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ありがとう仙人の玉手箱 [全98件]
みなさん、こんにちは! ブッダは、「人の苦しみの根本は思い通りにならないことである」と言いました。 どんな人にもたくさんの思い(欲望)があります。 「ああしたい」、「こうしたい」 この「〜したい」という思い(欲望)が思い通りにならない時、人は苦しむのです。 人は、たくさんの思いを抱きますが、それが全部叶うはずがありません。 「思いがたくさんある人は重い」(笑) がははははは…っ! つまり、どんな人も「思い通りにならない思い」を心に持っているのです。 「思い通りにならない思い」の中でも、特に、マイナス感情が心に蓄積して いるのです。 というのも、マイナス感情を抱いても、それを表現することは、めったに出来ない からです。 なぜかと言うと、怒りたい時に怒ったり、憎みたい時に憎しみを相手に表現すると、 人間関係の悪化を招くからです。 だから、毎日、マイナス感情を抱いているにも関わらず、それを放出することなく、 心に蓄積しているのです。 「怒りたいのに怒れない」、「あの人が嫌なのに、そうと言えずに愛想笑いする」 つまり、自分がしたいことが出来ないのです。 すなわち、自分の思いが思い通りにならないのです。 これこそ苦しみの根源なのです。 がははははは…っ! 試しに、1日の中で数えてみて下さい。 一体、1日のうち、自分の思い通りにならなかった思いはどれくらいあるのかを…。 恐らく、相当の数だと思います。 こうして、思い通りになっていない思いは、ドンドン心に蓄積していくのです。 その思いを「残留思念」と言います。 だから、どんな人も、心の中は「残留思念(思い通りにならなかった思い)」で 一杯なのです。 スピリチュアル的に言うと、第3チャクラであるマニピュラ(胃の辺り)に、 残留思念がつまっているのです。 だから、このマニュピラが機能不全になると、胃が痛くなったり、内蔵が炎症を 起こすのです。 「胃の調子がい〜!」(笑) あははははは…っ! マニュピラは、感情表現を司る中枢であり、生命力を活性化させる中枢です。 マニュピラが機能不全になると、生命力が減退してしまいます。 そこで、内なる生命は、生命の危機から脱するために、マニュピラに詰まって いるエネルギーを放出させようとし、それにふさわしい出来事を引き起こすの です。 つまり、いずれ爆発せざるをえない出来事がやって来るのです。 というのも、蓄積している残留思念は、爆発することによって解き放たれる からです。 心の中に蓄積しているあらゆるマイナス感情は、いずれ怒りに変換されること を知っておいて下さい。 なぜ、怒りに変換するからと言うと、怒りになった方が外へ放出しやすい からです。 というのも、怒りは動的だからです。 悲しみや恐れは静的です。 静的では、いつまで経っても残留思念は蓄積したままです。 そこで、内なる生命は、心の老廃物である残留思念を放出するために、 動的な感情エネルギーである怒りに変換させるのです。 はははははっ! マイナスの感情が蓄積していると、その感情に人生が支配されます。 だから、昼間は、いつ狂気じみた行動を起こすか分かりません。 OSHO曰く、 「あなたはいつ気が狂うかわかならない。 気が狂うに必要なものすべてを蓄積してきたからだ。」 狂気を起こした殺人者や犯罪者が、よく尋問されると、こう言います。 「私はやっていません」 これは、嘘をついているのではなく、抑圧した感情が湧き上がってきたために 起こした行動なので、自分でやったという自覚がないからなのです。 また、夜は、悪夢や不快な夢でうなされます。 悪夢や不快な夢は、蓄積した感情を解放するために起きる現象です。 つまり、昼間起きていても、夜寝ていても、マイナス感情に支配されてしまう のです。 がははははは…っ! 感情に支配される人というのは、マイナス感情を心に蓄積している人なのです。 だから、感情に支配されないようになるために、感情をコントロールすること が今までのやり方でした。 しかし、感情に支配されないようになるには、感情をコントロールするのでは なく、心の中に蓄積している残留思念を発散することです。 また、残留思念が一杯あると、あるがままの事実を見ることが出来なくなります。 なぜなら、自分の心を通して見たり、聞いたりするからです。 だから、心にマイナスの残留思念が多くあると、全てをマイナスに解釈して しまうんです。 例えば、約束をしていた予定を 「ごめんなさい、ちょっと行けなくなってしまった!」 と言われたとします。 マイナスの残留思念が多くある人は、「裏切られた!」と解釈し、相手を 憎み始めます。 しかし、それは自分の解釈であって、あるがままの事実ではありません。 事実は、「約束通りに行くことが出来なくなったことをあなたに報告した」 だけなんです。 「裏切られた!」というは、自分の解釈です。 その証拠に、相手がちゃんと謝っているではありませんか! 裏切るとは、最初からあなたを騙す目的で行動することを言うのです。 もし、あなたに心から「申し訳ない」と言っているのなら、裏切りでは ないんです。 この世界は変化の世界です。 全てが予定通りに行くはずがありません。 だから、「事情が変化して、約束通りに行けなくなった」とわざわざ伝えて きたのです。 この行為が「裏切り」なのでしょうか? 