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前回は古代人、日本人にとって名前は存在と結びついた物であり。重視されてきたということを書いた。 私たちは現在、彼等程には名前を重要な物、大切な物と考えていないのではないか?名前に真剣に向き合うのは子供に名前を付ける時くらいかもしれない。 我々は人の名前を呼ぶときにその意味を意識しない。名前は単にその人を識別するIDのようになってしまっている。 一般名詞は脱意味化されることによって固有名詞になるといわれる。固有名詞の最たるものといわれる人名もやはり脱意味化されている。 名前に結局のところIDとしての意味しかないとしたら親が頭をひねって子供の名前を考える必要も無い。しかし、わたしは名前は天命であると考えている。「名前は天命である」ということに関しては以下のすぐれたブログを見ていただきたい。 名前には不思議な力が宿るという話 「BlueBloomBlog/ウェブリブログ」より わたしの考えも上のブログとほぼ同じなのだが、さらにいくつかの点を加えていきたい。 まず、人名に限らず名前、つまり名詞の機能とは何だろうか? 心の中にイメージを現出させるから、古代人は名前と存在が不可分の物だと感じたのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.04.07 22:06:42
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