読書『中国の科学と文明』-1
図解中国の科学と文明ロバート・テンプル2008/10/1ニーダムプロブレム(なぜ文明の進んでいた中国が西洋に追い越されたのか)という問題提起をした。ジョセフ・ニーダムの「中国の科学と文明」シリーズのダイジェスト版である。 私は根拠は薄弱だが西洋に東洋が追い越されたのは、活版印刷が西洋で先に普及したことが原因ではないかと思っている。その印刷術について本書の情報をピックアップしておこう。以下に「印刷」(p179~p.190)の節からの情報を中心に関連情報を載せる。紙や絹に木版印刷することは七世紀に中国で始まり、その実例は八世紀から残っている。書物や聖典を大量生産する方法には、原典を彫り込んだ石を使う石摺りもあった。現存はしないが175年から183年の間に、20万字にのぼる儒教の七大古典の全集本が46枚の石板に彫られた。833~837年に同様のものが西安近郊に作られ「碑林」として知られている。6世紀から11世紀に彫られた仏教経典の石版も7千枚残っている。石摺りの技術と経典の普及がそれに対する欲求を煽る働きをしたらしい。世界最古の印刷物は仏教の魔除けの巻紙(無垢浄光大陀羅尼経)で、これは中国で印刷され1966年に朝鮮半島南東部の仏国寺で発見された。←2007年の朝鮮日報の記事によりこの印刷物は11世紀の物である可能性が高いことが明らかになっている。仏教徒は新しい技術を日本に伝え、そこで朝鮮の巻紙と同様な仏教の経文をお守りとして「一万部」も印刷したのである。それは764年に印刷されたのに、現在もまだ数多く残されている。←法隆寺伝来の百万塔陀羅尼最初の完全な印刷本は868年印刷の『金剛経』である。朝鮮南部の伽耶山にある海印寺には両面を彫った版木81,258枚が現存している。大量の版木は中国では例外的ではなかった。17世紀のある印刷業者は『十三経注疏』(じゅうさんけいちゅうそ)に11,846枚、『十七史』には22,293枚の版木を使用した。