み」を威圧して自分等を守ってしまった為
今度は「負け組み」が威圧に耐え切れず反乱してしまい
争いの元にもなって「不軽菩薩の冠」が「負け組み」に移譲してしまうわけです。

譬えば「自分の保身」のために「警察」や「軍隊」と言う
「人間殺人兵器」の奴隷を雇い、そいつ等に処理を頼む訳ですが
その奴隷である「警官」や「軍隊」を酷使して扱った結果、鍛えられてしまい
今度は「力関係」が雇い主よりも「警察」や「軍隊」の方が強くなってしまい
「暴走」した挙句、最終的には、雇い主、自ら頚を絞めていくわけです。

こんな実例などが過去には「Ykpaiha」を初めとする「共産圏」や「欧州など国」で起こり
今は「Republika e Kosoves」や「República de Colombia」などが
そんな実体を如実に顕しています。

従って、勝利と言っても その程度では 「一時的な勝利」にしか過ぎず
時間が経てば、「すぐ破綻してしまう」事が解っている筈です。

そのため「それ等の壁」を「一つ一つ打ち破るため」に編み出されたのが
「帰納法」だったわけです。


因みに「不軽菩薩」の真意は、皮肉にもNHKで放送した
Autodefensas Unidas de Colombia」のReportを見ていく中に
「その事」を悟りました。



カンカンカン☆\(・∀・) 
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Last updated  2014年05月15日 12時32分10秒
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