そのほか
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カテゴリ:滴滴的こころ
新年あけましておめでとう 平成21年元旦長らく放置していましたがぼちぼち開始しようかとご報告に上がりました。いきなりどかっとはいきませんがぼちぼちフレームや設定をリニューアルします。 難波屋
2008年05月17日
筑紫物語7 (49)
カテゴリ:とってもGood
筑紫物語 第7回 一妙丸山寺を出奔するの段その5 父君の形見を抱き、赤子のように伏し転び泣きくれる一妙丸を狭霧御前は、とがめる様子もなくともに涙して泣いた。 一妙丸は、忘れ得ぬ別れぬ時のような、むごい母の仕打ちをかき消すように、わっと、母者人の懐にすがりついて何度もうなずいた。 さてさて、一妙丸は、積年の障りを一気に取り払われたかのようよに、一点の曇りなき明鏡がごとく澄み渡っていた。
一妙丸の夕べの出来事を一部始終を見届けたすばしこい猿者が、和尚に委細を報告していた。勿論、叡生にも耳打ちされた。 「さてさて、いかがあいなるか。」 後は、和尚のサジ加減一つで、一妙丸は必ず出奔して鎌倉に向かうであろうと、叡生も知るものは見なそう思って語らった。 2008/05/17 13:59 難波屋滴水/マスターピン/T5号
2008年05月14日
筑紫物語6 (1)
カテゴリ:とってもGood
一妙丸山寺を出奔するの段その4 一妙丸が山寺を抜け出してもう、丑の刻を過ぎ、寅の刻を小半時も過ぎた(午前三時過ぎ)。ようやく、懐かしい杉木立に見え隠れする屋敷の灯りが見えた。 「もうし、もうし、夜分押しかけ申し・・・。早う木戸を開けてくだされ、三年ぶりに一妙丸が帰参申しました。あけてくだされよ、母者人・・・母者人、血を分け申した倅の一妙丸にござりまする。」 「そこは外聞の悪かろうほどに、早う入ってくりゃ」 狭霧御前は、一足先に寺小姓が先回りしてすでに知らせてあったから、随分と前から囲炉裏に薪を焚き部屋を暖めていた。 「くどくどは聞きますまい、もはや、そなたは山寺にくれたもの、もはや二度と面映えをご覧ずることもなかるまいともうて忘れておったに。 「母者人、母者人はなぜ、成長した一妙丸を愛でて傍らに寄せてはくれないのですか? 我が肩を引き寄せて、母者人の胸にすがらしてはくださらないのですか・・・・。 「母者人。お怒りごもっとも、一妙丸は承知の上でここに舞い戻りました。舞い戻ったるには、一言、母者人にもう尋ねる疑があってまかりこしました。どうぞ、お心しずめてお聞き届けくださいまし。」 「いつかは気づく、今日か明日かとおもうて夜を過ごし、はや七歳の節句に山寺に上がらす日ぞと覚悟申してあったに、その勤め疎かに差し置いた咎を許せよ。 そういって隠し置いた奥の納戸より一抱えあまりの漆塗りの金箔をあしらった葛籠(ツヅラ)を一妙丸の前に差し出した。 まだ、尾張のの国熱田の里に食客して、同輩の館に隠れ住んでより、隠れてくれた狭霧御前に当てた手紙をいちいちに読むにつれて、十一歳になったばかりの一妙丸にもそれはよくよく理解できた。 2008/05/14 18:44 難波屋滴水/マスターぴん
2008年05月03日
筑紫物語5 (3)
カテゴリ:滴滴的こころ
筑紫物語 第五回 一妙丸山寺出奔の段 その二 叡生は、一妙丸が到底このひなびた山寺で僧となる器ではないと見抜いていた。僧になる才覚も才能もないというのではない。たとえ世に憎まれた平相国清盛入道が嫡子、正二位内大臣重盛公の家令(執事)にして名だたる平家の侍大将、肥後守平貞能侯の御跡取りなれば、伊勢平氏の家名をここに絶やすことを惜しんでいた。 『ならぬぞ、こらえるのじゃ。そなたにとって、今やここが己の生きる家ぞ。十二の歳に得度出家するまでは、まだまだ、習い覚え身に修めることはやまとある。ゆめゆめ、気をゆるめさせまいぞ。こたびのこと、悪党童(わっぱ)のことは戯れ言とおもうて、しばし捨て置け』
