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いしまの上海つぼやき日記 [全524件]
眉毛イヌ子(38歳仮名)は5月下旬に沖縄へ行く予定。 ![]() バイブルはこの3冊。 「るるぶ」でグルメや主な観光地を 「琉球史の教科書」で沖縄の歴史を 「本土の人は知らないけど沖縄の人は知っている」で米軍基地問題を予習中。。 沖縄の友人二人から基地問題(普天間基地)について問われたときに 自分が基地問題について全くといっていいほど知識が無いことに気がついた。 二人はは「これだから本土の人は。」と呆れて笑れましたが これは笑い事ではない気が・・・。 読み始めた「本土の人は知らないけど沖縄の人は知っている」。 いや、すごいです。 沖縄の基地ってこんな街中にあったんだ・・・・ 学校や幼稚園の後ろで戦闘機が飛んでます。 沖縄の基地って「基地の基準」を全く満たしていないそうです。(住宅からの距離、訓練時間など) アメリカ本土のアメリカ人にそのことを伝えると 「そんな(あまりにも危険な)基地あるわけない!」と誰も信じてくれないのだとか。。 実家近くにも米軍基地がありましたが、こんなに目の前では飛んでいなかった。 毎年友好祭などが開かれ、楽しみにしていたけど 事情というものを知ってしまうと、なんともいえない。 無知ほど怖いものはないです、ほんとに。 さて、こちらの本、基地にまつわる歴史的背景、「沖縄」は世界のキーポイントだったことも 分かりやすく書かれている。 これを読んでしまうと、現在の「憲法」は何ぞやと思うことも。 心に残る1冊です。 「琉球史の教科書」は高等学校で使用されている教科書ですが、 意外と面白い。 琉球王国の歴史、起源は知らなかったことばかり。 知らないどころか、読めないです。。漢字が難しくて。 そして私が学んだ日本史に書かれている事とは 異なった部分が多く、その教科書事態が如何に本土より(?)というか 日本政府にとって都合の悪いことは書いていない。。(触れていない) アイヌ民族に関してもそうだけど、、真実は他にあるといったところでしょうか。 知らないだけで歴史は大きく捻じ曲げられて伝えられているのかもしれない。 実際琉球史の教科書の「まえがき」のところではそういったことも記されています。 この3冊を交互に読んでいると、時代・地域の歴史的背景がみえてきて 「今の沖縄」とリンクします。 1冊を集中して読むとどうしても感情的になりがちだけど この方法ならば、重くならずに読むことができます。 そして「るるぶ」これをみると 気分は「めんそ~れ」。 美しい海、自然を目指していってきます!
大変ご無沙汰しております! 眉毛イヌ子(仮名38歳)です。 長い間、楽天日記にログインができず諦めていたところ たまたま先ほどクリックしたらあれよあれよと ログインできました!!笑 なぜか他の方の日記を読むこともできませんでした。 (ページを開くのに20分くらいかかってしまうのです。) その間ミクシィにくだらないことを書いていましたが アレですね、アレ。 ミクシイって身近すぎ、リアルすぎて 思ったこと書けませんね。(書いてるけど) 友人の友人とか、 中学の同級生で10年ぶり位で再会した友人とか 知っているようで知らない人とか 取引先でいつもは真剣に仕事している相手とかに 突然心の中を見せちゃうみたいで ちょっと恥ずかしかったです。。 みんなあまり長文は書かないし。 楽天の仲間に「眉毛イヌ子が居ない」と連絡がありましたので 「逃亡中」とか「潜伏中」とか言ってましたけど やっぱりここがホームというかなんというか。 とにかく戻ってこられてよかった! 涙 と一人で感極まっている眉毛イヌ子でした。