「裏切り」と解釈するのは、自分の中にマイナスの残留思念を通して聞く からなんです。 よく、なんでも悪意に解釈して勝手に怒っている人っているでしょ? それは、その人の残留思念のせいなんです。 つまり、性格の悪い人というのは、マイナスの残留思念が多く蓄積して いる人のことなんです。 また、未遂の思いは死んでも終わらないのです。 来世に持ち越すのです。 ヨガの聖者・パラマンサ・ヨガナンダは言っています。 「欲望は、これを満たすか、または克服(浄化)しないかぎり、いつまでも 心の中に残ります。 あなたが死ぬ時、肉体は死んでも、その力(欲望)は死にません。 欲望は潜在意識の中に潜んでいます。」 だからこそ、心の浄化が大切なんです! あははははは…っ! 心に蓄積した残留思念は、体の節々に溜ります。 残留思念が体の節々に溜るとエネルギーの流れが悪くなり、やがて病気という現象と して現れます。 この病気を引き起こしているのは、内なる生命なんです。 なぜなら、病気になることによって、残留思念が解放されるからです。 病気の大半は、体の節々に溜っている残留思念を解放するために、内なる生命が引き 起こしたもなんです。 病気とは浄化であり、内なる生命の祝福なんです。 心地悪い祝福ですが…。 がはははは…っ! どんな人の体も、残留思念が溜っています。 その残留思念は浄化をすれば、狂気じみた行動をすることはありません。 常に、正気な人間でいられます。 浄化の中でも、強力な効果があるものの1つに、体にバイブレーション(振動)を与える というのがあります。 なぜ、体に振動を与えることが浄化になるのでしょう? 考えてみて下さい。 人間を構成している細胞は何から出来ています? 「水」ですよね? まさか細胞は鉄で出来ていませんよね? 細胞が鉄の人を「サイボーグ」と言います(笑) がはははは…っ! あっ、話が脱線しました。 細胞は水から出来ています。 肉体は細胞から出来ています。 だから、肉体のことを「水子」と言うんです。 体の節々に残留思念が溜るとは、別の言い方をするとこうです。 「細胞の中に、残留思念というエネルギーの塊が溜る。つまり、細胞という 水の中に溜る。」 しかし、細胞の中のエネルギーの塊は、振動させると溶けてなくなります。 というのも、塊(固体)というのは、エネルギー(気体)の振動が下がることに よって出来たものだからです。 例えば、空気の振動を下げると水になります。 さらに、水の振動を下げると氷という固体になります。 固体というのは、気体の振動が下がったものです。 エネルギーの振動を下げると塊(物質)になるということは、物質の振動を 上げれば気体になるということです。 だから、細胞の中に溜ったエネルギーの塊に振動を与えると、塊は溶けて 元のエネルギー(気体)となり、流れて消えていくのです。 細胞に振動を与えると、細胞を構成している水が揺れます。 その水の揺れ(振動)によって、エネルギーの塊の振動が上がり、溶けて なくなるのです。 体にバイブレーション(振動)を与える。 こんな単純なことが、途方もなく助けになるのです。 がはははは…っ! 体にバイブレーション(振動)を与える方法は、たくさんあります。 簡単なのは、音を唱えることです。 例えば、ハミング。 口を閉じて「んんんん〜〜〜っ!」と全身を振るわします。 その音の振動で残留思念(エネルギーの塊)が溶けてなくなるのです。 詳しくは「ハミングの効用」を参照して下さい。 http://plaza.rakuten.co.jp/newtral343/diary/200910110000/ ハミングを活用したOSHOの「ナーダブラーマ瞑想」や、各チャクラに 合わせた音を唱える「チャクラサウンド瞑想」が、癒し効果の高いのは、 そのためなんです。 がはははは…っ! また、他にも強烈な方法があります。 それは、立って全身を揺らす運動をすることです。 OSHOは、全身を揺らす効果にいち早く注目した人です。 だから、全身を揺らす運動を瞑想に採り入れました。 その瞑想こそ、OSHOの代表的な瞑想である「クンダリーニ瞑想」です。 クンダリーニ瞑想は、極めて発散浄化力のある瞑想で、これまで多くの 達成者(悟りを開いた者)を出した瞑想法です。 それは、全身を揺らすことで浄化が促進するため、無心になりやすくなる からです。 それくらい全身を揺らす運動は蓄積したエネルギーを解放するのに有効 なのです。 想像してみて下さい。 全身を揺らすと、60兆の細胞の水が一斉に振動するのです。 だから、細胞(水)の中に溜ったエネルギーの塊が一斉に溶け出すのは当然です。 生きている以上、どうしても残留思念は溜ります。 それは避けられません。 しかし、残留思念が溜ることは避けられなくても、蓄積した残留思念を解放する ことは避けられます。 蓄積した残留思念を解放するには、何かしらの処置を施す必要があるのです。 でないと、病気を待つことになります。 だから、エネルギーを解放する術を知ることは、必ず、助けになります。 「ハミングをしたり、音を唱える」 「全身を揺らす」 こんな単純なことが、途方もない助けになるのです。 ぜひ、実践してみてください。 今日の話はこれで終わりです!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ありがとう仙人の心のホームルーム ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <浄化の季節、到来!3〜9月は浄化に最適の時期です!