あれから、一妙丸も十歳を迎えた。父君に似て、伝家相伝の五人力滋籐の弓をばつがえるほどの体の成長とともに、ますますもって細事についても異能を発揮しいった。また、何かのことにつけて村の若い娘や後家が寺に顔をだす。まるで婦女子のように色優れて眉目麗しい面映(おもば)えは、男とても正視せざるを得ないほどの美貌に育っていった。 最近は、奇妙な掛け合いが書院の間と廊下で、襖越しに交わされる。和尚と学頭の掛け合いが今日も交わされる。 幾日かして、叡生が深夜、和尚の臥所に忍んで参った。 三年前のことはもう、十年も昔のように微かな記憶となって今、その来た道をたどたどしくたどるように、忘れたことが少しずつ取り戻され引き戻されてゆく。 2008/05/03 18:29
2008年04月24日
筑紫物語4 改訂 (1)
カテゴリ:とってもGood
筑紫物語 第四回(改訂版) 一妙丸山寺出奔の段 その一 憔悴して館に戻った狭霧御前は、その日からふさぎ込みがちになった。何かをすっぽりと抜け落ちような虚脱感だった。 「半年ぶりのお目もじ、息災でござったか。少しは百姓なりも慣れ申したかな。一妙殿はなかなか賢いお子でな、寺の暮らしもずいぶんとなれ申したぞ。 その和尚の言葉に、狭霧御前はすっかり安堵し、ただただ、一妙丸の山寺の修行の日々を思い描いているうちに、いかにも偶然のようではあるが、何か大きな意思に導かれているように思えてくるのです。
以下次号に譲る
2008年04月20日
筑紫物語3
カテゴリ:とってもGood
筑紫物語 第三回 一妙との別れの段 下 春はようやく根雪を溶して青く連峰の山々にかえた。 一妙丸は三日も前から家の軒に登っては、山の端に隠れる道を見ながら、寺からの迎えを待ち遠しく待つのが日課となっていた。 ただ中では、「あのように甘やかせますると、別れのみぎりには、さぞや見苦しきことにもなりましょう。心あらば、とかく差し置いて遠ざけることもあろうに」と、眉をひそめて、案ずる者もいる。だが、一向に、暇あらば一妙丸と一緒に過ごすことが多くなった。 狭霧御前は、もう七歳(とせ)もゆく方もわからぬ夫、貞能殿を思い起こすことは、別れのみぎりに方々一妙丸の行く末に心砕いたこと、親として何事か施すべきこともなく断腸の思いで子別れとなったこと。 「恩は教えられるものにはあらじ。親を慕うて思いなすのが恩ぞ・・・・・ お目通りのつもる話に狭霧御前の先祖にかこって話された言葉は"わらわがことじゃな"と、毎日のように心に浮かんでくるのです。 三月も足らぬ日だちに、お山から、まだ幼さの残る得度を受けた先輩僧(所化)と小間使いの稚児を伴って館を訪れた。 帰命し奉る稽首妙法蓮華経 気づけば、お山からの使者も居住まいをただし、殿居の、お目通りの庭先で、黙念として手を合わせている。 気丈にも健気なれども未だやや児のように母を恋しがるのを誰ぞ責められますまいぞ。 程なく肥後の国境、昔、清盛入道様より受領した筑紫国にはいる峠に、一妙丸が一生を過ごすであろう山寺に行く一本道にたどり着いた。 『早うゆかれよ。別れは長々と遊ぶ物ではないぞえ。はよいかっしゃれ。はよう・・・』 中途、一妙丸は振り返り振り返り母者人の方を見た。 狭霧御前は伴の下女にすがらなければ歩けぬほど泣いた。もう一歩もここから立ちますまいぞと言うほどに嘆き悲しんだ。 いつまでもいつまでもやむことはなかった。 次回は山寺出奔の段につづく
2008年04月18日
筑紫物語2
カテゴリ:とってもGood
筑紫物語 一妙との別れの段 あれから六年もの月日を重ねた。 ほどなくして、狭霧御前の実家累代の菩提寺から住職の和尚が訪れた。家人に任せて家を空けた暇のこと故に、急ぎ知らせてきた下女に手を引かれて館に帰る間中、一人残してきた一妙丸が気がかりでなず、うわごとのように"まろやまろや、ゆるしてたも許してたもれよ"と、肝冷える思いで館にもどった。 和尚の包み込むような笑みにさそ誘われて、緊張の糸が切れた。もう、筑紫国の大名御寮人ではない。一妙丸を艱難から守り育てた慈母になっていた。 「お上人様とは、久方のお目見え目出たくあらしゃれまする。女人が館の不浄なる所に罷り越したること、あな、恐縮至極に存じ奉ります・・・・」 「どうじゃ、狭霧御寮人殿、一妙丸を我が元に預けてはくださらぬか。市井に埋もれ山野に朽ち果てさせるは、謗法(ほうぼう)に堕する。