ボランティア活動2日目。 台風の影響もあり、活動は12時までということだった。 本日は津波で流されたお宅の跡地が草やがれきの山となっているので 片付けてほしいとのことだった。 昨日と違い今日は海沿いを進む。 驚いた。 鉄橋は真ん中からなくなり(おそらく折れた) 線路もない、5階建てのマンションは4階まで何かが突き抜けた跡。(津波である) 怪獣が踏み潰したかのように曲がった車の数といったら。 工事現場のようながれきの山、山、山。 至るところに船が置き去りになっている。 これが本当に日本なの? 日本●景とまでいわれた陸前高田なの? 見渡す限りの広大な土地、ただの「土地」だと思っていたが 住宅地だったとのこと。 全員が息を呑む。 ブルトーザーやシャベルカーがひっきりなしに 動いてがれきを運ぶ。 そんな景色を両方の車窓にみながらバスは依頼主のお宅へと急ぐ。 二日目に向かったのは 道路を挟んで目の前に穏やかな海が広がる、景色の良いところだった。 家が流されやはりそこも草が生えたくさんのがれきだらけになっていた。 ただ昨日と違うのは住宅の跡ということで、家庭用品がいたるところに埋まっていること。 詮の空いていないビール、コップ、新しいお皿、調味料、 そしておびただしい量のガラス。 手を切らないようにそっと運びだしてゆく。 庭だったところには松の木が植えてあった。 松の木には地上から3メートルくらいの高さまで、水が入ってきていることがわかる痕跡があった。 作業が終わるころ依頼主の方がでてきたので お話を聞いてみた。 其の方はあの日、流されてしまった家の斜め上にあるお宅に居たそうだ。 「あのとき私は「棒」でした。ただ生きていただけです。その高台にいても家は40センチ水に埋まりました。」 丁寧にお礼を言ってバスに乗り込んだ。 ガイドさんがツアー参加者にお礼を言い、今日の作業の依頼者さんの お話になった。 「今日みなさんがお掃除していただいたのは、実は津波でお亡くなりになった●さんのお宅でした。 ご近所の方が、家まわりが草だらけではあまりにも不憫だ」ということで センターへ依頼してくださいました。」とのことであった。 胸が苦しかった。 けれどそんな気持ちを解してくれたのが 陸前高田のボランティアセンターの方々だった。 作業が終了すると一度センターに戻るきまりになっている。 私たちも作業を終えた後はセンターに行き、鎌やスコップを返却する。 センターのスタッフは大雨のなか、テキパキと指示をだし、お手洗いに並んでいる人をみると 「あちらのお手洗いを女性ようにしましたから、お使いください」と誘導したり 「大雨のなかご苦労様です。」とタオル、お菓子、暖かい飲み物を差し出してくれる。 元気を分けたいはずなのに、こちらが元気をいただいているようだ。 冷たくなった身体にココアが染み込んで、涙すらでそうになる。 更にボランティアに向かうバス、センターから宿泊地へ戻ってゆく、バスや車を 必ずみなさんで見送ってくださるのだ。 それもとてもすてきな笑顔で、両手を振って。 「ありがとう!気をつけていってらっしゃい!!)」 こんな状況なのにどこから笑顔が、やさしい言葉がでてくるのだろう。。 こんな笑顔になれるまで、たくさんの辛く悲しい思いして・・。 と、ここまで、書いてキーボードを叩く自分がいやになってしまった。 どうしても感情が先になってしまい、 冷静に物事をみつめることができなくなってしまうからだ。 なのでしばらく時間を置いてみた。 普通の生活に戻り、客観的にものごとを見られるようになってから続きを書こうと思ったら すでに2週間以上経ってしまった。 今回の活動に参加して思ったことを簡単に書いてしまうと 現地では個人ひとり、一人をみるとまだお手伝いが必要な状態であるということだった。。 実際作業をしてみると完全復興には気が遠くなりそうな時間がかかるだろう、 そして復興が不可能である場所だってあるのではないだろうかと思わせられる。 