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カテゴリ:人生向上
禅宗には作務という、畑仕事や掃除などの作業がある。禅の修業は座禅を組んで瞑想するだけでなく、日常のすべての物事も修行、という考えがあるからだ。 事実、禅宗を確固たるものとした六祖慧能は、作務ばかりをする行者として修行し、師に認められ法を継いだそうな。 仕事でもそうだけど、「こんな雑用嫌だ!」って思うことがあるよね。でもこれも修行と思えば、本当はありがたい。自分を向上させる機会をわざわざ与えてくれてありがとう!ってわけ。 「雑用という仕事はない」なんて言葉もあるね。 いやぁ、仕事の道も仏の道だねぇ~。 いらっしゃいませ(*^^*) いつもありがとうございます! くつろぎ空間「ぱんどらの箱」へようこそ! ご案内は眠民の人生向上委員会の会員番号1番 なごみ系ますたーミドリの人眠民です。 ごゆっくりしていってくださいね♪ さぁて…、今日もゆる~りといきますかねぇ☆,:;+' コメントは遠慮なさらずに♪ちゃんとお返事するからね(*^-^) 僕とあなたの心の扉をノックするよ♪ ■眠民のメルマガ! → 今は凡人これからボン!人☆眠民の人生向上委員会通信 人生向上メルマガ(無料)で、人生向上する?(バックナンバー) くーまんまとめページやみんなのくーまん掲示板もあるでふよ♪ \(・(ω)・)/♪ というわけで、日常というのは馬鹿にしたものではない。毎日が同じでつまんない~~~っていうのは、実は気が付いていないだけ。意識を向けると、色々なことが見えてくる。 なーんてことを書いているけど、僕も日常に流され、物事を繊細に見られなくなることも多かったね。だから、何年も詩のようなものが書けなくなっていた。 書けないこと自体は気にはしていなかったけど、そういった感覚を取り戻したいとは思っていた。詩や小説を書く人、作曲などをする人には、この感覚分かると思う。 プロだったら「スランプ」って言われたりもするね。 そんな中で、僕が「死せる詩人」と名乗るきっかけとなった映画「いまを生きる」。その小説版に、とても素敵な言葉がある。 それは、こんな言葉だ。 詩は音楽や写真、いや、食事の準備のなかにさえ見つかるのだから--どんなものにも、それなりの啓示がふくまれている。詩はもっともありふれた日常茶飯事のなかにも存在する。だからといって、けっして"ありきたり"のものではない。 そう、日常のありふれた生活の中にも、「それ」はある。 意識を向ければそこには… 天使の微笑みが見え 精霊のささやきが聴こえる はずなんだ。 日常を非日常にするのは、自分次第。 意識の持ちよう、考え方次第ってわけ! 毎日を幸せに感じるのも、考え方次第。 あー今日も幸せだった! 明日も幸せだろうなぁ♪
それじゃあ、また!眠民でした(⌒∇⌒)ノ"アリガトウ 【すべての人に幸せが、陽の光のように惜しみなく降り注ぎますように】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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