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おぢさんの覚え書き

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2015.04.02
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カテゴリ:カテゴリ未分類

前回は古代人、日本人にとって名前は存在と結びついた物であり。重視されてきたということを書いた。

私たちは現在、彼等程には名前を重要な物、大切な物と考えていないのではないか?名前に真剣に向き合うのは子供に名前を付ける時くらいかもしれない。 
それ以外の時には名前の意味に注意が向くことはあまり無いように思われる。たとえば、我々は正君が悪いことをしても、愛ちゃんが愛想が無くても、誠君が嘘つきだろうが、明君が暗かろうと気にも留めないどころか気付きもしない。

我々は人の名前を呼ぶときにその意味を意識しない。名前は単にその人を識別するIDのようになってしまっている。 一般名詞は脱意味化されることによって固有名詞になるといわれる。固有名詞の最たるものといわれる人名もやはり脱意味化されている。

名前に結局のところIDとしての意味しかないとしたら親が頭をひねって子供の名前を考える必要も無い。しかし、わたしは名前は天命であると考えている。「名前は天命である」ということに関しては以下のすぐれたブログを見ていただきたい。

名前には不思議な力が宿るという話 「BlueBloomBlog/ウェブリブログ」より

わたしの考えも上のブログとほぼ同じなのだが、さらにいくつかの点を加えていきたい。

まず、人名に限らず名前、つまり名詞の機能とは何だろうか?
これは文の中で何らかの物・事を示すことである。聞いた者の心の中にその物事をイメージさせることが名詞・名前の機能である。

心の中にイメージを現出させるから、古代人は名前と存在が不可分の物だと感じたのだろう。 

つづく 






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Last updated  2015.04.07 22:06:42
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