風任さんも書いているが、そんな状態であっても 末永い支援し現地を忘れないということが被災した方々の生きる希望になり、 そして大きな力となっていくのだと思う。 ボランティア活動は実際に動ける時間は限られている。 宿泊先→ボランティアセンター→活動予定地までゆくのに2~3時間要するからだ。 なので実質3~5時間ほどしか活動できない。 けれど小さい力も継続すれば大きくなるのだ。 次回帰国した際にも私は現地を訪れたい。 人の生きる、前に向かうパワーはすごい、私も見習いたい。 そしてまだそう思えない方々を救いたい、力になりたい、と何もできないくせに思いました。何かできるかなあ、、 ※今回ボランティア活動をするにあたり風任さんから たくさんのアドバイス、応援をいただきました。 実際風任さんも早い時期にボランティアへ参加されていました。 ありがとうございました! こんなかんじでがれきを分別していました。 ![]()
9月23日現在 機上の人、眉毛イヌ子(37歳仮名)某東の国から 大陸へご帰還です。 機内食も食べたし何にもすることがないので楽天日記でもかいてみようかしらん。 今回は岩手県陸前高田市へ行ってきた。 4日間のボランティアツアーに参加するためだ。移動日含めて作業は実質2日間。 ボランティアの「ボ」の字も知らないイヌ子、果たして何ができるのか。 東京駅バスターミナルを22時に出発し現地に到着するのは午前6時前後。 活動の内容は当日にならないとわからないため まずはボランティアセンターへ行って指示を仰ぐ。 震災から半年が経った今、ボランティア活動は個人からの依頼によって 現地に赴くといったものが多いとのこと。 例えば津波に襲われ泥やガレキだらけになってしまった家のお掃除だとか、 田畑や基礎だけになり、のび放題になってしまった雑草の草刈などだ。 被災者の方にはすでに新しい生活をスタートしている人と そうできない方もいるとのこと。 地震を経験し、津波を目の当たりにして 荒れてしまった自分の土地や家を前にどうしていいかわからない。 手のつけようがないということで、希望の光を失っている方が多いとか。 ボランティアの活動によって以前とすっかり同じにはならないけど すこしでもきれいになった土地や家をみることにより、一歩前進するきっかけを つくりたいということで個人の依頼を受けているとのことであった。 私たちの初日のお仕事は個人の田畑であった場所の草刈とがれき撤去。 ツアー客総勢40名を乗せ、目的地まで急ぐ。 慣れない手つきで鎌をふり雑草を刈ってゆく。 鎌なんて使ったことがないので、手を切らないように細心の注意をしての作業だ。 もと田んぼであったとういことだけに、地面はぬかるみ、沼状態。 大雨も相成って開始して5分で「だいじょうぶかしら」なんて弱音を吐きたくなるくらい。 また雑草の丈が非常に高い、175センチくらいの雑草を黙々と刈ってゆく。 そのうち足につまずくものを発見。 なにやら取ってのようなものを引っ張ってみると、それがとてつもなく重い。 さらにはふかーいところまで埋まっている。 砂が付着しているため大人二人で持ち上げようとしてもなかなか 上がらない。スコップなどをつかってやっと持ち上げてみた。 掃除機だった。 そのほか、靴、ずぼん、ハシゴ(脚立?というのかな)鉄ゆがんだの棒(なにかわらない)、車のバンパー? 漁に使う網などありとあらゆるものがでてくる。 更には女性用のバック、開けてみると使いかけのリップスティックがでてきた。 そんなとき思う。 このバックの持ち主は無事であっただろうか、 そのとき何をしていたのだろうか、家族は?友達は?? いたたまれない、その場を離れたい気持ちにもなってくる。 おとな40人で3時間作業をしていても がれき撤去はおろか、草刈も完了できていない。 がれきなんて田んぼをさぐればいくらでも出てくるだろう。 