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アメリカ観察日記 [全221件]
新しいのを作ってみました。新ブログは、政治学の話中心でやっていこうと思っています。 ttp://blog.livedoor.jp/neo527/ URLの頭に「h」を入れてください。 Last updated 2009.07.28 22:39:01
![]() 「accepted」 最近、この言葉が私にとっては他の何よりも価値のある言葉になってきました。このアルファベットの羅列が神々しく見えてくる...(「tenure」とかにもそそられますが) 思えば2年前、博論の仕上げをサボりつつ、アドヴァイザーには内緒で、秘密裏に研究をスタートした論文が、遂にacceptされました。歴史は割と浅いですが、アジア研究の分野では、評価を上げつつある某journalなので、かなりうれしいニュースでした。 1回目の査読結果は、採用X1、不採用X1という結果で、「revise and resubmit」だったのですが、editorの反応はかなり良かったし、注文どおり逐一reviseしたので、何とかいけるだろという予想はしていたのですが、なかなか2回目の査読結果が返ってこないので、ひやひやし始めていたところでした。 acceptまでの2年間は、長かった。査読付き論文を1つ出すのにかかる労力と精神的な負担は非常に大きいです。何度査読なしのジャーナルに送ろうと思ったことか...しかし、研究が結実した瞬間の昂揚は研究者の醍醐味。 この論文はナショナリズムをテーマにしたものなのですが、このテーマの論文は実は2つめ。『ナショナリズム3部作構想』の第2部。もう第3部の構想も固まってきたので、再来年を目処に3部作完成を目指したいと思ってます。 「SSCIにリストされているjournalに論文を3本載せる」、というのを1つの目標にしているんですが、これでやっと2本目。肉体的・精神的負担は大きいですが、目標達成に向けて邁進あるのみ。 「進むことに理由なんてない、今はただ行かなくちゃ」 某サブカル系バンド Last updated 2009.07.14 23:48:52
最近大学の上司から、つい最近立ち上げられたというある巨大研究プロジェクトへのお誘いを受け、研究者の一人として参加することになりました。とてもエライ人の肝いりでできたプロジェクトらしく、非常に大きなプロジェクトで、研究テーマも全盛期の角川映画並みに壮大。 同プロジェクトでは、経済学と政治学の研究者が共同で研究を進めていくらしいのですが、経済学者と政治学者って一緒に仕事できるんですかね?「エコン族」と「ポルスシス族」の接触は、掟で禁じられているんだと思ってましたが。「エコン族の生態」についてはここを参照 アメリカの大学にいた時も、うちの政治学部と経済学部の建物はすぐ隣でしたが、皆無と言っていいほど何の交流もありませんでした。まるで、種族の掟を忠実に守っているかのごとくに。そんなもんだから、今回のプロジェクトで会議で経済学の先生方とお話しする機会があっても、なんかおっかなびっくりという態度になってしまいます。幸い、経済学の先生が非常にオープンな方なので、最初の会議は問題なく終了しましたが、今後どういう形で研究が進んでいくの想像すらできない状態です。 そんな硬いことを言わなくてもいいじゃないかと自分でも思うのですが、やはり経済学と政治学は水と油のような存在。学問の根本的なスタンスに大きな違いがあるので、共同で研究するのは容易ではないだろうと思います。「囲碁と将棋の名人が、共同でチェスをやるようなもの」とまでは言わないまでも、それに近いものがあります。さてどうなることやら。 まあでも巨大プロジェクトでいろいろな人と交流できるのは、自分にとって大きなメリットなので、できる限り協力させてもらおうとは思います。 Last updated 2009.07.14 00:52:23
今週末、アメリカの友人の娘さんが、我が家に2泊3日ステイしました。まだ8歳ですが、日本の親戚の家に1ヶ月ステイして、地元の小学校に通ってます。 アメリカでも週1日日本語学校に通っているんですが、家庭の会話は基本的に英語。お母さんがドイツ人と日本人のハーフなので、その子はクオーターですね。アメリカにいる時はそれほど日本語は話さないのですが、日本に来るとあっという間にぺらぺらになってしまいます。子供の順応力っていうのはすごいですね。彼女の場合は語学の才能なんでしょうけれど(お母さんも4ヶ国語話すし)。 8歳で親元を離れて1ヶ月もよく過ごせるなと思いますが、我が家でも全く問題なし。楽しそうに過ごしてました。うちの家族とは小さい頃からよく知っているので、慣れてるのもありますけど、自立心が強いんでしょうね。 せっかく日本に来たので、写真屋で着物を着て記念写真を撮りました。カメラを向けるとすっかりモデルのように、カメラマンの要求どおりポーズを撮ってました。普段もカメラを向けると、何をやっていてもパーフェクトなスマイルを作ってくれます。普通の表情を撮りたいと思ってても、絶対カメラ目線+スマイル。撮らせてくれません。さすがはアメリカ人。着物姿も作り物の人形のように可愛い姿でした。しまいには写真屋に「うちの広告に写真を使わせて下さい」と頼まれる始末。 昨日は、夕方近くの公園に遊びに行ったんですが、毎回恒例の鬼ごっこを暑い中長時間やらされました(鬼ごっこといっても、鬼は常に私というルールなんですが)。しかし30代の男が、アメリカ人の美少女を追いかけまわしている図は、かなりヤバイもんがあります。近くにうちの嫁さんと息子がいなかったら、絶対通報されてますね。 Last updated 2009.07.13 02:38:32