昔も聞かずかようなる神童をばいかに隠そうとも、仏意仏勅に導かれて世に顕るるをつらつら見そうらえば、衆を済度し宗旨を専らに興す本懐を深く抱く瑞相と覚えそうらえば、悪い話ではござらぬよ。御身のため疾くと御思案召されよ。」 和尚の説得に、狭霧御前は頭の中は真っ白になって、走馬燈のように巡るは殿との別れ。して一妙丸との今生の出会いと、めくるめく人生の思い出が影絵のごとく幻灯に映し出されていく。 金箔烏帽子に白拍子の狩衣赤袴に金蛭巻きの太刀をはいで、檜扇と桜を模した飾りで舞を見せた。 狭霧御前の思いは、吉野で生き別れた愛しい殿御。今は罪人となれども愛しいあなたが恋しいという一途の恋情に我が身の一生を重ね思うのである。 一妙丸はすべて了解した。和尚が帰り支度の暇に、お節介な弟子が一妙丸をあやすを見計らって、山寺のことや諸経や唐天竺の典籍古典のあることをさかんに自慢し、山に上がらせることは母の孝養にもなって神仏の御心に叶うことをさんざんに植え付けた。もう、後にはどうにかして母君に山寺に上がることを願おうかと思って思案しているほどだった。 ただただ母に喜んでもらえることに心奪われた一妙丸であった。 続く
2008年04月17日
筑紫物語1 (1)
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仮題 筑紫物語 第一回 筑紫の国に大橋太郎平貞能(おおはしのたろう・へいのさだよし)という大名がいた。平 家貞の嫡男で清盛の嫡男・重盛の家名に仕えたが、平家滅亡を知って筑紫の領国を離れて肥後の大橋へと隠れ住んだ。 その原太夫高春の館で久々に仰ぎ見る望月の名月を見るにつけても、正室、狭霧(さぎり)と、まだ腹にいた子このことを思いをはせては源家の追補の詮議を受けて捕まえられてはいないか、一時も心休まる時はなかった。 話は肥後大橋の郷にあるときに戻る。 そのいきさつをこらえて聞いていた狭霧御前も感極まって、その場に泣き伏した。そこへ、奥の部屋で寝ていた未だよちよち歩きの嫡子一妙丸が、母にとりついて顔をのぞくと、翻ってこの若侍の方を向くと拳をあげてにらみつけた。 次号に続く 筑紫物語 (1)
カテゴリ:とってもGood
筑紫物語 紹介篇 チューラパンタカ物語に触発されて、今度は日本での仏法物語をご紹介します。 舞台は我が国の平安末期から鎌倉幕府創建直後頃の実在の物語です。 一妙麻呂の父の出自は伊勢平氏の庶流ではあり、清盛入道等桓武平氏に付き従い嫡男の寄人であった。幕府将軍右大将頼朝公の恭順の御教書を破り捨ててまで鎌倉の侍所に出頭しなかった。 当時、総追補使を諸国に派遣しその過酷な詮議や誅求のすさまじさは、各地の伝承や伝説となって、芸能伝統に受け継がれてもいます。
完全に平氏を滅亡させた板東武士団は、頼朝という血筋を金看板に冷や飯を食わされ京人からさげすまれもしたが、平将門以来の武士の共同体を京の以東に開くことになる。 頼朝は武官としての最高官位、正二位右近衛大将に上り、諸国総追補使・総地頭の大権を認められるにいたって、実質的、全国の武士の総棟梁と仰がれることになる。 朝廷の役人としては判官と同僚になるんだよね。このからくりの陰に後白河や公達の黒い思惑をかぎつけたんだな。 さておき、件の大橋太郎こと、平貞能の物語はこのような状況のなかでおこった奇跡の父子の麗しい奇跡の物語として今に伝えられた。 では、次号は、この物語を鎌倉時代の名文家であり、最高の学識者であり古今の有職故実、内典外典、四書五経から和漢の古典・典籍・書簡に通じた希代の名僧。その、立宗開祖日蓮大聖人が、在家信徒である御家人南条氏に送ったお手紙に記された物語を紹介いたします。 出自も所領地も事績もはっきりしている古代の伝承は極めて珍しく、彼の日蓮大聖人の御遺文にも乗せられるほどに、当時は広く流布されたことを思い知らされます。 2008/04/17 20:06 難波屋滴水/マスターぴん
2008年04月06日
チューラパンタカ物語、追補記 3 (5)
カテゴリ:とってもGood
チューラパンタカ物語 前回の続きから 出典文献資料 チューダ※、スヴァーガタ※ 2008/04/06 9:16 難波屋滴水/マスターぴん │<< 前のページへ │一覧 │一番上に戻る│ |