> ★2010年3月12日(金) 13:30〜14:30(予定) ※平日にしか参加できない方のための日です。 <内容> ★クンダリーニ瞑想 ★ 体をプルンプルン・・・と振動させる第一ステージから始まるこの瞑想は、 古いエネルギーを一掃させ、全身に新しいエネルギーを呼び起こす瞑想法です。 簡単ですので誰でもできます。 第二ステージは音楽にあわせて自由に踊ります。 どんな型もありません。 踊りなんて出来ないという人でも大丈夫です。 リズムに身を委ねて、ただ体を揺らしているだけでもいいのです。 終わった後、きっとスッキリするでしょう! 「踊りは、自分を解き放つ」(OSHO) 静かながらも、強烈な浄化力のある瞑想で、OSHOの代表的な瞑想 の1つです。 ※ありがとう仙人は、OSHO瞑想の中でも、この「クンダリーニ瞑想」 をオススメします。 このクンダリーニ瞑想は、継続的にやることで必ず、自己変容が起きます! 【 申し込み方法 】 3月5日(金)までに、氏名・連絡先を記入の上、事前にメールで申し込ん でください。 件名は「12日参加希望」でお願いします。 申し込み newtral0835@infoseek.jp 【 場所 】 ★南越谷地区センター 南越谷公民館「パレット」 2階 「自由活動室」 ※動きやすい服装でお越しください。(激しい運動はありません) 〒343-0845 越谷市南越谷4-21-1 東武伊勢崎線新越谷駅徒歩5分 JR武蔵野線南越谷駅徒歩5分 ※駐車場は18台ございますが、満車の場合は近くの有料駐車場になりますので、 ご了承下さい。 地図はこちら↓ http://www2.city.koshigaya.saitama.jp/townmap/citymap_index.html?lat=35.87402886837667&lng=139.78673458099365&zoom=1 【 参加費 】 500円 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★2010年3月7日(日)、21日(日) 11:45〜12:45(予定) クンダリーニ瞑想は継続的にやることで自己変容が起きます。 <内容> ★クンダリーニ瞑想 ★ 【 申し込み方法 】 3月7日の瞑想は3月1日(月)までに、3月21日の瞑想は3月14日までに 氏名・連絡先を記入の上、事前にメールで申し込んでください。 件名は「7日参加希望」、「21日参加希望」でお願いします。 申し込み newtral0835@infoseek.jp ※動きやすい服装でお越しください。(激しい運動はありません) 【 参加費 】 500円 【 場所 】 ★ 越谷囲碁会館1階(埼玉県越谷市赤山1−25) ★ 東武伊勢崎線越谷駅(準急・急行で上野から乗車時間26分) 駅西口を出て、春日部方面(右)へ線路沿いに真っ直ぐ徒歩3分です。 ※専用駐車場はございません。 地図はこちら↓ http://www.geocities.jp/shurenkan/map.html
みなさん、こんにちは! 先日の「真理瞑想」は、感動的でした。 参加できなかった人のために、真理瞑想の話の一部を掲載したいと思います。 というわけで、今日は、真理瞑想行を文字で再現してみます。 (途中のブザーや鐘の音は再現できませんが…) ---------------------------------------------------------------------- 安定打坐…。 さぁ、真理の瞑想に入ろう! 人は一人では生きていけない。 どんな人も、必ず、誰かとの縁の中で生きている。 縁とは、「出会い」のことである。 出会いのない人生なんてありえない。 しかし、この「出会い」というのは、自分の意思とは無関係に起こるものだと思って いる人が多いようである。 つまり、出会いは偶然に起きるものだと思っているのである。 しかし、人生に偶然はないのである。 中村天風先生は言っている。 「縁というのは、偶然のような形で起こる。しかし、それは必然の出来事なのである」 つまり、「自分の意思に反したことは起こらない」のである。 こう言うと、「いや、俺の意思に反したことばかり起きてるよ」という声が聞こえて 来そうである。(笑) しかし、それでも断言する。 「自分の意思に反したことは起こらない」のである。 実は、自分の意思には、大きく別けると2つある。 1つは、自我の意思である。 そして、自我とは別に、もうひとつ、自分の意思がある。 それは、魂(生命)の意思である。 しかし、表面意識に意思が上がって来た時点では、これが自我の意思なのか 魂の意思なのか識別出来ない。 … 略 … さて、出会いについてだが…。 実は、出会いを起こすのは、この想念というエネルギーなのである。 先も言った通り、人は休むことなく、想念エネルギーを放出している。 (放出している想念エネルギーは、言葉にしたり、行動することで、さらに パワーが強大になる。) 人から放出されるエネルギーは、波形を伴って宇宙に放射される。 放出された人のエネルギーは、市町村を越え、県境を越え、国境を越えて 宇宙をさまよう。 宇宙、特に地球は、人が放出したエネルギーで充満しているのである。 そして、自分が放出したエネルギーが、どこかの地点で他の人が放出した エネルギーと出会う。 