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南包の日記 [全1356件]

2012.05.15楽天プロフィール Add to Google XML

『ちくま日本文学全集/柳田國男「木綿以前の事」』 
[ 本・読書 ]  

この「ちくま日本文学全集」は1991年芥川龍之介と寺山修司を皮切りに、当初は全50巻で刊行され、途中から全60巻になった、文庫本サイズの全集である。金額は1000円丁度。
最近、装丁を変えて全40巻で復刊された。


さて、先日読んだ『遅読のすすめ(山村修)』に柳田國男の「木綿以前の事」があった。『木綿以前の事』は岩波文庫がある。山村修が触れているのはこちらの方だが、手許に「ちくま日本文学全集」柳田國男があり、そのなかの「木綿以前の事」を読んだ。

気になった記述を引く・・・、
【久しい年月を隔てて後に、あるいは忍びがたい悪結果を見出したとしても、これによって先祖の軽慮は責めることはできぬ。ただ彼等の経験によって学び得る一事は、かようにいろいろの偶然に支配せらるる人間世界では、進歩の途が常に善に向かっているものと、安心してはいられぬということである。(中略)静かに考えてみると損もあり得もある。その損を気付かぬゆえに後悔せず、悔いても詮がないからそっとしておくと、その糸筋の長い端は、すなわち目前の現実であって、やっぱり我々の身に纏わって来る。どうしてもひとりの力では始末のできぬように、この世はなっているのである。】
【(木綿による)熱の放射の障碍である。近い頃までも夏だけはなお麻を用い、木綿といっても多くは太物であり、織目も手織で締まらなかったから、まだ外気との交通が容易であったが、これから後はどうなって行くのであろうか。汗は元来乾いて涼しさを与えるために、出るようなしくみになっているものに相違ない。湿気の多い島国の暑中は、裸でいてすらも蒸発はむつかしいのに、目の細かい綾織などでぴたりと体を包み、水分を含ませておく風習などを、どうして我々が真似る気になったのであろうか。】
大正13(1924)年10月 柳田國男49歳の時
以上。

今読むと色々なことが頭を巡る。

ちくま日本文学全集/柳田國男1875-1962 033
解説:南伸坊
1992年6月20日 第一刷発行
筑摩書房




Last updated 2012.05.16 06:09:55
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2012.05.09

『増補 遅読のすすめ(山村修)ちくま文庫』 
[ 本・読書 ]  


この人(山村修または[狐])の本はボクには猛毒である。それは前にも言ったこと。やはり、これも猛毒であった。が、少々免疫力がついたと思うが、その毒気に当てられずに進むところもあった。

そもそも読書=毒書。そして遅読=知毒、速読=即毒。多読=多毒、少読=少毒。であると勝手に解釈。

さて、本書で月に100冊読むF氏や速読派のT氏を一方に据え、山村修は真正面からその方法にノンを唱える。その意気や善しである。
そして、山村修の言う読書とF氏、T氏のいう読書(何冊読んだ)の意味が違うのではないかと指摘する。即ち、【山村修=一冊読む=通読】 【T氏=一冊読む=目を通す、部分的に読むあるいは調べる・参照するために読む】の違いと。週刊文春T氏の「私の読書日記」を最近の号で見たところ、本を買ったと書いてあるが読んだとは書いてなかった。ボクの偏見かも知れぬが・・・。

読書=快楽 
文字による快楽 
文字によって作られた言葉による快楽
言葉と言葉によって作られる表現(文章)による快楽
表現によって作られる思想にふれる快楽
その思想によって垣間見られる作者〈筆者〉の思いを知る快楽
作者の思いに近づく快楽

畢竟、快楽とは時間をかけることであり、ゆっくり行為することで得られる・・・、何事も。
食べることも、眠ることも、そして×××ことも。
そう確信する。


今回は、多少毒気を避けられたと言うものの、
本書の冒頭にある『我輩は猫である』の引用部分を確認したり、『更科日記』や『赤い百合(アナトール・フランス)』、ビンバ・ランドマンの絵本『ジョットという名の少年』を図書館から借りてきたりしたのである。


