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世の中の不正や悪に、憤りを感じる
物凄く生真面目な小池さんは、ある日 とてつもない破壊力を持ち、空をも飛べる超人 「ウルトラ・スーパー・デラックスマン」に なってしまった!! ここまでは、以前に紹介した、藤子・F・不二雄先生の スコシフシギなSF短編『カイケツ小池さん』のあらすじです。 その後の小池さんを描いた、続きの作品が 『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』です。 < ストーリー> 正義のための行為ではあったものの 悪人の命を奪うまでになってしまった 小池さんは、やっていることに気づいているものの それは、悪くないと肯定してしまう。 殺人容疑として、警察が動くものの 超人をはるかに超えてしまった、超人の小池さんには 国も政府もなすすべなし… 自衛隊まで出動し、戦車までもが小池さんを狙う… それでも、小池さんには蚊が刺した程度にもならない。 ■ 核ミサイルもなんのその!! まさに完全無敵のウルトラ・スーパー・デラックスマン さて、この物語は、小池さんの暴走劇だった… だけで、読み終えることはできません。 警察も逮捕できない… 国家も何の手も打てない… 周りの人間も、怖がり、おびえるので 全て、自分のいいなりにことが進む… こんな完全無敵な力を持った状況の中で 本当に、弱者のために、平和のために、良いことだけに その力を利用できるものでしょうか… 前回、パーマンの話の日記でいただいた からっかZさんのコメントに >強大な力を手に入れたら・・ >結局は己のために行使してしまうんじゃないでしょうか。 >その結末が『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』ってことですよね このような言葉をいただきました。 ああ、なるほどなあと、うなずいてしまいました。 世の中の「強い力」を持つ人間は 国民に自由を与えなかったり… 戦争を開始することができたり… 大金をものにすることができたり… 悪いことに使われることが多いですね。 取り上げれば、キリがありません。 世のため、人のために、働く子供のパーマンと 自分の欲望のために、パワーを悪用してしまった大人… パーマンとの比較として 純粋な子供と、醜い大人の比較として そして、自分自身ならどうなるかと、比較しながら読んでみると また違った一面が見えてくるかもしれません。 けれども、小さな子供でも暴走してしまう SF短編「わが子・スーパーマン」のようなケースもあります。 大きな力が、問題を引き起こすこともありますが 平和のためにも大きな力は必要です。 「大きな力」や「強い力」は、どうあるべきなのでしょうね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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