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ナラティヴ ひとり語り

ナラティヴ ひとり語り

・・・『闇の守り人』

『闇の守り人』上橋菜穂子=作、二木真希子=絵(偕成社)

 『闇の守り人』は、娘が小学4,5年の時に「この本がほしい」と言って、誕生日に買った「守り人」シリーズの2巻目である。娘と夫は新しい巻が出るのを楽しみに待ちながら読み続けていたが、私は何度か読もうとしながら、読めないでいた。
 娘が帰省した折り、「台所仕事を手伝うのと、本を読み聞かせするのと、どっちがいい?」と言うので、私は迷わず読み聞かせを選んだ。「老いては子に読み聞かせをしてもらえ!」である。その時に台所仕事をしながら読み聞かせてもらったのが、このシリーズの1巻目『精霊の守り人』だった。娘が帰ってしまった後は、夫が引き継いで読み聞かせてくれ、続けてこの2巻目に入った。半ばあたりまで読んでもらって、後は自分で一気に読んだ。これは、娘に読み聞かせをする時の私のやり方そのものだ。シリーズものは、自分で読みたくなるのを狙って一巻だけ読んでやる、という手法。長年自分が娘にとってきた方策に私はまんまと嵌ってしまったのだった。
 さて、この『闇の守り人』を読んで、私は亡くなった母のことを思った。
 私の両親は私が生まれて半年で離婚をした。母が、親の家に帰ろうとした時、父親(私の祖父)から「子どもを孤児院に預けてくるのでなければ帰ってきてはいけない」と言われたようだ。けれど、母にはそれが出来ず、祖父も子どもを連れて帰ってきた娘を受け入れ、結局、私は祖父母の元で母に育てられたのだった。
 いつの頃からか私は、「自分が生まれていなければ、母は人生をやり直すことができたかもしれない」と考えるようになっていた。そしてそれは、いつしか私の罪意識になっていった。「存在すること、それ自体が、誰かの人生を損なう」ということがあるのだ、と。キリスト教の神学者や、牧師が聞けば、そんな罪理解は間違っていると言うかも知れない。けれど、人は神の御心を完全に理解することは出来ず、生きている世界と理解の限界を超えては理解することができないと思うので、今のところ私は、こんな風にしか罪というものを捉えることが出来ないでいる。
 けれど、この『闇の守り人』を読んで、「重荷となっていた存在が錘となって、その人を支えていた」ということがあるかも知れない、と思ったのだった。
 50歳を過ぎて、娘の愛読書である児童書によって闇の守り人と向かい合った私は、<青く光る石>を手にして新たに生き始めようとしている。いつか、受け継いだものを又、私も次の世代に手渡すために。


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