カテゴリ:歴史/考古学/毛人
前回は弥生時代の墨書土器を取り上げて、その当時の文字は祭祀目的の記号の域から出ないと考察した。今回はそれ以後の古墳時代の状況を確認していきたい。 古墳時代の文字といえば、まず外せないのが以前にも取り上げた隅田八幡人物画像鏡である。48文字が記され。内容的にも漢字を万葉仮名的に使用している部分があるなど、漢字使用の確実な証拠となる資料である。 しかし、鏡は一方で漢字使用が一般的ではなかったことを示す強力な証拠でもある。倣製鏡にしばしばみられる擬銘帯は漢字を理解しなかった日本人が中国鏡の銘帯をまねしたものである。これは鏡の工人だけでなく、鏡の製作を依頼した権力者も文字を理解していなかったことを示す証拠といえるだろう。この擬銘帯は珍しいものではない。『古鏡集成』には109面の鏡の図版が掲載されているが、7面の鏡に擬銘帯がある。 岡山県岡山市新庄下 千足古墳出土 変形五獣鏡
奈良県奈良市山陵町字御陵前 狭木之寺間陵出土の直弧文帯縁内行花文鏡は3重の擬銘帯が巡っている。 奈良県奈良市山陵町字御陵前 狭木之寺間陵出土 直弧文帯縁内行花文鏡 倣製鏡には、他にも漢鏡であれば文字が入る方格(方形格)のなかに文字が無かったり、方格規矩鏡にあるべき十二支の文字が無かったり間違っていたりする場合など倭人の漢字知識の乏しさがはっきりと現れている。 このように古墳時代の倣製鏡は倭人社会に文字が普及していなかったことを示し、一方で隅田八幡人物画像鏡や稲荷山古墳出鉄剣に代表される金石文は少ないながらも列島での漢字使用を物語っている。 追記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.07.12 06:37:33
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