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長押 綴

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2017.02.12
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カテゴリ:🌾7種
夏Aと(夏Bと)他チームの最大の違いは、エリートどうこうの問題じゃなくて
「死」という終わり、諦め、決断をどこに位置付けるかなんじゃないかなと思った。

龍宮:皆どうせ死ぬから最期はせめてましな死に方をしよう
混合:とことん堕ちてなんで生きていなくちゃいけない
夏B:堕ちてもいいや(牡丹「どんなことがあっても 自殺だけはしないわ」)
夏A:死ぬ事は最大の不幸

新巻さんは「なんで生きてなくちゃいけないんですか」と叫んだし、
ナツは「選ばれない方がよかった」と思いかけ、
嵐は「花がいない世界なんて」と入水自殺しかけ、
花は「嵐がいない世界なんて」と入水自殺しかけ、
秋ヲは「死のうかなと思う」と語った。
十六夜さんはその数時間後、無理心中を図ろうとした。
睦月は「もうこんなとこにいてられへんわ ほなさいなら」と投身自殺した。
龍宮の皆は、これ以上広げない為に終わらせる決意をした。

この世は地獄だから。
居なくて痛くて何もなくて虚しいから…もしくは、生きている事で誰かを傷付けてしまうから。

対して夏Aでは「行きたくない」が唯一の「生きたくない」の意志表明で、
明確な自殺行為をしたのは小瑠璃(※ただしワニに対し水中でナイフを構えていた為戦って死ぬつもりだった可能性もあると思われる)くらいだった。
他の人々は

・未来への執着
・使命感(クラス)
・絆((生かして/殺して)助ける相手・幼馴染、友人、相棒、ライバル)
・死ぬ事が怖い・死んだ人の代わりに生きねば

だから、「何があっても自殺はしない」。

=死にたがる人の多い新世界においては
ある意味「不死の兵」に近い扱いなのかな、とも思う。

あと小さいころの安居は割と松岡修造っぽい



○生きてればなんとかなる例↓


@4ジゲン(にざかな)3巻最終回

さて、このブログ書いてる人の中で死にたくても死ねない人としては
・吸血鬼系(吸おし、ダレンシャンなど) ※弱点あり
・不死身の秘薬系(人魚の森、桃娘、輝夜姫など) ※弱点あり
・ロボット系 ※この場合は故障の可能性あり
・人造人間系(戦隊ものの敵)
・成仏できない幽霊・妖怪
があるのだけれど、夏Aはロボット系・人造人間・幽霊妖怪系・吸血鬼系といった「もう一人の自分が生きろと言う」精神プログラミング系、秋冬は不死身の秘薬系の「なんかよくしらないシステムに勝手に生かされてる」身体プログラミング系に近いものを感じる。

夏Aに自殺という概念はない。
死んで逃げるという概念はなく、いつも死から逃げる為に生きてきた。

多分夏Aの風当たり受け代表安居の最大の歪みってこの「死にたい気持ちが分からない」所にあるのかな、と思う。薄々わかってはいるけれど、認めたくないのかもしれない。
認めたら今までが無駄になる、みんなや、過去の自分への冒涜をすることにもなる。

そして「死にたい」≒「後ろめたい気持ち」なのだとすれば、12巻のナツの行動とか
嵐の「後ろめたい」指摘はある意味フラグだったのではないか?とも思える。

平均台から足を踏み外したらドロップアウト(→夏B)するだけだと思ってたら本当に死ぬ。
カイジの鉄骨渡りで言うなら、ステージ1(落ちたら骨折)だと思ってたらそれはただのホログラムで実はステージ2(落ちたら死ぬ)でした、という感覚。

だから後ろめたいと思っても逃げたいと思っても全部が<<突然の死>>に塗り潰される。
自殺、リスカを試みる余裕はないし、背中を押された手前出来る筈もない。


手首はいつも守られている。


夏Aは「」の象徴。



生まれてから一度も葬式を実際に見た事はなく、
死者に気を向けていたら死に(7巻ラスト)、
死体は大体獣に食べられたから、

「死」は敵。後ろから追ってくるよくわからない唯一絶対の恐怖。
「感染者=新たな死を作る者」も敵。
「謎の草=新たな死を作る者」も敵。

そして、生きる為ならば何でも味方。あゆにとっては人体実験も、涼にとっては守る為に殺す事も、安居にとっては感染者かもしれない人を殺す事も「訓練」をする事も。
それは場合によっては迷惑で見苦しいこと、「私は失敗した だから殺さねばならない」となりかねないこと。
死にたくても死ねないなら、それでも生きていなくちゃいけないんですかと言えないのであれば、こちらから殺すしかない。