そして、俳句の読みについての部分は、白眉と思う。

【かもめ来よ天金の書をひらくたび 三橋敏雄
北村薫がのちになって作家・須永朝彦の『扇さばき』という本を読んでいると、この句について書かれている文章があったという。/その須永朝彦による読みに、北村薫は「目を開かされました」と書いている。さらに重ねて、「いえ、開かされたというより、くらくらさせられました」と書いている。北村によれば、須永朝彦はこの句の発想が、手に開いた本をそのまま目の高さに据え、地の切り口のほうから水平に見た一瞬にあったのではないか、と記しているという。/そのとき読んでいた北村薫の本を、私(北村修)もそのように、まんなかあたりで開いたまま目の高さに上げてみた。そして地の切り口から水平に見た。瞬間、さすがに胸がさわいだ。/たしかにかもめが見える。さらに一ページずつ繰っていくと、次々に白いかもめが翼をひろげて飛んでくる。】
【】は引用。

この句は、随分前10年以上前に読んだと思う、ただただイメージのみの読みで済ませていた。青い海と白いかもめ、灯台とバスクシャツの男、その程度。

《見巧者》という言葉があります。芝居などの見方の上手い人と言う意味。芝居を映画にしてもいいと・・・。小林信彦は渥美清を見巧者と言っていました。そして、山村修は《読巧者》とでも言える。だから、ボクには猛毒なのだ。

増補 遅読のすすめ
山村修 
2011年8月10日 第一刷発行
ちくま文庫 き19-3


「遅読のすすめ」の初版は2002年10月 新潮社



Last updated 2012.05.09 22:22:46
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2012.04.25

『少年と自転車(ダルデンヌ兄弟)』 
[ 映画 ]  

『少年と自転車(ダルデンヌ兄弟)』

これほどに、見終えて直ぐに気持ちが柔らかく優しく仕合せな気持ちになった映画はいつの事か思い出せないほどで久々の体験である。
お見事!!と言う他ない。
一言で言えば「少年の成長物語」。それが大人も含め、見る側の気持ちまで巻き込むような物語になっている。



「朝日新聞デジタル(「少年と自転車」ダルデンヌ兄弟×樹木希林対談)」の記事を引く・・・、
「リュック」:私たちの撮影は、リハーサル期間がすごく長いんです。撮影前に40日間と演劇並みです。リハーサルでは身体的な部分から始めます。動きを通じて俳優は登場人物の中に入り込んでいきます。

今まで殆ど有名な俳優を使っていない監督が、今回セシル・ドゥ・フランスを少年の里親役に起用した。それについて・・・、
「リュック」:セシルの場合、それまでのキャリアで身につけた技術がある。でも今回の相手役は少年で動物的。ただそこにいるだけで存在感があります。一方、彼女の方は自分の技術を完全に見えないようにしないと存在感が出てこない。時間はかかりましたが、セシルは自分でそれに気がつきました。歩き方、見つめ方、ふりかえり方を「普段はつくるけど、今回はつくらない」と。
これを読むとセシル・ドゥ・フランスも凄いなあと思う。
リハーサルの長さだけではないと思うが、まさに練りに練られた作品。わずか(今は長い映画が多い)87分であるが、濃密だ。




少年シリルが木炭の紙袋を抱え自転車が左に曲がり画面が暗くなる。映画が終わったのだ。これほどに、見終えて直ぐに気持ちが柔らかく優しく仕合せな気持ちになった映画はいつの事か思い出せないほどで久々の体験である。
お見事!!と言う他ない。
一言で言えば「少年の成長物語」。それが大人も含め、見る側の気持ちまで巻き込むような物語になっている。

何故、父は頑なにシリルを拒むのか?
何故、サマンサはいくら頼まれたからと言って、男を捨ててまでシリルの里親を続けるのか?
特にサマンサの件は気になる。人は一人では生きてゆけないと、ダルテンヌ兄弟監督は語っているが、それでは当たり前すぎるであろう。もっと他に何かがなければ、サマンサの行為は分からない。

そして、音楽がいい。印象に残ったのは二場面。一つは、父親に盗みで貰った金を渡しにいくが断られ自転車で帰るときのバック。ベートーヴェン?
それとエンドタイトルの音楽。ピアノ協奏曲?
いずれもよい。
いずれ、既存の曲だろう。分かればよいが・・・。



