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カテゴリ:「創価の森の小さな家」
まず、訂正です。 6月21日付の記事中にある「追記」に於いて 創価の森の小さな家に書かれていた訃報内容から 「菊川広幸氏の母親が亡くなったのか?」・・・と判断し 余りにも無神経にネットに夢中になっているので 母親が亡くなっているのに、そんな神経が理解できない・・・と批判をしましたが その後、「本人から、違う」という指摘がなされ http://sokanomori.exblog.jp/14625725/ (但し、菊川広幸氏の個人的な判断で http://yy48.60.kg/test/read.cgi/yukanseikyo/1263541741/352の記事に書かれていたコメントは あのブログには掲載されておりません。) 更に、上記のコメントをした10分後に、鬼の頚を捕まえたかのように 「厭らしいヲチ」を添えて、反論した記事を掲載しており その記事によると、どうやら亡くなったのは、菊川氏の母親ではなく 祖母が勧誘した知人の母親らしく それを、例の記事では 「知人」の部分を端折った上「大恩人のお母様」・・・と表現していたわけです。 ここで、閲覧者に質問いたします。 あなたは「お母様」と聞いて身内の母親を想像するでしょうか? それとも知人の母親を想像するでしょうか? しかも「後日消すような記事」の扱いにしていたら尚更の話し 「身内の母親」を想像しませんか? 少なくとも私はソレを想像しました。 従って、例の記事は、すっごく紛らわしい記事にもなってしまい あれは、本当に最後までよぉ~~く読まないと、閲覧者には誤解を与えかねない文章で 釣られて、コチラが一部記事に対し誤報を流してしまうわけです。
その上でも疑問に思いますが 道中、自分のブログに対して、レスを行うだけの余裕があったわけですから 態々、記事にするような内容でもなかった筈です。 また、幾ら、ネットの事が気になるとはいえ あの記事でも「大恩のある方」と表現している以上 その方の死よりも「ネット」の方が重要なのでしょうか? もう一度、この記事をプレイバックしてみます。 下記の内容は、6月22日18時現在、実家の岡山に於いて 大恩人の母親でもある告別式に参加した直後の書き込み内容だと思われます。
十人十色、千差万別なので、一概には言い切れませんが 個人的には、あの記事では大恩人の方と公言し感謝までしているくせに 恐らく、岡山のバスターミナルで閲覧した書き込みとは言え 50ものいいオジサンが、その余韻にも浸ることもなく 亡くなられた「恩人の母親」を平然と置き去りにして 「つまらない荒しレベル」の書き込みを読んで爆笑している「その姿」を想像すると 果たして、本当に「その人」を “心の底から大恩人”だと思っていたのか?”本当に疑問を感じます。 これでは、まるで「参加してやった」とか「演出してやった」とか 「家等の虚飾に協力して有難う」と言わんばかりの態度で 完全な「ピンポイントプレー」ですよね。 そんな事を思うのは、私だけなのでしょうか? また、死人に口なしなので、交霊でもしない限り解りかねますが 個人的には、その人に対して「忘恩!の振る舞い・・・を送っているようにも映ります また、廻りの人も、「あなたの姿」が如何映ったのか 非常に疑問を感じる部分があります。 今は、廻りからは「何も言われない」とは思いますが もし、あなたが退転するなり、除名された際は 一気に、過去のあなたの振る舞いや あなたの奥様の振る舞いなどが 白日の下に晒され、たたかれる事を、覚悟した方が良い・・とは思います。 何故なら、恐らく今回の行為は「死人」の遺品を出汁にして 自分の虚飾を飾る行為にも映ったから・・・ これが後に陰口となって顕れてくるか・・・と まして大幹部になればなるほど 今後言われ続けるのではないか?・・・と存じております ^ ^ あなたは、神ならぬ、菊川広幸尊師が書いた、この文章と⇒sokanomori.exblog.jp/14635750/ ecoさんが書いた、この文章⇒http://plaza.rakuten.co.jp/namassaddharma/diary/201006220000/ どちらの文章が「紛らわしくもなく、誤解を招く確率が低い」・・・と思われますか? ecoさん(・∀・)イイ!!・・と思ったあなたはココをクリック 一体何が起こるかな? ソレ逝け!香具は「村内・八王子♪」 カァ~ン・カンカンカンカンカンカン☆\(・∀・) 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 | Comment-field | お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年10月03日 18時27分10秒
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