このエネルギー同士の出会いを「縁」と言う。 そして、出会ったエネルギーが同質のエネルギーだった場合、エネルギー同士 が結び合う。 このエネルギー同士の結び合いを「縁結び」と言う。 そして、エネルギー同士が結び合うと、ひとつのエネルギーになる。 すると、エネルギーを放射した人同士が一本の糸のように繋がる。 これが結婚する男女なら、「赤い糸」と言われる。 というのも、エネルギーには、色があるからである。 エネルギーの色とは大きく分けると7色ある。 つまり、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫色である。 結婚する関係のエネルギー結合は、赤く輝く。 だから、「赤い糸」と呼ばれているのである。 エネルギーが一本の糸のように繋がると、引力が働く。 別の言い方をすると、「引き寄せの法則」が作用し始めるのである。 すると、遠く離れた所にいる者同士の距離が段々、縮まって来る。 あなたの知覚出来ないエネルギーの糸の働き、すなわち、引力によって、 お互いが近づいて来る。 1日、1日と見えないエネルギーの糸の働きで、お互いの距離が近づいてくる。 そして、ある日、現実として知らない者同士がバッタリ出会うのである。 これが「縁(出会い)」の仕組みである。 つまり、自分が放出するエネルギーの波形、色、速度、周波数によって、 エネルギーの結合が起こり、出会う人が引き寄せられるのである。 また、人と人との出会いだけではなく、ペットや本との出会いも、自分が 放出するエネルギーによって、同様に起こるのである。 なぜなら、人間だけでなく、動物や植物、鉱物など、全ての物がエネルギー を放出しているからである。 だから、あなたが手にしている本も偶然ではないのである。 昔から、「準備が出来た時、師(導師)が現れる」と言われているのは、 そのためなのである。 あなたの心が熟した時、あなたの放射したエネルギー作用によって、 師と出会うのである。 しかし、師と出会うと言っても、直接出会うとは限らない。 本で間接的に出会うことも師との出会いである。 幕末の志士・吉田松蔭は言っている。 「良師良友は歴史(本)の中からも得られる」 出会いとは、同質のエネルギー同士の結合を言うのである。 同質のエネルギー同士とは、同じ色、速度、周波数、波形をしたエネルギーと 正反対の色、速度、周波数、波形をしたエネルギーのことである。 エネルギーは、同じような波形同士と結び合い、また、正反対の波形とも 結び合う。 同じ波形が結び合うのは分かると思う。 が、正反対の波形とも結び合うのは、どうしてなのだろうか? 実は、正反対の波形というのは、エネルギー的に見れば同じなのである。 つまり、エネルギー的には同質なのである。 例えば、慈悲。 慈悲の波形をしたエネルギーを絶えず放射している人は、どこかの地点で 別の人が放射した慈悲の波形をしたエネルギーと出会い、結ばれる。 そして、いずれ現実に出会う。 また、別の人が放射した怒りの波形をしたエネルギーとも出会い、結び合う。 そして、いずれ現実に、すぐに怒る人とバッタリと出会うのである。 なぜなら、慈悲と怒りは同質のエネルギーだからである。 慈悲と怒りは、エネルギー的には一体であり、表と裏の関係なのである。 だから、ブッダやイエス・キリストのような愛の人も、ヒステリックな人と 出会うのである。 しかし、愛の人がヒステリックな人と出会うからと言っても、波形が正反対 であるから、交友関係になるとは限らないのである。 「類は友を呼ぶ」と言われているように、やはり、交友関係になるのは、 基本的には同じ波形の人なのである。 しかし、正反対のエネルギーは同質であるため、エネルギーが反転して 同じ波形になることはある。 つまり、「今日の敵は明日の味方、今日の味方は明日の敵」ということである。 自分が放射するエネルギー作用によって、お互いが出会うとしたら、 自分の交友相手を見れば、今の自分の進化状態が分かるとも言える。 インドのマスター(導師)・パラマハンサ・ヨガナンダは言っている。 「何よりも大切なことは、交友を選ぶことである。 どんな友達と付き合っているかを聞けば、その人がどんな人間かわかるのである。 率直に真実を語り、自己改善を助けてくれるような優れた人たちと付き合うべき である。 自分の生き方や欠点をどう改めれば幸せになれるか謙虚に忠告をしてくれるよう な友達こそ、最良の友なのである。」 また、自分が放出するエネルギーの波形、色、速度、周波数が変化すれば、 エネルギーの質が変わった為、今まで付き合って来た友人とも気が合わな くなり、やがて離れていくのである。 これが「別れ」の仕組みである。 別れとは、単なるエネルギーの変化による現象にすぎない。 「気が合う」とは、エネルギーの質が合うということであり、「気が合わない」 とはエネルギーの質が合わないということなのである。 すなわち、別れとは、単なるエネルギー現象なのである。 それなのに、友人や恋人と別れると、何か犯罪を犯したように感じて、自分を 責める人が多い。 なぜなら、「継続は力なり」という言葉に代表されるように、何でも長く続いた 方が良いと思い込んでいるからだ。 しかし、長く続いた方が良いというのは偏った考えであり、極端な考えである。 関係は、長く続いてもいいし、短く終わってもいいのである。 なぜなら、別れとは、単なるエネルギーの変化にすぎないからである。 