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カテゴリ:生活・文化
結局は、薬王菩薩は法師品第十での釈迦からの熱心な教えをしっかりと理解したり守ってはいないのかもしれませんね。
また、薬王菩薩は案外、自分のためにする勉強や修行が本当は苦手なのかもしれません。 薬王は、何となく古くからの由緒ある王家の生まれで、そして自分の思い通りに自由に判断して育ってきた習慣や因縁があるからなのかもしれません。 そんな薬王菩薩は、前品の観世音菩薩の正義の味方のようなスーパースター的な評判の高いアピールに対し、それを支持する信者がいとも簡単に合理的手段な信仰だけで楽に救われるというただ単純そうな矛盾ある不可思議に対して、いたたまれなく感じていたのかもしれません。 薬王菩薩自身の気持はその薬王菩薩自身が一番よく知っている、今すぐにも自分が出来る範囲で、一体何をすれば一番良いのか、そのように思い悩んでいた薬王菩薩のたった今必要なものは何かのその判断が、ひょっとすればもはや釈迦のかつてからのアドバイスを超えたのかもしれません。 ですから、この薬王菩薩こそが、今までの釈迦の教えから最初に自立を果たした修行者ナンバーワンなのかもしれません。 釈迦にとっても思いもよらず、今やっと薬王に任せていける、そろそろ長らくの肩の荷も降り出したという感じの、この陀羅尼品になりそうです。 「 5. 今 日 の 解 脱 !(解)」より 第2-26日 Vol.54 陀羅尼呪を与えて、守護すべし 【陀羅尼品第二十六】(四行~九行) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.06.25 23:14:51
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