これでは未来への希望を見失うのも当然だ。 「もう半年も経ったのだからボランティアなんて必要ないのでは?」という声も 聞こえてきそうだが、主要道路や海岸線の復興はどんどんおこなわれている。 けれど個人を含む「全体」を考えると人手が足りていない。。手を付けられていない「被災地」がまだまだあるのだ。 何百年、何千年かけて耕した土地が一瞬にして塩とヘドロとがれきが交じり合った 津波に襲われた。 豊かな土地は考えたくないような長い年月をかけないと元には戻らないだろう。 ツアーガイドさんは 「みなさん、作業が足りなかった、自分は無力だ、何もできないとか考えないで下さい。 来ていただいて作業をしてくださること、その姿をみせてくれるだけで励みになるのです。 「忘れられていない」ということが被災した人たちへの安心感へ変わるのです」と言っていた。 ツアー参加者は私を含め 一人で参加している人がほとんどだった。 バスでとなりになった女性Nは、ツアー参加4回目。 毎月参加しているそうだ。 彼女とはバスに座って1分も経たずに仲良くなった。 以前からの友人みたいだ。 こんな事ってあるんだ、と思うくらい。 毎月ツアーに参加している理由をきいてみた。 彼女はこう言った。 「私のなかで活動はまだ終わっていないんです、完結していない。 そして毎回来ると思うのだけど、一ヶ月後被災地がどうなっているかこの目でみたい。 どんな風にかわってゆくかが見たいんです。私にとって今年はボランティアの年なんです。」 正直すごいなあと思った。 ツアーだって変な話ただではない、3万円強はかかるのだ。 日程調整だって容易ではないだろう。 それをきちんとやりくりしている、それだけで頭が下がる思いだ。 Nは「国が負担してくれればもっと活動に参加する人が増えるのにね。。」とつぶやいていた。 そしてこの人は作業がはじまると行動派テキパキ、無言で無心で作業をする人物であった。 心のやさしい、奥がとても熱い人だ。 一日目は大雨の為に早めに終了した。 あまり寝ていないのにも関わらず特に疲労も感じなかった。 みたこと感じたことがダイレクトに伝わってきて、なかなか眠りにつくことができなかった。。 2へつづく
涼しくなりました。眉毛イヌ子(37歳仮名) 上海の今年の夏、短かったです。 以下読み返して無いので誤字脱字、多数発生してますが 気にしないでください・・ 昨年は毎日37越え、時には40度を超す日もあるほどの猛暑でしたが 今年はそんな日もなく台風が去った後は、秋への道をひたすら歩んでいるような気がします。 (といっても7月はやはり暑かったのだが)。 ふと思い出したが 自分が子供のころの夏というのは 暑い日でも一日中冷房を付けっぱなし、、ということはなかったと思う。 我が家の冷房営業時間は午後2時~4時ごろまで 夕方には冷麦食べて、スイカたべてあー涼しい、、なんてかんじだった。 就寝時も扇風機だったし。 そしてクーラーなんてものは高校時代もなかった。 夏休み校庭で運動していても、倒れもしなかったしそれが普通だった。 現在はどうなのだろう、学校で部活動の時間を制限したりしているのだろうか。 体育館でも倒れる生徒は続出しているのだろうか。 世界各国で頻繁に発生している地震、 猛威を奮う台風。 こういった生物にとっての災害は 地球が自身をデトックスしているという人もいる。 もしそうだとしたら 人間が住みやすい環境をつくるということは 全く地球の意思とは反したことをしていることに成るのではないだろうか。 地球単位で考えたとき、われわれというのはとても小さい存在で 命も意思も感情も関係なくただされるがままで。。 だとしたらとても悲しい。 しかしそうやって人類も発展してきたのだと思うと なんだかやりきれない。
