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もぐログ [全244件]
またまたご無沙汰してます。 今日は告知です。 7/5(火)より文京区根津のギャラリー「汐花 SEKKA BORDERLESS SPACE」にて行われるグループ展に参加しています。 私はほんのちょっとしかありませんが、他の皆さんの作品はどれも素敵な物ばかりです。 また、同じ見本を見て、同じ材料で作ったはずのアリスやヘイヤがどれも違った顔で並んでいる様子がこれまた不思議です。 お時間ありましたら是非遊びに行ってみて下さい。入場無料です。 羊毛倉庫とヴォーグ学園教室展 「アリス人形の一年間」 2011.7.5(火) - 10(日) 11:30-18:30(最終日は17:00まで) 会場:東京・根津『汐花 SEKKA BORDERLESS SPACE』 〒113-0031 東京都文京区根津2-24-3 TEL.03-5815-8280 また、参加している方々のブログです。根津周辺のお店の情報も載っていますので良かったらみて下さい。 http://alice-vogue.jugem.jp/?PHPSESSID=c445b278af4998a9330206af442187db
すっかり更新が遅くなってすみません… GWに再び行ってきました。 今回の目的はひたすら給食当番を手伝う、だったので微力ながら手伝ってきました。 給食当番という言い方が最適かどうか微妙だけど、実際このプレートを交代でまわしていました。 個人的には好きです。 給食当番は避難生活をしている人を班分けし、毎日交代で順番に回していました。 もちろんこの人数だけでは全然足りなくて、基本的には町民の方々がボランティアで毎日担当をしてくれていました。 皆さん、ほとんど毎日休むことなくやっているそうです。今はだいぶ避難している人が減ったけど、震災からしばらくの間はたくさん避難されている方がいたので、毎日毎日大変だったそうです。毎日毎日誰かが倒れる…という状態だったそうです。 でも、そんな困難を乗り越え、みんなお手伝いを続けているそうです。 そんな大変な時に手伝えなかった事がすっごく悔しいけど、当時の大変さを今は笑顔で話してくれている事に救われました。 この給食当番、実はかなり大変なんです。 朝は7時から、と聞いていただんだけど実際はもっと早くから準備をしていて、7時になると朝食を取りに来る人がいました。これからお仕事で出勤する人が主ですが、嫌な顔せずに笑顔で対応をしてくれています。 朝食のメニューは私が見た限りでは主にローソンのおにぎりと飲み物か果物+α(ソーセージとか缶詰の中身)という感じです。 当番をしながら交代で朝食を食べ、後片づけが終わると次は夕食の準備が始まります。献立によるけど、カットする者が多かったりする場合は朝から準備です。 お昼が近くなると今度は昼食の準備に移ります。昼食は主に菓子パンが多かったです。プラス飲み物や果物など。 炊き出しに来てくれる場合は、ちょっと休憩出来ます。 GWはたまたまかもしれないけど山崎パンが多かったです。私はこれからローソンのおにぎりと山崎パンを見るたびに避難所の給食当番のみんなを思いだすだろうなぁ。 昼食の後片付けが終わると、ちょっと休んで夕食の準備です。 夕食は調理をする事が多いのですが、調理と言ってもサラダを混ぜたりお湯で温めたり、というレベルではありますが、時々カレーなどもありました。 ご飯は自衛隊の方が炊いてくれていました。これがところどころかなり熱いっ。配るのは結構キツかったです。 夕食の後片付けが終わると、あっという間に消灯時間…給食当番を毎日していたら、何にもできません。 でもこれをみんな毎日毎日繰り返しているんだなぁ。しかも自分がやるのが当たり前と思ってやっているように見えました。 残念ながらGW中に避難所の移動があり、ほとんどの人が他の避難所に移ってしまいました。 今日でお別れ、という日はホントに寂しかった…。私なんてほんの数日しかいないんだけど、とってもとっても寂しかった。 でも二度と会えない訳じゃないし、絶対にまた会えると思っていたから「また会おうね、町内で!」と笑顔でお別れしました。 みんな元気かなぁ。早く会いたいなぁ。 それからGW期間中はボランティアセンターに登録してくれた方も手伝いに来てくれました。 