いずこの知事が、任期途中で知事の仕事をほっぽらかして、国政に挑戦しようとしているようですね。しかも、いきなり国政のトップを狙っているとか。 田舎で初挑戦で簡単に知事になって、首長として権力を行使していると、国政でも簡単にトップに立てると思ってしまうんですかね? しかし任期も全うすることなく投げ出して、その後は我関せずというのは、あまりに無責任な話。 ...と、ここまで書くと、九州某県の元タレント知事だと思うでしょ? じゃなくて、去年一躍保守派のアイドル(?)にのし上がった、ペイリンの話。 アラスカ州知事を任期途中で辞任するそうな。再来年から始まる予備選に向けて、足固めをしたいということなんでしょうかね。 しかし、州知事辞めたらただの人になってしまいそうなんだけど、本人はわかっているのか?今は政治経験を積んで、業績をあげるのが第一だと思うんだが。 副大統領候補になったもんで、かなり勘違いしている様子がありありと伝わってきますが、ああいう田舎のオバチャンを大喜びで支持してしまう保守派の方々がアメリカにはたくさんいるのも事実。 Last updated 2009.07.08 00:12:16
最近、某所で「銅鉄論文」という言葉の存在を知りました。 ネット検索して、その定義を探ってみると、次のような内容。 「 銅を使った実験で、ある結果が出たが、その延長線で鉄を使って同じ実験を行ってみる。そうすると、予想通りの結果が出て論文が一つ増える。」 緻密な考察もなく、単に試料だけを変えて、研究結果を濫造という行為で、理系の世界では蔑まれる行為だとか。 政治学の分野では、Country Aで得られた知見を元に、Country Bについて分析するというような研究は多々みられますが、これも銅鉄論文に該当するんですかね? 政治学では、ある国でみられるパターンが、他の国で同様にみられるということは割りと少ないので、こういう研究にも意義があるとは思いますが。でも、「なぜ、Country Bを分析対象にするのか」という問いに答えないまま、分析している例というのは結構あるような気がします(私も含めて)。Case selectionに対する 本音を言えば、ほとんどの場合は「データが豊富だから」、「日本研究者だから」、「共著者が中国研究者だったから」とか、そんなもんばっかりなんでしょうけどね。 Last updated 2009.07.07 00:53:41
今日は、某学会に出席。学会会場まで自宅からバスで20分。以前は、アメリカからわざわざ出席したりしてましたが、あの頃は大変だった。 本当は昨日から開催されていたんですが、昨日は家庭の事情で欠席。誰も気付くまいと思っていたんですが、今日会った開催校のM先生に「昨日来てませんでしたね」とあっさり指摘され、「何ゆえ?」と思っていると、「受付に名札がずっと置いてあった」とのご指摘。そうか、欠席者の名前は晒されているのか... 今日は若手研究者の方々が歴史的制度論について報告されたのを聞きに行ってきました。最近日本における歴史的制度論研究が広がりつつあるのは、非常によい傾向。今日の報告も非常に興味深いものでした。 いずれも素晴らしい報告でとても勉強になったのですが、1点非常に気になったのは、歴史的制度論を分析に取り入れる必要性が上手く説明されてなかったこと。わざわざ歴史的制度論を使わなくても、合理的選択論だけでも説明可能な事例だったように思えました。 私も歴史的制度論をやっているので、その理論的重要性に否定的な意見は当然持っていませんが、合理的選択論だけで充分説明できる事例ならば、わざわざ歴史を掘り返す必要もないと考えています。2Dでわかる図面なら、あえて3Dにする必要もないのと同じで。 合理的選択論の仮説と矛盾する事例、もしくは合理的制度論では充分に説明できない事例が存在する、だからこそ歴史的制度論の存在意義があるんだと思います。2Dで表現しきれない形状だからこそ、3Dを使うみたいな。 合理的選択論を補完する目的で歴史的制度論を使うのも一つの方法ではありますが、その場合でもそうした補完行為をしなくては、理論的に不都合があるというような必要性を示すべきではと思います。 でないと、歴史的制度論は合理的選択論のオマケみたいな扱いが定着してしまいかねないと危惧しています。 しかし、こうして優秀な若手研究者の方々がこの分野の研究に取り組まれるようになれば、今後が楽しみだなと思います。私も10月の学会で、歴史的制度論について報告する予定なので、負けずに頑張りたいと思います。 それから、Jack先生にはまたいろいろご教示いただきありがとうございました。アンチ・ラッチョで頑張りましょう。 Last updated 2009.06.29 02:04:18 |一覧|Recommend Item
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