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2004年のブログ 8最後のメッセージ・魔法のことば 2004.12.23日記閉鎖の前に、もう一度だけ。 私が楽天仲間の中に、とても信頼して、常々相談ごとをさせていただいていた方がいる。 ulalan@さんという方だ。 ulalan@さんの語り口は軽妙でおだやか、 とても深いメッセージをすっと相手に読ませてしまう力がある。 正直なところ、私は相田みつをさんの言葉ですら 素直に受け入れられないくらいのへそまがりである。 おそらく、相田みつをさんの言葉のパワーを感知する能力が、私には欠けているのだと思う。 「ふむふむ」とは思うけれど、それでいつもおしまいだから。 その私がulalan@さんの言葉には、たとえそれが耳の痛い言葉でも、 普段苦手とするストレートな誉め言葉でも、まっすぐに受け止められるのだ。 どうしてなんだろう、といつも思っていた。 なぜ、ulalan@さんには素直になれるのかな、と。 私はいつのまにか、すっかりお会いしたこともないulalan@さんのファンになって、 なんだか自分が生徒になったような気持ちでいた。 ulalan@さんという、魔法使いの魔法にかかった子供のような気持ちだった。 うつ病という、心の病気を抱えた私は つまらないことでも抱え込み、とても苦しんでしまうことがある。 人との関わり方にも、 人に投げかけられる言葉にも、 とても過敏になっている。 元気なときには許せたようなことが、許せない。 人に踏み込んでこられることも、 “思いやり”というパッケージにくるまれた 相手の自己満足の偽善を寄越されるのも、嫌だ。 だが、すんなりと受け入れられるものもあるのだ。 なぜなんだろう、 どうしてなんだろう、 なにが違うんだろうと思っていた。 それらの答えを、先日 ulalan@さんとのやりとりで教えていただいた。 教えていただいたというよりは、 ulalan@さんにいただいたひとことをきっかけに、 絡んでいた糸がほどけていった、という感じというほうが近いかもしれない。 そして私の周りに立ち込めていた霧が、晴れていくのを感じた。 「ulalan@ さんにだと 素直に心を開ける自分に、 自分で驚いているところもあります。 いつもあたかかく、的確なアドバイスをくださるulalan@さんは、 私にとって本当に魔法使いだと、何度も思いました。 私が自分の気持ちを、弱いところダメなところを、 人に進んで見せようという気持ちになるというのは あまりないことなのです。 でも、ulalan@さんには素直になれます。」と、 私はulalan@さんにメッセージを送った。 ulalan@さんからの答えはこういうものだった。 「私の言葉がBさんに受け入れられるっていうのは、思い上がった言い方になりますが、 知識から出る言葉じゃなくて智慧から湧いて来る言葉だからだと思います。 もちろん知識からの言葉も多いのですが、 知識と知識のつなぎとしての智慧から出る言葉が、より多いからだと思います。 哲学書でも芸術論でも、心理学や人生論でも知識として取り入れたものを言葉に現しても 相手の心に入り込めない、 でもこれらの知識を自分自身の身体と魂と心で受け入れて、 自分の心から搾り出す言葉はバリアーやふるいを突き抜けて 相手の心の中に入っていく気がします。 それが魔法のことばだと思うんです。」 このメッセージを読んだとき、 素直に「ああ、そうだったんだ。」と感じた。 “魔法のことば”の魔法の秘密が、見えた気がした。 私は以前、PCのインストラクターをしていた。 その仕事の中で私が見つけたことは、 「自分が完全に理解していること、 自分の血肉になっているような事柄は、 たとえどんなに難解なことでも、噛み砕いて相手に伝えることが出来る。 テキストなどに頼らず、 自分の中から出てくる、自分の言葉で説明すれば、 しっかり相手に伝えることが出来る。 シナリオもなにも必要ない。 伝えるべき事柄さえわかっていれば、 言葉は自分の中から湧いてくる。」