数名しかお話が出来なかったけど、出身や現住所を聞くとかなり遠くから来てくれた方もたくさんいました。 失礼な質問だと思うけど、 「震災の前から南三陸町の事を知っていましたか?そしてなぜ今回ここに来ようと思ったんですか?」 がすっごく知りたくて聞いてみました。近隣の市や町出身の方以外はやはり初めて知った方ばかりでした。 理由で返ってくる回答はほとんど同じで「行かなくちゃ、と思ったから。」でした。 もし今回の震災が地元じゃなかったら、自分は行くだろうか?と考えたら、正直行かないと思います。 もちろん、違う方法でお手伝いはすると思うけど。 でもよく考えたら行かない理由はきっとないんです。きっかけを待ってるだけだった気がします。 機会がない事を願いたいけど、今後は絶対に行かなくちゃと思ってます。 一応補足しておきますが、現地に行かない事はダメな事ではありませんよ。いろいろなお手伝いの方法がありますので。 それからお知らせですが、先日実家の行方不明だった車が、そして今日行方不明だったうちの船が一艘見つかりました! 車は話を聞いただけではありますが、つぶれていて自力ではドアが開けられなかったそうです。偶然居合わせた重機で作業をしていた方に天井をはがしてもらい、中身を取り出せたそうですが、残念ながら全てが残っている訳ではなかったそうです。 そして船は父が画像を送ってくれましたが…見ない方が良かったです。とても痛々しい姿でした。 見つからない方が良かったんじゃ、と思っちゃうけど、きっと見つかった方がいいんだろなぁ。 それと、今週中に避難所の移動があるそうです。 ベイサイトアリーナは避難所ではなくなるそうです。別の目的の場所になるようです。 と、言う事で中学校に移動をするそうです。中学校は環境がよくなるといいなと願いつつも、ここも水道がないので良くなるようには思えません。お風呂もなさそう。まぁ土足じゃないのはいいかな。 また様子を見に行きますが、何か進展やお知らせがありましたら更新しますね。 ではでは、おやすみなさい。
更新が遅くなりすみません… 明日からまた行ってきます。 避難所の様子が日々変わってきているのでまたここで報告しますね。 先日所用で父と弟が我が家に1泊して行きました。 夜到着して、翌日の昼には出発するという短い滞在時間でしたが、東京でこのメンバーでお酒を飲む事は、皮肉にもこの機会がなければなかった事だと思います。 とっても楽しい夜でした。 2人に何を食べたいか聞いたところ、2人揃って「焼き鳥!」と言っていました。 焼き鳥を食べながら、いろいろな話を聞きました。 父は先日炊き出しに来てくれて初めて食べたタンドリーチキンがとっても美味しかったと何度も言っていました。相当美味しかったんだろうなぁ。 我が家ではみなさんから送っていただいた送り状やメッセージを見て恐縮しつつも喜んでいました。 父は「知人だけでなく初対面の人も自分の話を聞き、自分が今生きている事に涙を流してくれる事がすごく嬉しかった、そして今は1日1日を少しでも楽しく過ごす事をテーマにして生きている」と話していました。 私が思うに、母は無意識に実行しているようにも見えますが…そう思えるから離れてても安心なんですけどね。 それから「やっぱり部屋っていいなぁ。」としみじみ言っていました。 そして蛇口をひねれば水が出る、そして制限なく自由に使える事に感動していました。 残念ながら未だに水道の復旧の見込みがないのですが、早く水の出る生活が出来るようになって欲しいです。 今後ですが、今いる避難所から移動をしなければならないような事を言っていたのでその状況も確認をしてきます。 それから、GW明けから弟が単身で東京で働くことになりました。 期間は未定ですが、住む部屋も見つかったのでGW中に移動をする予定です。 荷物が着替えくらいしかないので、私の知り合いの方でもし余っている家電などある方がいらっしゃいましたらぜひ教えて下さいませ。 いつまでこっちで働くか未定なので、無理して集めるつもりはありませんので「たまたまあるよ」という方、宜しくお願いします。 それから、先日持って行けなかった品物類は、運べる分だけ持って行きました! みなさんに感謝しています。ありがとうございます!!! ![]()
