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ナ チ ュ ー ル

ナ チ ュ ー ル

正六面体 (3) 近代化学

★近代化学の夜明け   
 
1774年  ラボアジュ  f23  質量保存の法則
アントワーヌ・ラヴォアジエ(Antoine・ Lavoisier, 1743年 - 1794年)フランス、パリ出身の化学者である。科学業績は、近代化学の確立。 


1766年23才 懸賞論文で国王より金賞を受ける。
1771年 28才 マリアンヌボールズと:結婚
1772年 29才 封印論文
1774年 精密な定量実験を行い、化学反応の前後では質量が変化しないという質量保存の法則を発見し、「燃焼の理論」を確立した。また、当時は燃焼を物質に含まれているフロギストンが空気中に出ていく現象であるとするフロギストン説が支配的であったが、1777年に燃焼は物質と酸素が結合することであると説明した。
 1777年、燃焼における酸素の役割を発見し、証明。当時は燃焼を物質に含まれているフロギストンが空気中に出ていく現象であるとするフロギストン説が支配的であったが、フロギストン説を否定し、燃焼理論を確立した。
1779年 酸の理論「酸の本性についての一般的考察」の発表
1787年、ラヴォアジエは、ギトン、ベルトレ、フールクロワとともに、新しい化学用語が書かれた『化学命名法』を著した。この中で水は、酸素と水素から創られていることを記載している。
1789年、『化学原論』を出版し、33個の元素を提唱。(現在では元素でないと証明されている物質を含む。)
1790年 度量衡制定委員となる。

1794年ギロチンにて没。ラヴォアジェの最後は、不条理な運命といえよう。

『燃焼とは、物質と酸素が結合する事である。』
***アントワーヌ・ラヴォアジェ

・「化学の歴史」
・「人間で語る化学入門」  
・『熱学思想の史的展開』
・「元素」
・「ラヴォアジェ」

★ 水素
 水素の歴史上の記載は、16世紀 錬金術師パラケルスス(スイス)は、硫酸と鉄の反応で気体が発生することを見つけている。またイギリスでは、ボイルが、1671年に鉄くずに酸を加えると、可燃性の気体が発生することを書き残している。  「水素がわかる本」
1766年、キャベンデッシュは、鉄Fe・亜鉛Zn、銅Cuを酸(硫酸 塩酸)に浸し、発生した気体を捕集し、空気よりも「軽い気体」を発見する。このときの「気体」は簡単に火がついたので、彼はこの気体を「可燃性空気」と名付けた。これが後に水素と言われる気体だ。そして、プリーストリーは、1781年に水素と酸素の燃焼によって水ができることを証明し、1783年にラボアジエがこの「可燃性空気」を「水素」と命名することによって、ようやく元素の一つとなった。
★ 酸素の発見を巡る物語  
酸素発見を巡る物語は、多くの人々によって語られてきている。関わった人々の人間ドラマとして、また科学的な思想理論からの切り口で。
 プリーストリーもシェーレも酸素を発見したのであるが、しかし、自分たちが発見したものが何であるかを充分には知らなかった。彼らは、燃素説という柵(しがらみ)に捕らわれており、その柵から抜け出していなかった。燃素説を覆して化学を革命するはずの元素も、彼らの手中では、実を結ぶことなく終わった。通常、化学史上は、この2人が酸素の発見者となっている。
 プリーストリー(英)は、化学者というよりも神学者・哲学者と言ったほうが良いかも知れない。1772年頃より気体化学の研究を始め、数々の気体を発見している。1773年には「諸種の空気についての観察」を発表している。1772-1775年の間に8種類の新気体を発見した。1774年燃焼の実験に取りかかり、酸化水銀を入れたガラス容器に太陽光を集光し加熱し、発生し得られた気体を「脱フロギストン空気」としている。この気体が酸素であった。
シェーレ(スエーデン)は、1771-1772年にかけてさまざまな酸化物と炭酸化合物の実験を行っていた。その一連の実験の中で、硝石を加熱し発生した気体を「火の空気」として、この成果を1777年「空気と火について」で報告している。この2人は、燃素説から脱出することはなかった。「化学の歴史」
一方、ラヴォアジエ(仏)は「金属の燃焼で得られた金属灰の重量増加現象」への関心に取り組んでいた。この原因究明に、彼は定量分析法によるアプローチから始めていた。そして封印論文「空気中で加熱した金属の重量増加の原因に関する歴史的詳報」を1772年に報告している。そこに、プリーストリーの「脱フロギストン空気」の発見の報告がラヴォアジエに伝えられた。そこでラヴォアジエは、この新たな事実を手掛りとして、酸化水銀燃素化学の精密定量分析の研究に取り組み、「水銀灰=水銀+酸素」の結論に辿り着き燃焼理論の構築に至ったのである。この新たな気体「純粋空気」が新たな化学元素・酸素であること、燃焼においては、不可解な燃素が燃焼体から出ていくのではなく、この新たな元素・酸素が燃焼体と化合するのであることを発見するに至った。理論面ではプリーストリーは忘れ去られ,ラヴォワジエは後世に名を残した。