Last updated 2012.04.25 23:52:48
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2012.04.19

『ドライヴ(ニコラス・ウィンディング・レフン)』  (2) 
[ 映画 ]  

『ドライヴ(ニコラス・ウィンディング・レフン)』

開巻から100分、目を離せない、緊張感いっぱい。
クリスタルガラスのような清澄な緊張感、あるいはミステリーやホラーにある次に何が起こるかが分からないドキドキさせられる緊張感とは全く異なる。

ライアン・ゴズリングの肉体や表情が醸し出すもの、その画面から伝わって来るもの、すべてが緊張感を生み、見るものにその重圧が伝わる。

今まで経験した事のないカッコよさ。ジョニー・トーの様式美的スタイリッシュとは異なるスタイリッシュだ。人間の精神・肉体のスタイリッシュとでも言えばよいのだろう。

アメリカ映画だがどうしてもヨーロッパ映画にしか見えない。
私のイメージするアメリカのカッコよさではないからだ。フランスか、東欧か。

惚れた女へのストイックな接し方や、最後まで羽織り続けたサソリのブルゾンとそこに付いた血。それらのディテールが生み出す緊張感。

新しい感覚を見た。



Last updated 2012.04.19 08:44:40
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2012.04.13

『ニーチェの馬(タル・ベーラ)』 
[ 映画 ]  

見ている間、これほどきつい映画は最近無かった。きついが退屈ではないし苦しくもない。ただただ、スクリーンの前で身を潜めて映し出されるものを凝視続けるしかなかった。
父と娘の六日間を映画は写している。が、記録映画ではない。歴とした劇映画。
だが、写していると書かざるを得ない。そこにあるドラマがそう云わせる。

ジャガイモをただ茹でるだけの食事。そのカットを四方から見せる。四回の食事場面を、その都度違う方向から撮っていくが決して斜めではない。右手の不自由な父親は、その熱いジャガイモを拳で叩き潰しその皮をとりながら食べる。娘は両手で同じように皮を剥きながら食べる。

始まりは父親が駆る荷馬車と馬と吹き荒れる風の場面。馬と父親、吹き荒れる風、風に舞う木々の葉の場面が延々と続く。
右腕の不自由な父親の着替えを手伝う娘。その着替えの場面も幾度か繰り返される。恰も写真集のページを繰りながら見ているようだ。それが、二人の日常。その日常が日々のわずかな変化とともに描かれる。だが、その変化こそが怖しい。それだけのことがドラマになる。劇になる。物語が生まれる。それに映画館という空間で立ち会う。それが『ニーチェの馬』を見ることだ。

見ている間は確かにきつかった。こういう体験はもういい、と思ったが・・・。こう書いている今、もう一度『ニーチェの馬』を見たいと思っている。154分の体験を再度したいと・・・。



Last updated 2012.04.13 20:45:58
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2012.04.07

● 図書館で借りた本(2012.4.1)  (1) 
[ 本・読書 ]  


1. 樋口健二写真集「原発」三一書房 1996年7月31日第1版第1刷発行
2. アート・ギャラリー・ジャパン 20世紀の美術全18巻 第13巻坂本繁二郎・須田国太郎 集英社 1987年10月25日第1刷発行
3. サレンダー 服従の恍惚 トニ・ベントレー著 栗原百代訳 文藝春秋 2006年1月31日第1刷
4. 山岡鉄舟 剣禅話 高野澄編訳 たちばな教養文庫 平成15年9月25日第1刷
5. 詩心二千年 スサノオから3.11へ 高橋睦郎 岩波書店 2011年12月15日 第1刷発行

以上5冊。借りた由・・・、
・樋口健二写真集「原発」三一書房 1996年7月31日第1版第1刷発行
新刊書の棚と一緒にテーマ別の棚があり、原発の本の中にあった。1996年当時の原発状況が分かる。原発で働いている人々の苦痛が伝わってくる。この人たちの犠牲(金が動けば人が動く?)は計り知れない。かつて企業による公害が叫ばれ、企業はそれぞれ一度は追い詰められたはずだが・・・、今でも原発企業にはその告発は無いに等しい。