今回は私の見たベイサイドアリーナの感想と現在の家族の日常を報告します。 先に記載をしておきますが、現在も水道は復旧の目途はたっていません。 電気はおととい復帰したそうですが、きっとプライベートで使える電源はないのではいないかと思われます。 アリーナの周りには、いろいろな場所から来て下さった消防車や救急車が並んでいました。 私が見かけたのは、京都、奈良、千葉、羽生市(埼玉県)でした。 みなさん、遠くから来ていただきありがとうございます。 それから、南三陸町内の消防車もあり、「君は無事で良かったよ」と心の中で喜んでました。 ![]() ●施設内 メインの体育館は主に皆様から支援をしていただいた品物の倉庫になって、2Fの座席のある所も段ボール箱がたくさん積まれていました。一部には生活されている方もいます。 体育館の1/3ほどのスペースを使い、食事の配布場所があり、その隣には火葬相談所がありました。何も考えないようにしたけど、複雑。 体育館の周りの通路の1Fと2Fに、段ボールで仕切りを作った各家庭のスペースがあります。そのスペースで生活をしています。 ただ、ここは基本的に館内は土足で、履いた靴を置く場所も各家庭のスペース内しかなにので、衛生面ではあまり良くないかも。 他に救護室、遺体安置所、受付等がありました。 時々遺体安置所方面から出てくる警察(?)の方々と遺族の方々が通るのを見ると、複雑な思いではあるけど、「見つかって良かったね。」という気持ちになりました。 ”見つかって良かった”というのも実際は良くない事なんだけど・・・。 ●水 時間が決まっていますが、自衛隊の方が駐車場の敷地内のスペースでお湯と水を提供してくれていました。そこにポットや空のペットボトル等を持って行くと入れてくれます。 また館内をでたところにに給水場(?)がありました。 大きな袋に入った水を使い切ると、次の袋が到着次第設置して使えるようになっています。 私が見たのは山形県と新潟県のお水でした。 そしてそこは特に流し場などある訳でもなく、下は土とじゃりです。 もちろん、大切な水ですからほとんど使いません。みなさん主に飲料水、洗顔&歯磨きに使っている様子です。洗顔に関しては誰も洗顔フォーム等を使用している様子はなく、すすぎやタオル等で拭いているだけでした。 特に女の子にはかわいそう。もちろん私も毎日タオルを濡らして拭いてましたが、すぐに肌が固くなりますよねぇ。ま、気にしてられないんだけど、せめて独身女性には何とかしてあげたいなぁ。 今日コストコで拭きとりの出来る顔、手、身体用のソープを発見し、購入しました。1本千円オーバーとそこそこいい値段なのでたくさん買えなかったけど、これをどこかに置いて共同で使えないかなぁ。今月末に持ってってみます。 それから洗濯なんてこの水では絶対に出来ません。余裕のある人は車で20~30分位先のコインランドリーに行っているようですが、基本的には沢で洗濯をしているそうです。ただ、干すスペースもないので不便かも。母は津波の被害に遭わなかった親戚宅の庭を借りて干しているようです。いただいた小さい箱の洗剤を渡したら喜んでいました。 ●トイレ これが一番問題なのかなぁ。 事前に弟から話は聞いていたものの、私は失礼なほどもっとひどいのを想像していたのでそれよりはマシだったけど、やっぱり不便そうでした。 理由はわかりませんが、館内のトイレは一切使用できません。下水の問題ですかねぇ。 簡易トイレは外の所々に数台ずつありました。 それから、外に手作りトイレがいくつかあり、ここは穴を掘ってその上に便座を置いた、という感じです。一応壁があります。 扉がブルーシートで一応閉められる様にはなっているけど、ちゃんと閉まらないので大きい隙間から外がよく見えます。 また、一応扉的な物に木の片面に”使用中”と書かれた札がついているんですが、これが風でくるくる回ってしまうので、結局ノックをするか隙間から中を見ないと人が入っているかどうかわからない状態です。 これではゆっくり出来ないなぁ。 やっぱり無意識に出来るだけトイレに行きたくないと思っているのか、私も滞在中はあまり水分をとりませんでした。身体に良くないとはわかってるんですが、実際は難しかった。 大に至っては滞在中は一度ももよおしませんでした。と言うか、何度か用事があり車で他のエリアに向かっている間に水洗トイレのある場所で落ち着いて入れました。 ずっとあの場所にいたら便秘になっていたかもしれません。 そしてもちろん手は洗えないのでトイレエリアにたくさん消毒液がありそれを使用します。後はウェットティッシュかな。 