エネルギーの変化に、良いも悪いもないのである。 この世界は変化の世界である。 だから、自分が放出するエネルギーも、当然変化するのである。 つまり、「出会い」も「別れ」も単なるエネルギー現象であり、進化の プロセスなのである。 だから、自分の努力によって、最良の友を引き寄せることが出来るのである。 ある日、弟子のアーナンダがブッダに尋ねた。 「交友相手を選ぶことは、自己実現を成就するためには、大切なことだと思います。 ブッダさまは、どう思われますか?」 「アーナンダよ、交友相手を選ぶことは、自己実現を成就するために大切なこと ではない。 交友相手を選ぶことは、自己実現を成就させたことになるのだ。」 また、中村天風先生も言っている。 「進化向上に意欲的な集団の中に、積極的に飛び込みなさい。 そうすれば、進化向上がたやすくなる。」 交友相手を選ぶことは、自己実現には必要なことなのである。 パラマハンサ・ヨガナンダは言っている。 「真の幸福を得るには、瞑想することと、偉大な人たちの本を読んで、 その思想を学ぶこと、高尚で親切な人たちの中で暮らすことが何より も大切である。」 心の訓練していると、環境の影響を受けないようになってくる。 しかし、それは心が十分に強くなってはじめてそれが可能なのであって、 そうなるまでは環境の影響を受けてしまうものである。 だから、環境の影響を受ける性質を逆に利用して、交友相手を選べばいい のである。 病弱な人は、強健な人たちの中で暮らせば、その影響を受けて丈夫になる。 自分勝手な人は、奉仕に生きている人の中で暮らせば、その影響を受けて 思いやりの心が養われる。 親切で、愉快な人と交流するだけで、大きく変わる。 そういう人がいないときは、偉大な人たちの本を読んで、その思考から 学べばいいのである。 どんな人と付き合うか? これほど重要なことはないのである。 … 略 … 最良の友とめぐり合うことが自己変容の近道である。 最良の友とめぐり合うには、自分にその準備を整える必要がある。 その準備とは、「浄化」と「瞑想」である。 浄化と瞑想に励むことによって、心が洗われる。 すると、それに最もふさわしい人が引き寄せられてくるのである。 なぜなら、出会いは自分の放出するエネルギーが関連しているからである。 … 略 … ---------------------------------------------------------------------- 以上、真理瞑想でした! 真理瞑想の実況CD希望の方はこちら↓ http://plaza.rakuten.co.jp/newtral343/003001
みなさん、こんにちは! 新年ですね! あけましておめでとうございます! 今年は寅(トラ)年です。 「よし、では新しいことにトラいするぞ!」(初笑) もちろん、「タイガーん(大願)成就です!」(笑) がははははは…っ! 今日は、話というよりは、新年のご挨拶です! みなさん、初詣に行くと思いますが、何を神様にお願いしています? お願い事は人それぞれ違いましょうが、結局は「幸せになる」ことをお願い しているんですよね? 「商売繁盛」、「家内安全」、「無病息災」といった代表的なお願い事は、 つきつめれば、「幸せになりたい」ということです。 商売が繁盛して欲しいのも、お金を得ることによって幸せを感じたいからです。 だから、お金が欲しいのです。 「分かったかね?」(笑) 「まーねー(マネー)!」(笑) がはははは…っ! 家族が平安であって欲しいのも、幸せを感じたいからです。 健康でありたいのも、幸せを感じたいからです。 「幸せになる」 これが万人の共通の願いなんです。 では、どうすれば人は幸せになれるのでしょう? 簡単に幸せになるヒントが、中村天風先生の言葉の中にあります。 その言葉とは、こうです。 「あなたたちは、何か感謝する出来事があってはじめて感謝するだろう。 それが違うんだよ。 先ず、感謝する。そうすれば感謝は後からついてくる。 順序が逆なんだよ!」 この言葉の中の「感謝」を「幸せ」に置き換えるんです。 なぜなら、感謝と幸せは同じだからです。 置き換えると、こうなります。 「先ず、幸せになる。そうすれば、後から幸せがついてくる。」 あはははは…っ! 「先ず、幸せになる」とは、架空的に「私は幸せだ」と断言すること ではありません。 それは、ただの「言い聞かせ」です。 そうではなく、自分と密接な関係にある人に、「自分が幸せである」こと を宣言することです。 実際、あなたが気づかないだけで、その人と縁があったお蔭で幸せなの ですから。 すなわち、「あなたと出会えたお陰で、私は幸せです」と相手に、先に 宣言する(先に幸せになる)んです。 すると、後から幸せがついてくるんです。 もし、「あなたと出会えて、私は幸せです」と言われたら、あなたは どう感じますか? 不快に感じますか? 嬉しいですか? イエス・キリストは言っています。 「自分がしてもらって嬉しいことを、他人にもしなさい!」 分かりました? 「イエス!」(笑) がははははは…っ! 例えば、両親に、「お父さんとお母さんの家に生まれて、私は幸せです」と言う。 それを聞いて、怒る親はいません。 むしろ、子供の為に、もっと援助してあげようと思うはずです。 「あなたのお陰で幸せです」と言うことによって、先ず、自分が幸せになると 同時に、相手も幸せになるんです。 すると、相手は、もっとあなたを幸せにしようとします。 