もうすぐ命日・・・介護を教えてくれた愛犬
去年の3月10日、プリンという愛犬が天寿を全うして天国へ行きました。15歳(人間で言うと105歳)でした。最期は私に抱かれたまま静かに眼を閉じていきました。幸せな最期だったと今でも思っています。 亡くなるまでの3ヶ月間に、私はプリンに精神的にとても鍛えてもらいました。犬にそんなことが???と思われるかも知れませんが、プリンが私に『介護をすること』の意味を教えてくれたのです。 プリンは亡くなる3ヶ月前から痴呆が始まりました。犬にも痴呆があるなんて最初はわからなかったのですが、しょちゅう角のほうへ頭をこすりつけておでこに傷をつけてしまい、病院へ連れて行った時に、獣医さんから教えてもらったのです。 とにかく角のほうへ角のほうへと探して頭をこすりつけるので、その防止策としてガーデニング用のプラスチック製の網で、庭に大きな輪をつくりその中で行動させることにしました。 数日後、後ろ足が動かなくなる日が突然やってきました。(何にもない平らなとこでコケルことが多くなっていたのですが、それが前兆だったのでしょう。)私が出かける時は必ず見送ろうと小屋から出て来たのですが、その日は小屋の中でカチャカチャ音はするけど出てこない・・・ 『プリン??』と小屋の中を覗き込むと、前足だけで立とうと、一生懸命もがいているプリンの姿がありました。プリン自身もなぜ立てないのか驚いている感じでした。 (プリンが立てなくなったんだ・・・)そのことに気づき、目の前で苦しんでるプリンに何もできず、情けないことに私はただ泣くだけでした。 プリンの腰を支えてあげてトイレを手伝ったり、庭の散歩をさせたりという生活が始まりました。最初の一週間は『可哀想に…』という思いだけしかなく毎日泣きながら世話をしていました。 しかし、とうのプリンは、私を見るといつものように尻尾を振って喜んだ顔をするのです。私が高校生の頃に1歳になってやってきたプリンは、表情が豊かで愛嬌があって、マヌケだけどとても人間の気持ちに敏感な犬でした。それで、近所の人達にも人気者でした。 私が悲しい時は慰めてくれるように寄ってきて、嬉しい時は『何があったの?』みたいに走ってきてくれて・・・ある日、毎日泣きながら世話をしてる私に対して、プリンが『悲しまないでちゃんと見て。悲しいことじゃないよ。』と言ってくれてると思える日が来ました。 そう思えた日から、日に日に弱っていくプリンの世話をしながらも泣くことはなくなりました。 自分でトイレにも行けなくなってからは、マッサージをしながら手で拭きました。固形物を食べられなくなったので、流動食にしてストローであげていました。 プリンが毎日少しずつ何かができなくなるにつれ、私は逆に、どうにかしてあげようと工夫してできることが多くなりました。 そして3月10日。病院へおでこの傷の具合を診てもらうために、ぷりんを赤ちゃんのように抱っこしました。(プリンはマルチーズの雑種ですが中型くらいの大きさです) 『プリン 病院行こうね』と声をかけました。すると、少し大きく開けた眼が、ビー玉のように深いグリーンにサッと変わった感じがして、身体が一瞬硬直した後、ふっと力が抜けたようになり、少しずつ眼を閉じていきました。それがプリンの最期でした。 悲しいという気持ちではなく、今までありがとうね。頑張ったね。という感謝の気持ちで一杯でした。 どんなに衰えようとも、一生懸命生きようとする姿を見せてくれ、私にはその手伝いができるんだよ!と教えてくれたプリン。 今でも、プリンの娘犬チビを呼ぼうとする時に,間違えて『プリン!!』と呼んでしまったりしますが、きっと天国で尻尾を振って喜んで返事をしてくれてると思います☆☆☆