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2023年3月21日、第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本が米国に3対2で競り勝ち、優勝しました。
色々な新聞で、必ず「栗の樹ファーム」の事が記されているので、一部を紹介します。 ーーーーーーーーー 1)2023年3月23日付朝日新聞朝刊 (一部抜粋) 栗山流「一丸」の結晶 少年野球場が原点 つないで力に(マイアミ=山口史朗氏) 「あれ(栗の樹ファーム)をつくっていなかったら、僕はきっと監督になっていない」 札幌市から東へ、車で約1時間。北海道栗山町の丘陵地にある少年野球場のことだ。東京都出身で、北海道にゆかりのなかった栗山が、この地に居を構え、「栗の樹ファーム」を開いたのは20年ほど前になる。 1999年。「同じ名前」だという縁で、街の青年会議所(JⅭ)から観光大使を依頼された。栗山も町が気に入った。現役選手を引退して以来抱いていた「夢」を、地元の人たちに語った。 映画「フィールド・オブ・ドリームス」のような、緑豊かな野球場をつくりたいと。主人公の男性が、トウモロコシ畑をつぶして野球場をつくる。その球場に過去の野球選手や試合を観戦する人ら、大勢の人が集まってくる物語だ。 亡くなった主人公の父親も現れ、親子でキャッチボールをする一幕がある。父とのキャッチボールは、栗山にとっても野球をはじめた原点だった。 栗山は米アイオワ州の映画ロケ地を訪ねたことがある。日本と台湾、米国の子供達がいた。気がつけば、言葉の通じない子ども同士が、試合のような形で遊んでいた。その光景が忘れられないでいる。 「野球の意味を感じさせられた。外国の人も、みんなが仲間なんだと」 栗山は私費を投じ、町の人たちの協力もあって荒れ地を整えた。2002年、芝を種から育てた両翼70メートルの野球場が完成した。野球教室や大会を開いた。誰でも気軽にキャッチボールしてほしいと、球場入口にグラブやボールを置いた。 2011年秋、日本ハムから監督就任の要請が届いた。栗の樹ファームでの活動、スポーツキャスターとして野球に真摯に向き合う姿が、誰よりも野球を愛していると映ったからだという。 そんな人が率いる日本代表に、ダルビッシュ有(パドレス)、大谷翔平(エンゼルス)ら最高の選手が集まった。日系米国人の大リーガーも初めて代表に入った。栗山の肝煎り、ラーズ・ヌートバー(カージナルズ)は日本語を話せない。 9日にあった中国代表との大会初戦。一回、1番打者ヌートバーのヒットにベンチも観客も沸いた。その一体感は、栗山がアイオワで見た子供たちの姿に通じるものだった。 ↓2023年3月23日付朝日新聞朝刊。 ![]() ーーーーーーーーー 2)2023年3月23日付スポーツニッポン 一部抜粋(秋村誠人氏) 名前が同じ縁で交流が始まった北海道栗山町に野球場を造ったのは2002年。その背中を押したのが、映画「フィールド・オブ・ドリームス」だった。 1999年、映画の舞台の米アイオワ州のトウモロコシ畑の中の野球場を訪れた時に「違う国の子供たちが、言葉が通じないのに仲良く野球をしてた。野球って凄い」と感激。私財を投じて映画と同じ天然芝の野球場を造り「栗の樹ファーム」を開場した。 アイオワを訪れてから24年。栗山監督はマイアミで同じ言葉を口にした。準決勝の劇的な逆転サヨナラ勝ちに「野球ってすげえな」と、この夜も大谷対トラウトでのゲームセットに「野球って凄い」と。映画のような夢を見せてくれる野球に心酔した。 映画はケビン・コスナー演じる主人公が「それを造れば、彼が来る」という声を聞いて野球場を造ると、往年の名選手がやってきて最後に「彼(仲たがいしたまま他界した父)」が現れる。 栗山監督は、栗の樹ファーム開場の10年後に日本ハム監督、その10年後に侍ジャパン監督に就任した。「それを造ったら、ユニホームを着た自分と、”監督と野球ができて良かった”と言ってくれる全ての選手たちが現れた」。大谷と出会い、メジャーへ巣立った愛弟子と米国を倒して世界一になった。それは「フィールド・オブ・ドリームス」そのものだ。(秋村誠人氏) 【フィールド・オブ・ドリームス】 1989年公開の米国映画。ケビン・コスナー演じるアイオワ州の農民レイ・キンセラは「それを造れば、彼が来る」という不思議な声を聞く。周囲の反対を押し切り野球場を造ると、シューレス・ジョー・ジャクソンら、伝説の選手たちがトウモロコシ畑から現れる。その中に若き日の父親を見つけてキャッチボールをするという、野球の題材に夢や希望、親子の絆を描いた幻想的な作品。アカデミー賞3部門ノミネート。 ↓2023年3月23日付スポーツニッポン ![]() ↑ 1999年、トウモロコシ畑の中へ消えていく栗山監督(中央) ![]() ーーーーーーーーーーーーー 3)2023年3月23日付日刊スポーツ 魂を次世代に 栗の木に込めた使命 (古川真弥氏) 昨秋、栗山監督は大忙しだった。代表監督としてではなく、大自然で暮らす一人の人間として。 「ネズミにかじられないようにね。全部、巻いたよ」。 名字が同じ縁で北海道・栗山町に住む。町の人たちと力を合わせて開いた「栗の樹ファーム」は、天然芝の球場とともに緑にあふれている。昨年5月、新たに100本の栗の苗木を植えた。 1本1本に動物よけのす巻きを施した。冬の間、餌代わりにかじられないよううに。 苗木はドラマ「北の国から」で知られる脚本家の倉本聰氏から送られた。日本ハム監督を10年率い、北海道を盛り上げてくれたことへの感謝だった。その1本を、ファーム入り口脇に植えた。送り主への敬意をこめて「聰師栗木」の看板とともに。 ↓ 2023年3月23日付日刊スポーツ ![]() ↑ 北海道・栗山町の栗の樹ファーム入口脇に植えられた、倉本聰氏寄贈の栗の木。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.05.01 05:10:22
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