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FIVBパリ五輪ワールドカップバレー2023「広島から世界へ刻むバレーボールの歴史」が、JR広島駅ビルの工事場所の壁に紹介されていました。
(2023年9月15日撮影) ↓ 左から、井上愛里沙さん、関菜々巳さん、髙橋藍さん、古賀紗理那さん、石川祐希さん、西田有志さん、石川真佑さん、関田誠大さん、林琴奈さん。 ↓ 多田徳雄氏(1889年~1976年) 草創期の日本バレー普及に尽力したバレーボール選手、指導者、日本男子代表初代監督。 1917年、東京で第3回極東選手権(現アジア競技大会)が開催された。開催国日本も出場する流れとなったが、当時はバレーボールチームや専門家がいなかった。そのため、海外から専門家を招き、急遽他スポーツの選手を集め出場したが、試合は大敗に終わった。 しかし体育指導者たちはバレーボールに興味を持ち、普及に努めた。特に広島師範学校(現広島大学)の教師たちは体育教材に取り入れるなど、熱心に研究、そこで学んだ多田徳雄は日本初のバレー専門チームを結成するなど、バレーボールの普及に尽力した。 ↓ 広島が誇るボールメーカー。「ミカサ」、「モルテン」。 「ミカサ」 1917年 広島護謨株式会社設立。 1935年 「ミカサボール」の商標で販売開始。 1964年 東京オリンピックで、ミカサバレーボールが採用(日本製として初採用)される。 1969年 国際バレーボール連盟から公式球と認定され、更に国際大会唯一の公式試合球として認められる。 「モルテン」 1958年 モルテンゴム工業株式会社 設立。 1959年 第1号ボール完成。スポーツ事業に参入。 1960年 日本バレーボール協会より検定球として認められる。 1969年 国際バレーボール連盟より公式球として認められる。 「ボールの聖地」広島 そのルーツは伝統産業「広島針」。江戸時代、武士の内職として「たたら製鉄」の鉄を使った針作りが盛んになった。明治時代に入ると機械化が進み、広島針は地域経済の中で重要な位置を占める一大産業へ。朝鮮戦争で、その需要は一層拡大した。 戦地の服を直すため輸出が大幅に伸び、帰りの便を使った輸入が増加。多く持ち帰られたのが「生ゴム」であった。ゴムを利用して手縫いされたボールの製造が始まり、広島のボール産業が成長した。 ↓ 猫田勝敏氏 広島が生んだ「世界一のセッター」猫田勝敏。 専売広島(現JTサンダース広島)に所属 広島で生涯をバレーボ-ルに捧げた。 オリンピックに4大会連続出場し、金・銀・銅のメダルを獲得。 日本バレーを世界の頂点に導いた。 ↓ 左から、小野寺太志さん、石川真佑さん、西田有志さん、古賀紗理那さん、石川祐希さん、関菜々巳さん。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.11.20 12:22:14
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