|
|
|
|
| HOME | Diary | Profile | Auction | BBS | Bookmarks | Shopping List |
│<< 前のページへ │一覧 │
なにを想いましたか? 今年で、65回目の「原爆の日」。 今年も、同じ歌を聴きました。 「いつも見ていたヒロシマ」 http://www.youtube.com/watch?v=l2-FUxoL7v0&NR=1 (ライヴ版) http://www.youtube.com/watch?v=WSOs_Q5nWUQ 歌詞 http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND77082/index.html
「私たちにはお金はないが、人一倍、家族を思う気持ちをもっている」 10数年前、務めていた会社の旅行でフィリピンのある島に。 夕方、宿泊先から繁華街まで、片道1時間。 往復の足に、ホテルがワゴン車を出してくれた。 繁華街やリゾート地を少し離れると、未舗装の道が多い。 道の片側には高木が生い茂り、粗末な家々が点在している。 商店の窓には鉄格子がある。 印象的だったのは、どの家の周りでも人々が円をつくり、 思い思いに座り込み、談笑している姿。 ほんとにどの家も、と言うくらいに。 帰りの道のり、助手席に座ることになったので、 ドライバーに話しかけてみた。 「みんな、なにをしているの?」 「家族で話をしているだけ」 「毎日、こうしているの?」 「そう。家の中は暑いし、夜はすることもない。 (文明の機器などはない)だから夕食の後、外で涼みながら、 みんなでたわいない話をしています」 「そう・・・」 「ぼくたちの大事な時間だよ。フィリピンの人たちは貧しいけど、 家族をとても大切にしている」 「あなたは結婚しているの?」 「はい。子どもが3人います。ぼくの年齢でこっちではふつう」 (確か30前だった) (沈黙の後、彼から話しかけてきて) 「ぼくはホテルのドライバー以外にも、仕事を掛け持ちしています。 生活は楽ではないけど、夜、家に帰って家族の顔を見て、 一緒に過ごす時間はなによりのハッピー。 家族のために働きたい。そう思えることが喜びです」 (少し間があり) 「フィリピンでは、家族の時間と幸福がつながっているけど、 日本人はそうは見えません。お金はもっているけど・・・」 言われてしまったね。 すごい凹凸道を行く、その頭上には月が煌々と輝き、満天の星空。 押し黙ってウインドウ越しに夜空を見上げていた。 ある場所で車を停めたとき、彼がジュースをおごってくれた。 コップの中の氷が不安だったけど、思い切って飲み干した。 「サンキュー!」 彼の好意と笑顔が、旅土産となった。 飛行機を乗り継ぎ、マニラへ。 マニラ空港へ向かうバスの中から見えた大スラム街。 ああ、あれが・・・ 思わず息をのむ。 身近な誰かを、等身大でなにかを想う中に見つけるものは、 家族に限ったことではなく。 想う旅、という意味ではいい旅でした。 というより、いま、こんなことを思い出し、書きたいと 思っていることに意味があるのだろう。
![]() 古い街の夕方の路地を抜けると、暮らすにおいに出合う。 窓からもれる石鹸の甘い香りは、早番で仕事を終え、 ほっと息抜く人のささやかな幸福の時間だろうか。 秋刀魚を焼くそのにおいとともに立ちのぼる煙には、 家族を待つ母の気持ちがこめられているのか。 味噌汁のダシをとっているだろうニボシのにおいに、 バッタ打ちをして過ごした少年時代の放課後がよみがえる。 世の中は「暗黒の一週間」らしい。 画面に映る人々は、一様に憂鬱な顔をしながら、 株式の掲示板を眺め、インタビューに答えている。 周囲や我が身を振り返れば、自力はもとより、 他者の力を借りても根本の解決をみない、 生涯向き合い、つきあっていかなければいけないこともあるようだ。 誰でも、大小の差はあれ言えることではないのかな。 漆黒の闇が来ようとも、在るものはあり、無いものは無い。 3度のごはんはやっぱり美味いし、これから誰かと食べる 冬の鍋物だって美味いだろう。 この先、ますます困った事態などあるかもしれないし、 さらにころんでもいい心構えだけはしているが、 そんなときでも誰かと大衆酒場で食べるホルモン焼きの時間に 人と関わることの幸せを感じているだろう。 今日も路地裏の家々から、大言なく、地道に暮らしに眼を向ける 人たちのにおいが流れ、誰かに束の間の幸福と勇む気持ちを 与えてくれるのだろう。