というのも、人は自分が幸せの時は誰でも、他人に親切になるからです。 反対に、他人に意地悪をする時は、必ず、自分が傷ついています。 つまり、幸せにせよ、不幸せにせよ、先ず、自分がその状態になっているんです。 その後に、同じ現象がついてくるのです。 天風先生が指摘するように、現象は後からついてくるんです。 だから、先ず、自分が幸せになるんです。 すると、後から幸せがついてくるんです。 つまり、「与えるのものが与え返される」のです。 OSHO曰く、 「あなたは、感謝するほかには何もできない。 あなたに感謝している誰かがいるとしても、自分の愛を受け容れてくれた人に、 あなたの方が感謝する。 相手は拒絶することもできた。 それなのに、あなたの愛を受け容れてくれた。 その人は、あなたの重荷を降ろしてくれた。 そして、分かち与えれば与えるだけ、あなたはさらに多くを手に入れる。」 はははははっ! 夫や妻はもちろん、友人や職場の人にも同様のことを言ってみて下さい。 「あなたと出会えたお陰で、私は幸せです」と言われたら、必ず相手はあなたの 為に何かしてあげようと思いますよ。 というのも、人には「必要とされたい」という根源的欲求があるからです。 OSHO曰く、 「人がもっとも必要としているのは、自分が必要とされているということだ。 自分が必要とされていると、あなたは満足を感じる。」 だから、「私を必要としている人」の為に何かしたくなるようになって いるんです。 先ず、「あなたのお陰で幸せです」と相手に幸せ宣言をする。 すると、後から幸せがついてくるんです。 なんてシンプルなんでしょう! あはははは…っ! と言っても、相手に憎しみがある場合は無理して「幸せです」と言う必要は ありません。 まず、本当に「幸せ」だと感じている人から始めてください。 幸せでもないのに、無理して自分の心と反対のことを言うと苦しくなり、 逆効果になります。 どうしても相手に「あなたのお陰で幸せです」と言いたくない場合は、 先ず、浄化です。 浄化すれば抵抗なく言えるようになります。 いや、言えるようになると言うよりは、言いたくなります。 なぜなら、浄化すれば自分を苦しめていたエネルギーが無くなり楽になる からです。 楽になってしまえば、自然に「相手のお蔭で成長出来た」ことに感謝して いますから! だから、私は浄化を勧めているのです。 がはははは…っ! しかし、「先に幸せを相手に宣言して、後から自分が幸せになる」という やり方は、相手がいないと出来ません。 真の「先に幸せになる」とは、自分一人で幸せになることを言うのです。 しかし、最初は自分一人で「幸せになる」なんて出来ません。 だから、相手に幸せを宣言することによって、後から幸せがついてくる という体験をするのです。 相手がいると、後から幸せになる実感が容易に出来るのです。 なぜなら、相手から感謝が返ってくるからです。 そして、次のステップは、相手がいなくても、自分一人で幸せになれる ようにすることです。 でも、なかなか出来ませんよね。 実は、自分一人で幸せになれる方法があるんです。 それは中村天風先生が創始した「安定打坐(あんじょうだざ)」です。 安定打坐は、誰でもその日に「無」を体験できる特殊な坐禅法です。 思考が停止し、無心になっている時は、ただ「在る」状態です。 この「ただ在る」状態の時、何とも言えない至福感を感じます。 OSHO曰く、 「瞑想とは何もせずにただ在ること、行為も思考も感情もない。 ただ在るだけで、それがまったくの喜びとなる。 何もしていないのに、この喜びは一体どこからやってくるのだろう。 それには原因はない。 なぜなら、実在(内なる生命)は喜びとよばれる素材によって造られているからだ。」 「ただ在る(無になる)」、これこそ、「先ず、幸せになる」ということなんです。 先に「至福」になれば、後から同様の現象がついて来ます。 だからこそ、昔から多くの人が無心になろうと修行しているのです。 修行僧を見て、「何の為に、苦しい思いをして坐禅なんかしているんだろう」と 思ったことありません? それはみんなと同様、幸せになりたいからです。 無心の時、思考がありませんから、当然、悩みもありません。 なぜなら、悩みとは思考から構成されているからです。 その思考がないのですから、悩みがあるはずありません。 そして、無心の時は、思考がないから静寂であり、平安です。 この静寂こそ、最高の幸せな状態なのです。 だから、最初に、自分が静寂・平安になることによって、後から至福がついて くるんです。 だからこそ、無心を求めて修行しているんです。 がはははは…っ! しかし、無心になるのは至難の技です。 ところが、天風先生の「安定打坐」なら、その日のうちに誰でも無心に なれるのです。 と言っても、最初のうちは1秒くらいしか無心の状態は続かないでしょう。 何回かやると、5秒くらいは無心の状態が続きます。 それくらい続くと、何とも言えない至福を体験するはずです。 すると、後から至福がついてくるんです。 「無心」になることは、幸せへの道なのです。 つまり、「安定打坐」は幸せへの道なのです。