この3人の酸素発見経緯を見ていくと、この間に起こった出来事は、化学界の大転換に繋がっていっている。

山本義隆氏は、『熱学思想の史的展開』(現代数学社 1987年)のなかで、化学に革命をもたらしたラボアジエに対する評価―― 酸化理論を「主たる貢献」、熱素の導入を「主要な過失」に割り振るような二分する評価に反対して、次のように述べている。
 ラボアジエの化学をそれまでの化学と分かつものは、もっぱら彼のなしとげた「統合」にある。実際彼は、とりわけ重要な化学物質を発見したわけではないし、また画期的な実験方法を考案したともいえぬ。酸素も水素も炭酸ガスもラボアジェ以外の手で見出されたし、彼の実験も多くはイギリスのライバルの模倣である。そのためラボアジェには、剽窃という芳しくない噂がいくつか付き纏っている。しかし彼自身はそうは思っていなかったであろう。というのも、彼はそれらの個別事実を新しい枠組みの中で捉え、したがってそれまでとは異なる意味を与えたからである。ラボアジェは、いうならば先人の手で得られバラバラに放置されていたジグゾーパズルのピースを、隙なく無駄なく巧妙に組み合わせて一枚の秩序だった絵を完成したのだ。そこにこそ、彼の真の功績はあった。

★ラヴォアジェの化学革命の業績   「ラヴォアジエ」 p201
・新燃焼理論
・定量化学の創始
・質量保存則
・酸理論
・新元素概念の確立
・気体化学
・化学命名法の確立

★元素の定義  ボイルの元素とラヴォアジェの元素   化学の歴史
ここで、元素の意味について述べておきましょう。化学派の人たちが原質と言う語について最も明瞭に述べているのと同様に、私は、元素という語をある始源的で単一な物体、つまり全く混合していない物体という意味で用います。これは、何か他の物体からつくられているものではなく、完全な混合物と呼ばれているすべての物体を直接つくりあげている成分のことであり、混合物体が最終的にはそれへと分解していく成分のことであります。[56]  ・・・・・ボイル

元素という言葉で、物質を構成している単純で分割不可能な原子を表すのならば、それに関してはまったく何も知ることができないはほぼ間違いない。しかし、物質のもとの元素あるいは原質という言葉で分析によって達しうる最後の点という観念を表すならば、われわれは元素をつぎのような物として認めるべきである。すなわち、元素とは一般に、物質を何らかの方法で分解することによって得られる物質のことである。単純であると考えられるこの様な物質は、二つ以上の原質から構成されていないと保証はできない。しかし、このような原質は分離できないので、というよりはむしろ、これらを分離する方法がいまだ発見されていないので、それらの分解できない物質は、われわれには単体として振る舞っているのである。実験や観察によって証明されるまでは、これらを化合物と推定してはならない。[105]    ・・・・・ラボォアジェ

1787 シャルル    シャルルの法則
ジャック・アレクサンドル・セザール・シャルル(Jacques Alexandre Cesar Charles、 1746年 - 1823年)、パリの工芸学校の物理学教授。パリ科学アカデミー会員。

気体の物理的性質を研究し、1783年キャベンデッシュによって発見された水素を用いて、水素気球を製作、パリのシャンプ・デ・マルスで飛行に成功した。1787年、一定圧力での気体体積は、絶対温度に比例する関するシャルルの法則(ゲイ-リュサックの法則ともいう)を発見した。
ゲイ-リュサックが1802年に詳細な検証を行い完成させる。

・化学      ・化学図録

0℃の時の体積をV0とすると、温度が1℃上昇するごとに、0℃の時の体積V0の1/273ずつ増加する。この実験結果をグラフ化すると

従って   V = V0 (T/T0)   の式で現させる。
ゲーリュサック




1799年  プルースト f24  定比例の法則
ジョゼフ・プルーストJoseph Louis Proust,(1754年- 1826年)フランスの化学者。

「定比例の法則」を唱え、ベルトレとの論争を通じて化合物が、元素の整数比の組合わせでできているという概念を広めた。ベルトレとの長期の論争は、著名である。1797年「プルシアンブルーの研究」において、鉄の酸化物には、酸素の一定比と化合する二種の酸化物しか存在しないと結論し、さらに1799年「銅の研究」では、酸化銅の組成に関する実験から銅と酸素とは一定の化合比で化合した1種類の銅酸化物をつくることを結論し、「定比例の法則」を発表した。
・「原子論・分子論の原典2」
・「定比例の法則」論争

1800 ベルトレf20   「化学静力学論」
クロード・ルイ・ベルトレ(Claude Louis Berthollet、1748 - 1822年)フランスの化学者。

ラヴォアジェの弟子。ゲーリュサックは弟子。1787年ラヴォアジェらと4人で「化学物質命名法」を出版する。化合物の組成比をめぐる論争は、プルースト-ベルトレ論争と言われる。
1807年にアルクイユ協会を設立、

・原子論・分子論の原典2



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