ということだった。 それを私は、体験を通して、身を持って学んでいた。 それと同じことなのかもしれない…と思った。 私が名もないライターをしていた頃、 取材してすぐに文章にまとめることが出来なかった。 自分の中で取材した事柄を、 その時の感覚を一旦消化してしまわなければ、書けなかった。 消化してしまえば、まるで湧き上がるように 書くべき言葉がペンの先からほとばしったけれど。 多分、あれは自分が見聞きして得たものを、 「自分のものにする」という時間が必要だったんだ…と思った。 正直、今までは単に頭の中で整理がなされていないから…だろうか、と思っていたけれど。 自分の中に取り込んで、 自分の言葉で語れるようになるほどに消化する時間が、 私にはきっと必要だったんだ、と感じた。 自分の中から搾り出す言葉。 自分の中から湧き出る言葉。 この力強さを、改めて思い知った。 なぜ、ひどく心を揺り動かされる文章が、この世にあるのか。 なぜ、テクニックの誇示だけが目に付いて、 鼻持ちならない文章だなと思える文章があるのか。 なぜ、同じような言葉でも、 心に染み入る力がある言葉とそうでないものがあるのか。 好き嫌いだけではなく、 そこに込められている“こころ”と、“智慧”の問題なんだ。 そしてそれを発した人の“こころ”と、 自分の心が共鳴するかどうか、ということでもあるのかもしれない。 強く込められた“こころ”と、 物事の本質を射抜くだけの力を持った“智慧”があればこそ、 人に伝わるものがある…ということなのかもしれない。 ulalan@さんという方の、人間の本質とでも呼ぶべき部分から発信された言葉だから。 蓄積された人生の重み、経験の裏づけを持った“智慧”の言葉だから。 そしてなおかつulalan@さんは、ただ私のためにその言葉を投げかけて下さっているから。 決してulalan@さん自身のためでも、 自己満足のためでもなく、 私のためにかけて下さっている言葉だから。 そして“こころ”から発せられた言葉だから、 素直に聞けるんだ、と気付いた。 そして私がうつ病という、迷路に深くはまりこんだ理由も。 なんだか、うっすらと見えてきた気がした。 “こころ”だったんだ、と。 私は人との関わり方が上手ではない。 言われた言葉を聞き流すという芸当も、不得手だ。 “適当に”お付き合いをするというのも、 距離が上手くとれなくて難しいと感じる。 そして正直なところ、 ひとりが好きでグループの中に入る、群れに加わるのが苦手。 父には 「その人と結婚するわけじゃないんだから、 適当に、いいところだけを見て付き合えばいいんだよ。」と、何度も言われた。 けれど私は、「いいところだけ」というのが上手く出来ないみたい。 人にしろ、物にしろ、加点法でというよりは減点法で見ていってしまう。 周りの空気に合わせなくては、といつも緊張してしまう。 望まれている自分を、常にきちんと責任を果たすように演じようと。 それをずっと、ずっとしてきた。 自分の本当の気持ちは、心は「そんなのやりたくない」と言っていても、 「面倒だから嫌」と言っていても、 「…しなければならない」 「…であるべき」という、 自分の決めたルールにのっとって、心の声を無視して動いてきた。 自分の欲や、 ある種の見栄や、 平穏を求める保身の気持ちからだったろうと思う。 心の声を無視し続けて、私は自分を追い込んでいた。 “こころ”を無視してしまったら、 精神は壊れてしまうのかもしれない。 ただ、理性と欲だけで突き進もうとしたら。 誰もがそうだとは言わない。 十人十色の理由があって、うつ病にかかるのだと思う。 けれど、私の場合は どこか自分で自分を追い込んでいったところもあった、 という気がしてならない。 心の声を聞いて、 出来ればもっと心のままに動くようにすれば…と、 なんだか光が見えたような気持ちがした。 いろんな人がいろんな言葉を投げかけてくださる。 思いやりに満ちた言葉も… でも、中には受け入れられず、なんだか違和感を感じるものもあるし、 「きっとこれは善意なんだろうなあ」とは思えても 悲しい気持ちになることもある。 