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テーマ:7SEEDS(9)
カテゴリ:🌾7種
空はただ俺たちを見下ろしている。
時に雷を落とし時に雪を降らせ時に日照りを起こしても、そこには何の感情もない。 -どこかそれは、俺達の「先輩」だったあの人に似ている。 色んなことを教えてくれたけれど、いつもただ見ているだけだったあの人に似ている。 そんな空の情景を、「最上の癒し」とあいつは語ったのだそうだ。 きっと先輩の教えたすべてのことも、あいつにとっては癒しなんだろう。 相変わらず分かり合えそうにないと思った。 絶景を見ることを心の洗濯と言うらしい。 洗ったら何もなくなってしまうなら、洗えやしない。 要さんたちは、元の世界への興味とか未練とか甘い心とか要らないものを 「洗い落とした」後、脳の、心の空いたスペースに沢山の「生き抜くための知識」を詰め込んでくれた。 ……それを世間では、「洗」「脳」と言うのかもしれない。 ***** だから、これからは自分で、……仲間と一緒に、何を洗い落とすのか、何を取っておくのか、決めていくんだ。 洗い方も失う哀しさも糧にする辛さも、もう知っているから。 教えてもらったから。 遅い目覚めはもうすぐそこだ。 ***** あとがき。 「空はただ見ている」という一節をある小説で見掛けて、要さんっぽいなと思いました。 安居や涼たちにとって朝焼けに感動しなくなったのはいつからなのだろう。 安居にとっては端午に触れながら朝焼けを迎えた日かもしれないし、もっと前かもしれない。 涼にとってはもっと前かもしれないし、――――もっと後かもしれない。 「とらじ」に出てくる魂呼びの鼠の 「…さあ…そういえば 私に子供時代など あったのかな…」 は夏Aの声のようでもあり、要さんの声のようでもある。 そして、どこか秋の声のようにも感じる。 安居にとっては、夏Aでの記憶が 子供時代(7~9歳)=春←→朝(ユーモレスク) 思春期(13歳)=夏←→昼(主な授業期間) 青年期(15歳)=秋←→夕方(赤い部屋前)明方(赤い部屋後) 最終試験(17歳)=冬←→夜(満月) の空のイメージと重なっている。 洞窟の脱出と重なる朝を、自分の力で迎えた時、それはもしかして安居にとっての新たな始まり、 「遅い目覚め」となるのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.02.14 15:38:26
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