![]() 緒形拳さんの書。 もう10年余もなるだろうか、雑誌からコピーして 机の前にピン留めしてある。 歳を重ねて、身に沁みて思うのは、 自らの想いや在り方と契ることのむずかしさ、意思の弱さ。 じぶんの想いと濃く契り、近づき続けることができるのなら、 自ずと、人との契りや関わり方も濃くなるのではないか。 そう思うのです。 時間は有限。何事なく凡庸に日々が続くとしても、 もう意識せざるをえないとこまで来ている。 こう在りたい、これだけはも一度挑みたい。 あの場所へ出かけたい。あの人と会って話がしてみたい。 で、終わるだけなら、いっそのこと想いなどもたぬ方がよいのか? そうは思わないけど、 「物持ち、金持ち、力持ち、持つもの色々あるけれど、人の気持ちにはかなわない」 と、むのたけじさんはある著書のなかで言っているが、 実にする気持ちもなく、物も金も力もないのも、やっぱり困るかなぁ。 「あんた、こんなことやってよく恥ずかしくないね」 「Ryu's Bar 気ままにいい夜」という番組の中で、ゲストの緒形拳さんが ホスト役の村上龍さんに笑みを浮かべ話かけていた様子が いまだに印象に残っている。 緒形拳さんのもつ空気とでもいうのか。 無縁でも訃報に、「惜しい」と思う存在感のある人はいる。 声・間合い含めてまだ観たかったなぁ。
「メリーさん」と、横浜で言えば。 思い浮かぶのは、おそらくこの人のことではないだろうか。 横浜に暮らす人ならば、これまで何度かは日々の話題として 口にしたこともあるのではないかな。 http://www.k2.dion.ne.jp/~dambala/top/merry.html いま、多くのメディアで取り上げられているメリーさんの映画。 http://www.hamakei.com/headline/1475/index.html http://www.barks.jp/news/?id=1000022317&v=f 今日の新聞にも、監督が横浜市長を訪ねたとの記事がありました。 初めて勤めた会社が馬車道の近くで、昼休みにユーリンファボリ (旧・有隣堂文具館跡)に行くと、よくビルの前のベンチに 一人たたずんでいた。 白塗り、白装束。 最初は、ほんとにぎょっとしたなぁ。 そのうち、いつのまにか見かけなくなったメリーさん。 その後については、聞きかじりにも満たないレベルで知ってはいる。 でもそんなことより、メリーさんはいつでもメリーさんだったなぁ。 生い立ちや本名がどうだとか気になりはしないのだけど、 メリーさんはメリーさんとして、横浜の地に証を残していた。 「メリーさん」と口にするとき、ああ自分はこの土地に暮らす時間を 置いて、長くあるのだなぁということも感じるのでありました。 一人ベンチで前をみつめ、彼女はなにを思っていたのだろうか。
一月一日に、おおみそかと元日がかさなっている。 おわったところから、はじまっている。 死ねるところは、つまり生まれるところである。 (「詞集 たいまつ1 生きる章」 むのたけじ 評論社) 書棚の片隅にたたずむ「たいまつ」を手にとるのは、 なぜか冬が多いようだ。 一つひとつ踏みしめるように進む言葉に、 やわな頭と心もなにをかを思うのだろう。 冷たい空気の中で、言葉が我が身を引き締める。 自らにウエイトを乗せる想いをもてよ、と 発する声に心の血が温まっていくのかもしれない。 今年は、冷えが厳しい模様。 寒さに凍えない言葉を、身にまとおう。
![]() 「くる年 とる年3 拓郎と超える60歳 今日…そして明日へ 同い年のスター支えに」(朝日新聞 2006.1.5) >吉田拓郎の歌しか流さない店が、北海道の室蘭市にある。 >「居酒屋 拓郎」という。 http://www2s.biglobe.ne.jp/~turky/iza/ >夜七時。ネオンも少ない東室蘭の駅前。 >拓郎が30年以上前につくった「今日までそして明日から」が流れて、 >店が始まる。 開店22年の店の主人は、拓郎さんと同い年の女性。 二人の弟さんと一緒に店を開いたのだそうで、全員が拓郎ファン。 店の名前にも迷いなし、だったと。 拓郎さんに歌に、これまで支えられてきた。これからもその姿から 元気をもらい、一緒に年齢を重ねていきたいと。 ♪ 私は今日まで生きてみました 時には誰かの力をかりて 時には誰かにしがみついて ♪ 記事は拓郎さんでしたが、誰だって、なんだって構わないと思う。 