さすがに疲れ果てた初日…
時差ボケすることもなく爆睡
起きたらすでに明るかったわ(@_@;)
なんだかモダ~ンな建物があるかと思えば
アウシュビッツの煙突?みたいな
プチっとオドロオドロシイ煙突もあり…
後から聞いたら、昔ここにあったレンガ工場の
煙突が残ってるだけだとのこと ほっ
サクッと朝食を食べて早速サラエボの街中へ
ディナール・アルプスに囲まれたサラエボ渓谷に位置し
ミリャツカ川周辺に広がっているサラエボ市街
冬は1984年に冬季オリンピックが開催されたほど寒く
5月は初夏の如く暑い典型的な盆地気候です
サラエボは宗教的な多様性で知られていて
イスラム教、セルビア正教、カトリック、ユダヤ教が
何世紀にもわたって共存してきたところなので
ぐるりと見廻すといろいろな教会、モスクが見えます
複数の民族と宗教が共存していたとは言え
この辺りの事情と歴史にはやはり重いものがあります
ボスニアヘルツェゴビナがユーゴスラビアからの独立時
人口の上では最多のボシュニャク人 え?ボシュニャク人?
ボシュニャク人とは15世紀から19世紀にかけてオスマン帝国支配下で
イスラム教に改宗した南スラブ人の末裔のことです
ボシュニャク人を中心とした国家をつくろうとしたものの
セルビア人勢力は相容れずボスニアヘルツェゴビナへの
参加を拒否しスルプスカ共和国(セルビア人共和国)を樹立
セルビアの勢力を維持したいユーゴスラビアは
もちろんセルビア人勢力を支援し
いわゆるサラエボ包囲が起こったんです
建物も様々で旧市庁舎はイスラム様式建築
ヨーロッパにいるのを忘れそう
ちなみにサラエボ包囲は現代の戦争の中で最も長期にわたる
都市包囲で1992年4月5日から1996年2月29日まで続いたんです
旧市庁舎前を流れる川がミリャツカ川
う~ん、決して清流とは言えない色
近年のユーゴスラビアからの分離独立時における
紛争は記憶に新しいところですが…
現在進行形の問題も抱えていて
シリア人難民キャンプもありました
そして…
ココはその昔、100年以上前の1914年に
オーストリア帝位継承者の暗殺事件から
第一次世界大戦のきっかけになったという
サラエボ事件の現場
オーストリア=ハンガリー帝国の帝位継承者
フランツ・フェルディナント大公夫妻が
1914年6月28日にボスニア出身のボスニア系セルビア人
民族主義者ガヴリロ・プリンツィプによって
ラティンスキー橋(ラテン橋)側(写真だと対岸側)で
暗殺されたサラエボ事件
で、なんでこれが第一次世界大戦のきっかけになったの?
かは良くわからないですが…
橋を渡り街の中心部に向かって歩きます
遺跡?の向こうに見えているモスクがあるところは
オスマントルコ時代の中東の雰囲気をもつバシチャルシァ
モダンな建物と遺跡のハーモニーがエキゾチック
っていうか、気持ち良いお日和でこのテラスで
ビール飲みたくなるわ
こちら側はカトリックのところ…
うまく分別共存してるわけですね
旧市街の西側はヨーロッパ風の建築が並ぶ街になっています
オスマントルコが衰退し20世紀初頭にはヨーロッパから撤退
その後オーストリアの影響が大きい建築物が建てられ
戦後の共産主義時代の無機質で殺風景な建築群も残っており
その後の紛争で破壊された後に建てられたモダンな建物もあり…
けっこ何でもありのサラエボです
セルビア正教会の生神女誕生大聖堂は
聖母マリアの誕生を記念する大聖堂
1863年から1868年にかけて建設された聖堂は
3つのバシリカと十字架を備えた5つのドームを有しています
こちらは1884年から1889年にかけてゴシック建築で
建てられたカトリックのイエスの聖心大聖堂
あら、聖堂内の写真がナイ…
さてさてまた歴史に戻り…
サラエボ包囲の結果、12000人以上が殺害され
50000人以上が負傷したものと推測されており
その85%は軍人ではない市民であったとか…
またセルビア人勢力の占領下となった地域では
主にボシュニャク人の非セルビア人の市民が殺害されたり
強制的に追放されるという民族浄化 …え?ナチス再来??
が行われたそうですが、当時報道されていたかしら?
知らないことばかりのボスニアヘルツェゴビナ紛争でした
ここが東(オスマントルコ帝国)と
西(オーストリア・ハンガリー帝国)の文化の交差地点
本当街の雰囲気がガラリと変わります
東側に入ると露店やお土産物屋さんが雑然と並び
中東のスークにでも迷い込んだ感じ
ザクロジュース おいしそ
キャラバンサライのような造りの建物は
1542年から1543年にかけて建設された
ガジ・フスレヴ=ベグ・バザール
長さ109mにわたってアクセサリーや
ブティックなど50を超える店舗が並んでいます
1531年に建てられたオスマン建築の
ガジ・フスレヴ・ベイ・ジャミーヤ・モスク
紛争で損傷したものの、最近再建されたとのこと
白とブルーを基調にしているモスクですが
水場だけはウッディ
バシチャルシァの中心にあるセビリ(水飲み場)
ジモティ方は普通に飲んでいましたが… さすがにね
トルコ語でバシ=主要な、チャルシァ=市場の
意味だそうでそのまんま市場です
食器や装飾品、衣服などを並べた店が多くて…
アクセサリーがめちゃくちゃかわいくて安くて…
買い物熱に憑りつかれたぁ~
ケバブの香りに誘われて…
ランチはケバブ
ほうれん草と挽肉、酸味のあるチーズが入った
ボスニア風パイのブレク
…この時すでにビールがなくなっていたぞ
ケバブは普通かなぁ~
それよりやはり感じるのはトルコ~ギリシャ~
バルカン半島~ブルガリアって料理似てるよね
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続きはこちら 3. 世界遺産の古都モスタル ~再建されたスタリモスト
2018年5月:セルビア~ボスニアヘルツェゴビナ~クロアチア~モンテネグロ~スロベニアの旅トップに戻る
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