兄と兄の同僚がやってきた!初めての上海~。 「せっかくだから」と会社の上司が食事へ招待してくれた。 兄も同僚(白酒大好き)も飲めるため、激しい白酒飲みが始まった。 イヌ子の「やってしまった話」を肴に展開した激しい飲みも終了。 その後なぜか我が家で浴室の電気の修理をする同僚(一応初対面)。 ショートし真っ暗になったりもしたがなんと修理完了。。 ![]() イヌ子の浴室からリビングへの鍵が壊れていることを知った兄は 「上の窓をとりはずそう」と言い出した。 イヌ子「はあ?」 兄「鍵が壊れたらフロに閉じ込められて出られなくなるんだから ここしか、外へ出るところはないんだ。だから外すよ。ついでにドアの鍵もガムテープで固定しよう。」 同僚「外しますよ~。」 イヌ子「・・・。(どーしよう)」 兄とはこういうものだろうか・・・。 まるで父親のようだ。 旅行中に電気修理と窓とかぎを取り外す作業をさせられている 同僚もたまったものではないだろう・・。 でも全然いやそうじゃない、むしろ楽しそうだ! しかしこういうところはやはり男性、やることが早い! ![]() 同僚をわき目にくつろぎすぎる兄・・・。(イヌ子は映ってないから勝手にアップするよ、おにーちゃん) 大人の二人は屋根にまで登ってしまった・・・。 ![]() 落ちるよ・・。 そして一昨日はは蘇州観光。 イヌこは仕事では行く機会があるが、実はまともに蘇州観光したことがない。 なので、ガイドさんをお願いすることに。 留園で3人で並んで写真を撮った。 ![]() 微妙な距離感がかなりおかしい。 上海までの新幹線のなかでは 3人で夕食を四川料理にするか、上海料理にするかで本気で争った。 大人なのに。。。 くだらないことで争える身内って楽である。(いつしか同僚も身内なみの扱いに・・。) 短い時間ではあったけど楽しい旅であった。 また来てね! ![]() 運河を船で・・。 ※今回かんじたこと 男性の旅行は女性同士とちがい「ぶらぶら」とか 「とりあえず」がない。 「無駄をせず効率的に、行きたいところは必ず行く!」ということである。 まあ、女性もそりゃそうですが、けれど妥協しないというか。。。 女性はネイルサロンやおしゃれなカフェへ行きたい、、という方が多いが 男性は博物館、世界遺産、歴史的建造物をみる、という 「旅行らしい目的」があるようだ。
イヌ子の勤める会社では 昨年から中国人社員の結婚式&出産が続いている。 今年に入ってからは4人程結婚してそれとは別に何人かが妊娠している。 明日の日曜日も長年勤めた社員(46歳初婚)の結婚式がある。 招待状を渡されたのは今週の月曜日。。。 せめて1ヶ月、いや半月前に教えて頂戴よ!といいたいところである。 だって色々都合があるし。 もう一人の日本人スタッフは「給料日前でご祝儀のお金がない。。」と言っていた。 それは良いとして、 中国の結婚式は全体的にカジュアルだ。 招待客はテキトーにやってきて、食べて飲んで帰ってゆく。 一昔前はご祝儀だって払いたくなければ払わなくてもよかったし ジーンズだってTシャツだってかまわず着てくるし 家族でやってきてご飯だけ食べて帰ってゆく人もいる。 盛り上がってるのは本人と親戚だけとか。笑 そういう意味では出席者も楽である。 特別ドレスなんて着なくてもいいし(ワンピースくらい着ていけばいいし) 髪型だってちょっとおしゃれするくらいでかまわない。。 しかし最近の上海での結婚式は変わってきた。。。 そう、日系のブライダル会社が進出してから急速に変化しだしたのだ。 ゼク●ィなんて雑誌もある。 「我要結婚!」なんて女の子が叫んでるCMもある。 本来「目立ちたがり&自分の世界が大好き」な国の人たち かつて日本でもゴンドラから降りてきたり 何度もお色直しをする結婚式があったと聞いたことがあるが 上海はまさにそんな感じ。 ただちょっと違うのが 派手だけでなく「センス」も問われるということ。 親戚から友人、会社の人までが参加する結婚式。 