私はウェットティッシュを開発した人に心から感謝してました。 この後に食事の事を記載しようと思ったけど、トイレの後というのも微妙なのでまた今度にします。あ、お風呂もあった。それも次回にしますね。 最後に補足ですが、この状況は避難生活をしている町民の方々だけでなく、いろいろと支援をしていただいている自衛隊の方々、医療関連その他の方面の方々、ボランティアに来て下さっている方々も同じ状況です。むしろその方々の方がもっと大変かもしれません。 外にたくさんテントがありました。テントや車の中で睡眠をとっている方もたくさんいると思います。 ゆっくり疲れをとることも出来ない状態で日々過酷な業務をこなしているんだなと思うと、なんとお礼を言っていいかわかりません。 そしてさらに感動するのがみなさん話しかけると笑顔で返してくれるんです。世の中にはこんなに器の大きい人がいっぱいいるんだなぁと毎回自分を恥じてしまいます。 もちろん、たくさん品物を提供してくれる方々、食糧を提供してくれる方々にも同じ気持ちです。 「ありがとう」以外に最上級の感謝の気持ちを表す言葉がないのかしら、と日々考えさせられます。 ではまた続きは後日に。おやすみなさい。
こんにちは。 皆様からお預かりした品物ですが、家族のいるベイサイドアリーナでは足りている様子でしたので、親戚のいる入谷小学校に持って行きました。 今回持っていた品物は以下です。 ・タオル 多数 ・石鹸 多数 ・女性用ショーツ 各サイズ多数 ・女性用ブラ 大きいサイズ ・男性用下着 ・シャンプーとリンス 数個、1回用多数 ・スリッパ ・Tシャツ ・綿棒 ・ウェットティッシュ とても喜んで下さいました。 また、女性用肌着に関しては、集団避難で鳴子にいる叔母に預けて、そこに避難されている方に渡してもらうようにしました。 入谷小学校は私の知る限り南三陸町ではTVカメラが一番最初に入った避難所だと思います。 2、3日はここからの中継が多かったのですが、逆に言えばこの先には進めなかった、という事です。 私の親戚は最初は家族バラバラで他の避難所にいましたが、1人が持病が発症し、救急車で病院関係者のいる入谷小学校に運ばれたそうです。 その後は家族4人でこの入谷小学校で生活をしています。 現在は集団避難等でだいぶ人数が減っている様子で、全員体育館で生活をしているようです。 発電機やソーラーで電気をおこし、携帯の充電も出来るようでした。 また、体育館内にはストーブも何台かありました。 お風呂は手作りのお風呂があるそうです。昨日からはシャワーも時間制限付きで使わるようになったそうです。 また、頻度は不明ですが、ベイサイドアリーナにあるお風呂に行くためのバスも運行しているそうです。 食事も3食食べられているようです。 私が行った日の晩御飯は牛丼、野菜サラダ、味噌汁でした。 そしてトイレがすごくキレイ!新しい校舎だからだと思いますが、アリーナと比べるとここはかなり快適だと思います。まぁ数が少ないの不便なところかな。 もちろん、水がないので川の水をバケツで汲んで来て、必要な時だけ流しているようです。 アリーナのトイレに関しては別の時に紹介しますね。 次はベイサイドアリーナの事を紹介しますね。
先日の日記の続きの前に、南三陸町関連のサイトをいろいろ見つけましたので、紹介させていただきます。 なぜかうまくリンクが貼れません…ごめんなさい。 ご面倒をかけてしまい申し訳ないのですが、コピーしてサイトにとんで下さいませ。 ◎南三陸町ホームページ → http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp 必要な物、現在受付をしていない物の情報が書いてあります。 ※この状況は私の方で集めている物とリンクはしていません。 ◎ふんばろう東日本支援プロジェクト → http://fumbaro.org/ 西條剛央先生が各地域に支援するために立ち上げたプロジェクトです。 ◎南三陸町支援ポータルサイト → http://minamisanrikushien.blogspot.com/ 南三陸町出身の方々が立ち上げてくれたサイトです。 ◎アースワン → http://earth-1.org/ 最初に避難所に荷物が送れなくて困っていた時に、手を差し伸べてくれた方々です。 震災直後にはるばる沖縄から南三陸町に足を運び、様々な活動をして下さいました。 ◎ときめきピチピチだより → http://www.mkanyo.jp/onsendayori/ ホテル観洋の従業員の方々のブログです。すっごく前向き! ちなみに私の家族や親せき、友人はみんなこのノリです。 ちょっとそれますが、ホテル観洋のHP → http://www.mkanyo.jp/ トップページに出てくる海の写真、今の海ももちろんきれいなんですが、きれいに並んだこの養殖の浮きが全てなくなってしまいました。 小さい頃は他の海にはないこの浮きが邪魔だと思ってました。(実家が漁業なのに失礼な話ですが・・・。) でも大人になってからは「これは他では見れない志津川の海なんだ!」と自慢の海になりました。この景色が少しでも早く取り戻せるように努力したいです! もちろん、私の家族を含む漁業関係者は既に動き出していますよ~。 また見つけたらお知らせしますね~。
9日~13日まで家族に会いに行ってきました。 皆様からお預かりした品物をエブリィにいっぱい詰め込んで。お陰で運転席か後ろが全く見えませんでした(笑)。それでも積み切れませんでしたよ。 たくさんご協力いただき、感謝しています。 まずは皆様にあやまらなければいけない事がひとつあります。 実は写真を撮るのを忘れてしまったんです・・・あんなにたくさん持って行ったのに。 すみませんでした。 次は忘れずに写真を撮ります。 心配していたガソリンも、東北道でも問題なく給油できました。 途中、用事があり仙台市内を通ったのですが、津波の被害に遭わなかった場所も結構被害がありましたね。 開いているお店もたくさんありましたが、道路が陥没していたり、ガラスが割れてブルーシートが貼られている建物もたくさんあり、3階建ての建物の2階部分がつぶれてしまっている建物もありました。 仙台~南三陸町までの道のりは三陸道を通って行く事もあり、そこはいつもの景色でした。 問題は南三陸町に入ってから。 この日は45号線ルートで入ったため、戸倉経由で入りましたが、荒町を過ぎた辺りからの景色の変わりよう…もう言葉が出ませんでした。 ホントに何もない。 正直町内を走っている間は一体どこを走っているのか全くわかりませんでした。もう目印が何もなくて。 避難所に行く前に実家のあった跡地を見ました。 ホントに土台しかなくって、ところどころに物や木や曲がった鉄骨がありますが、それは我が家の物ではありませんでした。 町に入った時から思考がストップしてしまっていたので、私はずっと「わからない、わかならい」と言ってました。 もう「わからない」しか言えなかった・・・。 悲しいというよりは、笑うしかない、といった感じかな。 そして滞在中はどうしても町の様子を自分のカメラにおさめる気にはなれませんでした。なので一枚もありません。 現地に行った人はみんな言うけど、実際TVや写真よりもひどいもんでした。360℃あの景色だからだと思います。 私が見た景色は津波から1か月が過ぎようとしている時だったので、かなりマシな方だと弟に言われました。 実際津波後しばらくの間は町中を車で走る事は不可能だったそうです。 避難所に着き、両親と感動の再会!という感じにはならず、いつも実家に帰る時と同じく「ただいま」、「おかえり」という感じでした(苦笑)。 まぁそれが我が家なんですが。 両親がいるベイサイドアリーナのある場所は、山を削って作った場所なので、地盤もしっかりしているようで、周りに建っている家々も目立った被害はなさそうでした。 電気、水道が使えないはずなんだけど、すさまじい光景を見た後だからか、そんな事を感じさせないほどそこには日常があるようにしか見えませんでした。 ホッ、としたのが「ま、コーヒーでも飲む?」と言われた事。 コーヒーが飲めるなんて思いませんでしたが、避難所生活をしてしばらくしてから自衛隊の方々がお湯を支給してくれるようになり、また、インスタントコーヒーを支援してくれた方(企業かも)がいて、1家庭に1本配られたそうです。 家族がいるスペースにある物のほとんどが支援していただいたり、親戚や友人知人からいただいた物でした。飲料水や食事に関してもそうです。 このどれがかけてもこんなに元気な姿を見ることはできませんでした。 感謝しています。ありがとうございます。 まだまだ長くなりそうなので続きはまた後日にします。 |一覧| |
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