みなさん、こんにちは! ブッダは、苦しみを追求したあげく、光明(悟り)を得ました。 そして、光明を得たブッダは、苦しみから解放されました。 そして、ブッダは苦しみから解放されてはじめて、「なぜ、人は苦しむのか?」 が分かったのです。 そこで、ブッダは人々を苦しみから救うために、こうアドバイスしました。 「人々が苦しむのは、偏った考えや生活をしているからである。 偏った生活をやめて、真ん中(中道)に生きなさい!」 「偏る」とは、別の言葉で言うと「極端」ということです。 どんな人も必ず極端に生きています。 ただ、自分の極端に気づいていないだけです。 例えば、ダイエットしようとすると、「もう甘いものは絶対に食べない」と言ったり…。 絶対に食べない? なんて極端なんでしょう! 絶対に食べないのではなく、節制すればいいのでは? 「チョコをちょこっと食べたら?」(笑) わはははは…っ! また、職場で少しでも腹が立つことがあると、「辞めてやる!」と言う人。 なんて極端なんでしょう! 職場の改善に全力を尽くしてみたらどうですか? あはははは…っ! では、どうして人は極端になるのでしょう? それは「自我(エゴ)」の性質から起こる現象です。 エゴは、どちらか1つに結論をつけたがる習性があるんです。 「どちらが正しいか決着をつけよう!」 これがエゴなんです。 「どちらか1つ」であって、「どちらも」なんてエゴには納得いかないんです。 結論を1つに決めたがるために、考えが偏ってしまうんです。 がはははは…っ! どんな人もエゴを持っています。 だから、どんな人も極端に生きていると断言しているんです。 そして、ほとんどの人が極端になっているものの1つに「感情」があります。 ほとんどの人が「マイナス感情は良くない」と思っています。 その証拠に、マイナス感情を否定する本はたくさんありますが、マイナス感情を認めている 本はほとんどありません。 しかし、「マイナス感情は良くない」と一方的に決めつけるのは極端なことです。 なぜなら、どんなものにもメリットとデメリットの両方があるからです。 「私もメリットありますよ!」 「???」 「風呂場にあります!」 「それはリンス! メリット!」(笑) がははははは…っ! もちろん、マイナス感情は多くの人が指摘するように、良くない面もあります。 しかし、マイナス感情にもプラス面があるのです。 例えば、怒りは自分の快適さを守る役割があり、不安や恐れは危険から守る役割があり、 悲しみは愛を深める役割があるのです。 しかし、これまで、マイナス感情のデメリットだけが強調されてきました。 だから、「いかにしてマイナス感情を出さないようにするか」ということが重視されて きたのです。 しかし、それは不可能なんです。 体験してるでしょ? 「もう二度と怒らないぞ!」 と、固く決意したものの再び怒ってしまったという体験。 いくら頭で「マイナス感情は出さない」と決意しても、マイナス感情は湧いてくるんです。 あはははは…っ! 「マイナス感情は良くない」と思って生きている人は、プラスに偏っているんですから、 当然、苦しくなります。 ブッダが指摘するように、偏ると苦しくなるんです。 よく、「いつも人には明るく親切に、愛深く接しなさい」という指導者がいますが、それは拷問です。 そんな不可能なことを教えられたら、人に優しく出来なかった時、罪悪感にさいなまれ、 苦しくなるだけです。 人はとかくマイナスに偏る傾向がありますから、あくまでも、バランスをとるために、そういう 心掛けで生きましょうということです。 OSHO曰く、 「非常に誤った考え方が生まれている。 それは、人は常に開いていて、常に愛情深くあるべきだという考えだ。 これは新しい種類の拷問、新しい種類の抑圧であり、新しい形の暴力だ。」 がはははは…っ! ブッダは、苦しみから解放するには「偏った考えから離れて、真ん中(中道)に生きなさい」 と言いました。 真ん中(中道)に生きるとは、真ん中にとどまることだと思っている人が多いようです。 しかし、真ん中に生きるとは、プラスだけではなく、マイナスも肯定して生きることなんです。 ある時は喜ぶ。そして、その喜びも長続きしません。 なぜなら、この世界は動いているからです。 だから、必ず、悲しみがその後にやって来ます。 悲しみがやって来たら、今度は悲しむ。 そして、また喜びがやって来ます。今度は、喜びを体験する。 こうやって、プラスとマイナスの両方に動きながら生きることが真ん中に生きることなんです。 それはちょうど、綱渡りのようなものです。 綱渡りは、右に傾いたら、左に傾かせてバランスをとります。 常に、右と左に動くことで真ん中を歩くことが出来るのです。 最初から傾かないように歩いたら、バランスを失い落ちてしまいます。 なぜなら、動くからです。 動いている以上、必ず、どちらかに傾くのです。 人生も全く同じで、最初から真ん中、つまり、平安を求めたら、バランスを 失い傾いて苦しくなるんです。 人生も動いている以上、必ず、どちらかに傾くのです。 だから、プラスとマイナスに動いてバランスをとることが真ん中に生きることになるんです。 そうすれば、平安がやって来るんです。 なぜなら、マイナスからプラスへ移る時、必ず、真ん中を通るからです。 プラスとマイナスの真ん中とは、平安であり静寂です。 つまり、人生は綱渡りのようなものなんです。 がはははは…っ! 私は今まで悲しみや落ち込みがやって来たら、「そのままトコトン悲しんで下さい」 と言って来ました。 それは、悲しみを体験し尽したら、エネルギーの流れが反転して、今度は喜びに 向かうからです。 しかし、「悲しんだり落ち込んだりするのは良くない」と思って、その状態を否定すると、 エネルギーの流れが滞り、反対側に動けないんです。 