一人っ子政策真っ只中に産まれた彼らが 結婚式にかける情熱はそれはそれはものすごい。 その情熱の一部分でいいから仕事に傾けてよ、といいたくなることもしばしばだ。 式の前には二人でアイドルのようなポーズをとって撮影した アルバムを制作。しかも1日がかりで街中を移動して撮影。 アルバムは式の前に完成するので、それを周囲の人々に披露する。 シャイな日本人からみれば、赤面するようなポーズばかりだ。 ついでに其の中から寝室やリビングへ飾る写真も選ぶ。 壁紙とまちがうくらい大きく引き伸ばすカップルも多い。 これまた見るのも恥ずかしい。 式も最近は老房子(洋館)を貸しきったレストランウエディング、 ガーデンパーティなど様々だ。 また引き出物というものは無いのだが 結婚したことを知らせるチョコレートとを配る習慣がある。 以前は石鹸のようにお口で溶けないチョコレートや キャンディの味のしないキャンディが配られることもあったが (ものすごく身体にわるそうな) 最近では有名ショップのチョコレートやクッキーなどが配られることもしばしば。 先月もある社員の結婚式に出席したが 彼の場合は洋館を貸切り、ガーデンでダンス(もちろん二人だけのチーク)を披露し 周囲では花火が1,5mほど火花をちらし、招待客がそれを見物。。と いうパフォーマンス?があった。 中国人出席者はそのロマンティクな情景に?うっとりし、また 花火にみとれてはいたが、日本人出席者はみんな気恥ずかしいやらなにやらで 目を背けていた。。笑 というか言葉がなかった。 だってほんとい恥ずかしかったんですもの。 みんなに見守られながらのチークダンス。 どんな気分なんだろう、、全く理解できない・・。 更に面白いことに新郎新婦の結婚式なのに バンニャン(お付きの女の子)が挨拶の際に 「結婚相手をさがしています募集中です!要求は私を愛してくれる人です!」と 客人に向かって熱弁していた。(もちろん彼女はものすごくドレスアップしている。) 日本人からしてみたらびっくりしてしまう光景だが この場で友人が恋人を募集したり、求婚?したりという話は当たり前で 現に私の親友は(日本人)恋人(中国人)の友人の結婚式に出席した際 壇上によばれ、何かと思ったら、みんなの前でプロポーズされたそうな・・・。 二人は今は夫婦になっている。 そしてイヌ子も昨年これまた社員の結結婚式に出席した際、壇上によばれ 「だれかイヌ子さんの相手をさがしてください!この人は本当にいい人です!」と 新婦が好意を持ってイヌ子の「お婿さん探し」を訴えて出た。 頼んでもいないのに、とてもありがたい!!(といっておこう)が、 かなり余計なお世話である・・・。 式が終わってからは二次会などないので 自由解散となるのだが、日本人は日本人同士で日本料理やさんで 二次会などをするのがわが社のパターンとなっている。 最近思うのだが・・ この国は日本とこんなにも近いし民族も同じなのに 考え方、思考が全く違うように思える。 他の国で生活したことはないから良くわからないが 外国の人ってこんなにも違うのだろうか??(今更??笑) それとも中国人だけだろうか。 アメリカ人やフランス人やアフリカ人やイラン人とはもっと共通する 思考や習慣があるのだろうか。 というか、アジア人なのに、まるで「違うアジアの人」のような気すらしてきた。。。 ということで 明日の結婚式も最近の「NEW」なスタイルだったらどうしようと聊か不安だ。 何が不安かというと、なんせ着ていく服がない。。 社内で何度も入れ替わり立ち代り結婚式があるのだから それになりに服も着まわしということになる。 ですがまだイヌ子も一応独身、そんなに着まわし服は着ていけません、、ということで 浴衣でも着ていこうかと思う。笑 失礼ではなかろう。 昨年は着物を着て行ったが暑いのなんのって。 浴衣で勘弁してください! |一覧| |