それはもしかしたら、本能的にその言葉の本質を、 込められた意図を、 言葉の根底にあるものを、 人には嗅ぎ分ける能力があるからなのかもしれない。 少なくとも、私にはそういう感覚が、あるから。 だからなのかもしれない。 ある方からいただいた言葉に、ひどく私は動揺したことがある。 正直なところ、 うつの状態が一気に加速して進んでいく感覚を、 はっきり持ったほどだった。 でも、その方には全く悪気はない。 それは理解できた。 だから怒ることは出来なかった。 ただただ悲しかった。 それは悪意のない言葉だったが…… 受け手である私の状態も悪かったのだとは思うけれど、 私の首を確実に絞めた。 善意の言葉が、私にとっては“呪いの言葉”になってしまったのだ。 しばらく、私は何も出来なかった。 やがて、その人に、私の気持ちをわかってもらいたいと、 善意も使い方を誤ると凶器になることを知ってもらいたいと思った。 でも、私にはその人の“善意”をつきやぶることは、出来なかった。 “私は正しいことをしている”という強い気持ちを持った人に、 どんな言葉がわかってもらえるだろう? そして更に、その人は私を励まそうと、 「頑張って戦って。」と言葉をかけてくれた。 善意で。 思いやりの言葉、励ましの言葉として。 が、これはうつ病患者には、とてもきつい言葉である…。 私は全身の力が、抜けるような感覚を覚えた。 どう頑張っても、コミュニケーション出来ないんだ、と思った。 ただ、やりきれない悲しい気持ちが残った。 わかってもらおうという私の気持ちにも、真実を秘めた強さが無かったのだろう。 善意の怖さ、わかりあえないせつなさ、そんなものを改めて学んだ気がした。 同じ経験を持った人、 あるいは経験がなくても知識を持っている人、 人の心の深いところを慮ることの出来る人… そういう人たちとしか、わかりあってはいけないのかなと思った。 言葉の力の限界、を感じるような出来事でもあった。 似たような経験は、日常的にある。 だからきっと、生きていくために慣れなくてはならないことなのかもしれない。 でも、そんな中でも真っ直ぐに心を射抜くような、 わしづかみにして揺さぶるような、 そんな素晴らしい力を持った、“魔法のことば”にも出会える。 うわっつらを、体裁を整えただけの、 見栄えだけカッコいいだけの、 気の利いた言葉じゃなくて、 素朴でも、平凡でも、相手の心にまっすぐに届く“魔法のことば”。 私は健康を取り戻したら、 その“魔法のことば”を必要としている人に、 必要としている形で手渡し出来るようになりたい、と思う。 もし、私にその力があるのなら。 もし、その力がなくてもこれから身に着けて、 そうなっていければいいと思う。 うつの私に、ulalan@さんの“魔法のことば”が、 未来へ希望をつなぐ気持ちを与えてくれた。 本当にありがとうございました。 ゆっくり、のんびり、私も魔法を身に付けるべく歩きます。 このページを運営している間には、 私は“魔法のことば”を発信するだけの力がなかった、と思う。 でも、いつかどこかで…と思う。 今まで、このページを訪れてくださった皆さんに感謝します。 本当にありがとうございました。 私の話は、これでおしまいです。 どうぞお元気で。 さよなら。 2004年8月から12月までの短い期間、書き綴ったブログの一部。 上記の文章はその最後の文章です。 ulalan@さんは、今も 4年を経た今も、わたしの大事な大事な相談相手で、 そうして同時に人生の師匠のような存在です。 インターネット上に、こんな素晴らしい出会いがあるなんて、 正直言って意外でしたし、不思議なご縁を感じずにいられません。 こんなわたしをずっと見守って下さっているulalan@さんに、 それからyeonちゃん、ブル子ちゃん、眞弓さん、ゆかりさん、くらねえ。 親友のすけちゃん、あさみちゃん、くるみちゃん、まさりん、さいこちゃん。 そしてみほ。 あらちゃん。 みんなみんな、ほんとうにありがとう。 |