・ アート・ギャラリー・ジャパン 20世紀の美術全18巻 第13巻坂本繁二郎・須田国太郎 集英社 1987年10月25日第1刷発行
今読んでいる『対話 人間の建設 岡潔・小林秀雄』に坂本繁二郎が出てくる。
「無明ということ」章で、ピカソの話しから岡が「芥川がどこかの展覧会で、気に入った絵を見ていると、それまで胃の全面にひろがっていた酸が一瞬に引くように感じた(中略)坂本繁二郎という人は、そんなにたくさん絵をかいておりませんけれども、あの人が死んだら、跡継ぎはでないでしょうし云々。」
それがきっかけ。坂本繁二郎の絵はどこかで見たと思うが初めて見る。いかに知らぬこと多いか。「箱」がいい。

・ サレンダー 服従の恍惚 トニ・ベントレー著 栗原百代訳 文藝春秋 2006年1月31日第1刷
ポルノ小説。それだけの興味・好奇心。随分以前からわが町の図書館にある。何故?あるのか?こういう本が・・・。悪くは無いが、気になる。

・ 山岡鉄舟 剣禅話 高野澄編訳 たちばな教養文庫 平成15年9月25日第1刷
中日新聞の火曜日夕刊に連載中のコラム「」で山岡鉄舟を読む。山岡鉄舟の20則が気になり調べるために借りる。

・ 詩心二千年 スサノオから3.11へ 高橋睦郎 岩波書店 2011年12月15日 第1刷発行
これは、新刊書の棚にあった。初めて見る。高橋睦郎の仕事はやはり気になる。最近では中公新書の『季語百花』を時々拾い読みしている。他には『百人一句(中公新書)』『百枕(書肆山田)』『句集 花行(ふらんす堂)』が書棚にあります。





Last updated 2012.04.07 12:24:28
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2012.03.17

『おとなのけんか(ロマン・ポランスキー)2011』 
[ 映画 ]  

『おとなのけんか(ロマン・ポランスキー)2011』

原題は「Carnage」=「大虐殺,大量殺戮」と物騒。だが、日本のタイトルのままの中身。
子どもの喧嘩に大人が出てきて云々。

二組の親=夫婦が子供同士の喧嘩を収めようと会う。会うのは撲られた子どもの家。映画はその家(部屋)での会話が殆ど。初めは互いに穏やかに事を収めようとするが、一つ歯車が噛み合わなくなり、次々に新たな会話の展開に、その連続。これ以上の説明は難しい。

人は、ある目的があればそれに向かいきちんと会話が出来る、またその様に話を進められる。当たり前のこと。だが、ちょいと本音が顔を出すと、会話はあらぬ方向に進む。これも当たり前のこと。その当たり前を台詞として成立させ劇に仕上げる腕は並ではない。
『おとなのけんか』の会話は実にリアルだ。或る意味で脈絡のない会話が続く。それが出鱈目ではない出鱈目。言い換えれば規則性のない出鱈目。見ていてドラマの中に入り込める。それほど巧みだと思う。その一瞬間、一瞬間がパターン化されていない、そういう会話。それこそ人が普段する会話である。

昔聴いた話。ピアニストの山下洋輔曰く「セシル・テーラー(Jazzピアニスト)のように出鱈目には弾けない」人にとって出鱈目は難しい。出鱈目にやっているようでもある種のパターンに陥る。そういうことだ。
『おとなのけんか』はその出鱈目が出来ている。お見事。

思い出したのが『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない(マイク・ニコルス)1966』。封切り当時(高校生であった)見たきりで、このたびDVDで見た。これは素晴らしい。これも二組の夫婦の会話劇だが、人を描くという点ではこちらが数段上等。

という訳で『おとなのけんか』は良くできていますが大人の喧嘩の域を出ていないのです。

参考までに、『おとなのけんか』はジョディ・フォスター49歳、ケイト・ウィンスレット36歳、クリストフ・ヴァルツ55歳、ジョン・C・ライリー46歳。
『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』はエリザベス・テイラー34歳、リチャード・バートン41歳、ジョージ・シーガル32歳、サンディ・デニス29歳。
エリザベス・テーラーの貫禄は流石。





Last updated 2012.03.17 12:18:42
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