自らの動力となり、支えとなり得るものが、人だとしても、物だとしても。 時代の流行が、なんとか性がどうだとか、周りが騒がしいとしても。 ひたすらに想い、じぶんが生きていま在ると感じられるものだとしたら、 それを。 その人の、想い暮らす密度であるのかもしれないし、 凸あり凹ありの影として、拠り処としてあることなのかもしれませんが。 想い濃く、好きをもてるっていいなと思う。 で、拓郎さん。今年の九月には、かぐや姫と31年ぶりに 「つま恋」野外コンサートですか。 あの、つま恋が。 http://www.takuro-kaguyahime.com/ http://www.forlife.co.jp/yoshidatakuro/FLBF-8072.html http://d.hatena.ne.jp/asin/B0009TNGJ4 あ、そうでした。 みなさん、とっくに明けましておめでとうございます。 ♪ そしていま 私は思っています 明日からもこうして生きていくだろうと ♪ 本年も、時々、よろしくお願いします。
![]() 携帯の待ち受け画面を変えた。 どんぐり。 9月下旬のある日、お寺の片隅にあった樹木の実を、携帯で一写。 さて、なんという木の実だったか。 よくある木なのだろう、けど、なんだか同じに見えてしまう。 この程度のオツムと審美眼で、穏やかであったろう過日を 小さな画面で想いやっています。 携帯内の画像を眺めていて、たまたま出てきたものですが、 どんぐりに静かな力を感じます。 近くの里山を歩くと落ちているその実を拾い上げ、思わず立ち止まる。 なんとなく手のひらで転がしてみたときの、ふぅっとした あの力の抜け加減。そんな意味ない時間もいいもの。 どんぐり。 名にこめられた、身近な力がいいですね。 「初秋」と言えば、ロバート・B・パーカーの小説を思い出します。 http://www.○mazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150756562/503-9656472-2679949 (○にaを、→→「楽天以外のアフィリエイトが含まれています」なので) とくにパーカー好きではないのですが、初秋という言葉と連動するのが、この本。 冒険小説は、ちょっとプラスワンの頃、よく読みましたが、もうちっとも。 ギャビン・ライヤル、デズモンド・バグリー、ジャック・ヒギンズ、 ロス・マクドナルド、チャンドラー… 初秋に反応して、またページを繰ってみようかな。 どんなに落ちても、逆境にいても、人としてこれだけはしない。 自分なりの芯をもつことが、たいせつ。 かっこつけて言えば、これらの小説の根底にあるのではないか。 ぼくにとっては、そんなことを感じさせてくれる本でした。 どんぐりをころころ、肩の力を抜きつつ、しっかと前を向きたいですなぁ。
![]() ![]() のコピーです。 たまたま入手したのですが、予備知識がないので、なにがなんだか?? ネパールの神々が描かれているらしいことだけはわかります。 Googleの画像検索で「ネパール カレンダー」と入れると、かなりの数出ます。 ああ、これやこれですね。「ヴィクラム暦」って言うのですか。 けっこう変則的な感じも受けますが、信仰や自然観などとも関わって、 世界にはいろんな暦があるのでしょうね。 一年が13月まであるのは、アフリカのどこだっけ?
風は見えない だけど 木に吹けば 緑の風になり 花に吹けば 花の風になる 今、私を 過ぎていった 風は どんな風に なったのだろう。 星野富広 秋の詩みたいですが、春ということにさせていただいて。 ストーブに火を入れる回数がめっきりと少なくなりました 先だって年が明けたと思ったら、もう春がすぐそこまで来ているのですね。 なにかをしていても、していなくても、相変わらず早い早い。 ♪ああ ぼくの時計はあのときのまま 広い河原の土手の上を 振り返りながら走った ああ あれは春だったね♪ と、確か一年前も書いていたような。 思い出すのですよ、めぐるのですよ、 季節の扉をたたいてくれる曲として。 あのハモンドオルガンの音色とともに。 ♪ああ ぼくの時計はあのときのまま 風に吹き上げられた ほこりの中 二人の声も消えてしまった ああ あれは春だったね♪ って、言ってる場合じゃない、花粉でぐっしゅん 今年は当たり年なのさ、の、目目かゆかゆ。 │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||