それはどこか、メタ的な意味で枠の中やページの軛から逃れられないキャラクターに対する作者の「失敗した だから」消す・終わらせる、といった決意に近いように思える。

ブログを炎上したから閉鎖する。
黒歴史な創作物を消しまくる。
作品として収拾つかなくなったものを打ち切りにする・エタらせる。

無理やりに終わらせることはただの自己満足だし、生み出された子供キャラクターに罪はない…このように作中の台詞を当て嵌めるとどこかしっくり来る。
(ただしこれに対しても、マーク達が「終わらせる決意」をしたこと、
 それは紛れもないプロ根性でもあると考えると

 無理やりに終わらせることもまた一つの在り方ともいえるけど、
 やっぱり「Q」を発見する前には坂田さんは死にたくなかっただろうし、
 マリアさんを封印するまではマークは死ねなかっただろう。
 だから、無理やりにしろ鬼にしろ終わらせるには、何かしらの「決着」が必要不可欠)

寿命が来るまでは、まだ生かそうと(安居の場合は涼+夏B+夏A一部)(作品にとってはファン)する人が居る限りは、持ち直すことへの挑戦を続けたら、その内何かいいことがあるんじゃないかと思う…という点も。
寿命が来たらそれに対する覚悟をすることも同様に大事、という点も。

だから、夏Aに対する先生達の最期のその置き土産をどう「死を司る人」である寺の四男坊角又万作が成し遂げるか、非常に気になる。
そして15年間一人でぐるぐる死と闘ってきた新巻さん、唯一過去をどうでもいいと言い続けたあゆが、互いにどう死ぬ事と背負う事について決着をつける為の(あゆにとっては死ぬまで続く旅路の)一歩を踏み出すのか、も。

さて、上で書いた「寿命」について。

7SEEDSのラストを、ナツは「ゴール」と称した。
死ぬ事も、ある意味「ゴール」=寿命なのだろう。

そして、終わりまで見届けられること、そして見届けた後に心で残照として生かされることは作品としての幸福でもあるのだろう。
「それでも見事な」想いは、描き切ったことの「重み」は、生き様と最期、終わり・結びを見せたからこそ伝わる事もある。

物語をエタることなくきちんと終わらせることは、ある意味「ゴール」を自ら取り決めること。
作中の人にとってはきっと、「せめて知らせてほしかった」こと。

大作の作中で「終わり方」について語ることはきっと、作中の人物や読者に対する最大の贈り物なんじゃないかと思う。

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※赤木しげるの「赤木しげるとしての死を迎える前に自分で」とか、自死宣言の実話とか
まどかの「全ての魔女を消し去る(=毒を吐き散らしながら生きる前に殺す)」とか見ると
「本当に死ぬ」とはどういう事なのか…という問いかけもあるけれど。
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●他卒業ネタ考察
俺様ティーチャー(忘却の魔女VSピーターパンVS風紀部)

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※イメチェンして再デビューの道…もないことはないですが。
どうにか無理やり終わらせて切り替えたことで次ではその失敗を生かせたっていう例もあるだろうし…。

7SEEDSの中ではめーちゃんがそのイメチェン再デビューにあたるのかな。

とはいえ、再デビューにおいても二次元ではそれをする当キャラの想い、
三次元では作者や、作者の作品を愛する人が生き続けていることが必須なんだろうけど。

そうした意味で、「社会的には終わっても、まだ魂は生きてるぞ!」っていう
夏Bと言う名のアンダーグラウンドはその象徴なのかもしれないとも思う。


…そして、体は死んでも新巻さんをずっと生かし続けてきた冬のチームの皆もきっと、
「糧」になったのだろうと思う。





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最終更新日  2017.02.14 01:30:05
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