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ナラティヴ ひとり語り

ナラティヴ ひとり語り

この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ2

『ムーミン谷の仲間たち』トーベ・ヤンソン=作(講談社青い鳥文庫)

 「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」に深く感動して、夫に読み聞かせると、「竜巻に家をとばされて、その人は喜んでるの?」と言う。「あぁ、そうだねぇ。わかり合えないけれど共に生きていくことができるということにばかり思いがいっていて、そのことに気付かなかった」と思った。
ー引用
フィリフヨンカのつねとして、かの女もこちゃこちゃしたしなものを、どっさりもっています。小さいかがみだの、赤いビロードのわくにいれた写真だの、・・ーそう、人生をいっそうたのしくゆたかにし、いっそうきけんのすくないものにする、ありとあらゆる品々です。ー
ー引用
「このおだやかさは、ふつうじゃないわね。なにかおそろしいことが、きっとおこるのよ。ねぇ、ガフサさん、わたしたちはとても小さくて、とるにたりないいきものですわ。それから、わたしたちのこのおかしだとか、じゅうたんだとか、いろんなものもね。それでいて、こうしたものは、とてもわたしたちにたいせつなんだけれど、それがいつでもいじわるななにものかに、おびやかされているんですわ・・」ー

 私は、子どもの頃から死を怖れていたが、10代後半でキリスト教の洗礼を受け20代の終わり頃には、傲慢なようだが「いつ死んでもかまわない」と思っていた。ところが、神さまはこの傲慢を程なくして打ち砕かれた。結婚して子どもが生まれると、私は死ぬのがとても怖くなった。そして子どもに死なれることも恐ろしいと思った。生まれてすぐにアトピーだと分かってからは、湿疹が喉の内側に出来て窒息したらどうしようという恐怖に駆られて、自己流の厳しい除去食をした。母乳を飲ませていた私は急激に痩せて自律神経を失調し、以来十数年の間、体調が元に戻らなかった(体重は断乳と共に元に戻り、それ以上に増えてしまっているがー笑えない話だ)。
 神以外のものに、神以上の宝を見出すということは、こういう恐怖を引き起こすということなのかもしれない。
 夫の言葉を聞いてこの本を読み返し、聖書の中のヨブの言葉を思い起こした。「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(ヨブ記1:21)もっとも、ヨブは子どもや財産を持っている時もこの世の終わりに怯えていたわけではないが・・。
 それにしても作者のトーベ・ヤンソンという人は、人間心理の深くを見つめていた人だと思う。しかし、この物語は子ども達にどういうふうに読まれるのだろうか。50才を過ぎて初めて読んだ私には想像することさえできない。そして娘に読み聞かせて感想を聞くにも、もう成人してしまっている。大人になっても年老いても感動できる児童書に出会えるということは嬉しいことだが、子ども達の感想が聞けないということは、まことに残念なことだと思う。


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