藤子・F・不二雄先生のSF短編『福来たる』 アメブロver.
前回の日記で「神」の話をしましたが「ピン!ときた」といったのは神様(福の神)が出てくるSF短編を思い出したからです。それでは藤子・F・不二雄先生のスコシフシギなSF短編『福来たる』を紹介したいと思います。・・・と、その前に。本日の日記タイトルには『アメブロver.』と入っています。実は、『福来たる』は以前にも紹介したことがあるためです。私は今、楽天ブログを引っ越ししましてアメブロで活動をしていますがSF短編の日記だけは、楽天とアメブロ両方で公開しようと考えました。内容に、全く変わりはありませんがアメブロ~藤子・F・不二雄ブログ↑こちらでも読むことができます。コメントは、こちら楽天でもアメブロでも、どちらでも大歓迎です。< ストーリー >職場の仲間と仕事帰りに酒を飲み、かなりよっぱらったごく普通の平凡なオジサン■よっぱらったおじさんが見たものは!?■ オジサンは神様らしき者に声をかける■ 正体は福の神だった!!福の神は、今の世の中にうんざりしていました。福の神は「昔はよかった」と昔の話を始めます。たった1匹の干し魚で大喜びされた時代もあったといいます。■ 福の神と話すオジサンしかし、オジサンは酔っているせいもあり迷信は信じる、UFOとかマユツバの話が好きであるとか、余計なことをいってしまいます。そして、福の神のご機嫌を損ねてしまいその場から去ってしまいました。■ 戻ってきた福の神布団に入り、オジサンが寝ようとしたところ福の神が戻ってきてくれました。■ 福の神は現代社会に驚く昔は水にさえ苦しむ時代がありました。そんな時代を知っている福の神にとっては蛇口からの水は、驚きの光景でした。■ 現代人は食べ物を粗末にする食べ物を捨てる光景に福の神は絶句してしまいます・・・■ 福の神は理解に苦しむ水にも、食べ物にも、お金にも現代人は、困っていない・・・そんなオジサン家族を見ていて福の神は「あんなに豊かに暮らしながらその上、何を望むのだ」と語ります。■ 涙が出るほどの幸福感とは何なのか・・・オジサンは、宝くじの1等を福の神の力で当ててほしいと欲望をぶつけます。しかし、福の神がそんなことはできないというとオジサンは激怒し「貧乏神」と文句をいいます。それに怒った福の神は、オジサンをタイムスリップで遠い昔の時代に送ってしまうのでした・・・福の神はこう考えるのです。食べ物などもろくになく暮らしの不便さなど昔の世界で身に染みるほど苦労すればオジサンが現代に戻ったとき涙が出るほどの幸福を感じるであろうと。『福来たる』は、このようあらすじです。↓こちらの本に収録されています。 SF短編PERFECT版 7巻 または 藤子・F・不二雄 SF短篇集 3巻(下記)で読むことができます。藤子・F・不二雄SF短篇集(3) [ 藤子・F・不二雄 ]福の神が、オジサン家族の食べ物が捨てられる光景に「命の綱の食べ物を」と目をくらませる描写がありますが戦後間もない頃、私たち日本人は皆、お腹をすかし食べ物がない時代を過ごしてきました。これは、遠い昔話ではありません。私も、祖父母から、むかしの日本は「食べ物がなく昆虫を食べていた」という話はよく聞きました。F先生が子供の頃も、まだまだ日本は豊かではありませんでした。福の神が、現代の豊かな生活に驚く場面もF先生の経験、体験からにじみ出ているのではないでしょうか。食べ物も食べたい時にある水も欲しいときにいつでも得られますそんな幸せで贅沢な環境にあることを私たちは忘れてしまっているかもしれませんね。幸せとは、高望みをすることではなく欲望を満たすことでも他人と比較することでもなく感謝の気持ち、ありがたみの心を持つことなのかもしれませんね。「豊かに暮らしながらその上、何を望むのだ」という福の神のセリフは、F先生からの現代人への問いかけなのではないでしょうか