罪悪感や自責の念を抱くことによって、反対側に向かおうとしている動きを 止めてしまっているんです。 だから、苦しくなるんです。 悲しみがやって来たら悲しみを体験する。 そうすれば、エネルギーが流れて反対側に向かいます。 だから、今度は喜びがやって来ます。 そして、ほとんどの人は、喜びがやって来たら、その状態をキープしようとします。 喜びをキープする手段としてよくやるのが、マイナス感情の「抑圧」です。 喜びを維持しようとするのは極端なことなんです。 「喜びを維持しようと意地になるな!」(笑) わはははは…っ! この世界で永続するものはないのです。 生は、喜びに傾いたら、悲しみでバランスをとり、悲しみに傾いたら喜びで バランスをとるように出来ているんです。 このように、動いている人を「活き活きとした人」と言うのです。 喜びだけで生きようとする人も、罪悪感と自責の念で悲しみで生きている人も、 共に偏っています。 OSHO曰く、 「ひとつの極端を選び取るのはやめなさい。両方の極に開いていなさい。 それがコツ、バランスをとる秘訣だ。 ある時は、すっかり幸福になって、またある時は徹底的に悲しみなさい。 どちらにも、それなりの美がある。 活き活きとした人は絶えず動いている。 怒りから慈悲へ、慈悲から怒りへ。 そういう人は、その両方を受け容れるし、どちらにも同一化しない。」 がはははは…っ! もし、怒ってしまったら、後悔するのではなく、愛でバランスをとればいいのです。 バランスをとるとは、反対側に動くことなんです。 多分、皆さんが歴史上の偉大なマスターと出会ったら、失望すると思います。 なぜなら、偉大なマスターたちは、皆さんが否定しているマイナスを平気で 表現するからです。 マスターは「完璧な人」ではありません。 悟れば完璧な人間になると思っていません? それは違いますよ! マスターは、プラスとマイナスを動く「活き活きとした人」なんです。 「マイナス感情は良くない」と思い込んでいる人の特徴は、完璧主義です。 完璧主義者は、プラスに固定しようとして生きている、いわば死んだ人です。 なぜなら、宇宙全体が動いているのに、動こうしないからです。 生きている証しは「動いている」ことです。 また、死んだ証しは「動かない」ことです。 魂は完璧を望んでいません。 なぜなら、魂は元々完璧であり、今も完璧だからです。 完璧を望んでいるのはエゴなんです。 「アンドリューNDR114」という映画知ってます? 完全な人間型ロボットであるアンドリューは、完璧だったゆえに、人間のような 喜怒哀楽を知らなかった。 そこで、アンドリューは、人間を体験したくなり、不完全になっていく手術?を受ける。 そして、不完全であることを喜ぶ。 不完全に喜ぶアンドリューは、人間と同じように苦しみ始めるが、それに満足する、 という話。(多分、そういうストーリーだったと思う) つまり、不完全なことは素晴らしいんです! がはははは…っ! 完璧主義を直すには、何でも「9」で止めることを習慣づけることです。 例えば、腹筋をやるなら9回で止める。 エゴは完璧を目指します。だから、あと1回やりたがります。 あと1回で10回となり、区切りがいいからです。 エゴは、常に完璧な状態で終わらせようとします。 それをあえて不完全な回数で終わらせるのです。 つまり、「意識的に不完全になる」のです。 不完全に慣れることで、マイナスを受け容れるようになります。 プラスだけで生きようと偏るから苦しいのです。 ひとつの極端だけで生きるのは、もうやめましょうよ! もの凄く楽になりますから! ははははっ! 偏った生活が苦しみの原因であるとブッダは言っています。 だから、堂々と、プラスとマイナスを行き来する活き活きとした人になりましょう! 今日の話はこれで終わりです! ご清聴、ありがとうございました。
みなさん、こんにちは! 生きる上で必要不可欠なものに「睡眠」があります。 飲食物は数日間、摂取しなくても生活出来ますが、睡眠は数日間取らなかったら、 普通に日常生活は送れません。 それくらい「睡眠」は、生きる上で必要不可欠なものです。 では、どうして睡眠が必要不可欠なのでしょうか? 「それは睡眠をとることで消耗した活力が復活させるためだよ!」 と、ほとんどの人は言います。 では、どうして眠ると活力が復活するんですか? 知ってます? がはははは…っ! 我々は、起きている時はエネルギーが外へ向かっています。 外へエネルギーを出す最大の器官は「目」なんです。 エネルギーの7割以上は、目を通して外へ出ていくんです。 こういう経験したことありません? 大勢の前で話をする時、緊張して胸がドキドキし、恐怖を感じた。 これは、大勢の目が自分に向けられていることによって、大量のエネルギーを 浴びるので恐怖を感じたのです。 7割以上は目からエネルギーが外へ出るんです。 だから、多くの目が一斉に自分に向けられたら、人は本能的に恐怖を感じるように なっているんです。 ははははっ! エネルギーの7割以上が目から外へ出ていくのですから、当然、最初に疲れを感じる 箇所も「目」なんです。 エネルギーが消耗してくると最初に疲労を感じるのは目なんです。 目が疲労した後に、他の箇所が疲れて来るんです。 「疲れた時に目を閉じると疲れが回復する」と言われているのは、目を閉じることに よって外へ出るエネルギー量が軽減するからです。 つまり、まず、目を休めれば、疲労は、かなり回復するんです。 OSHOは、疲労した目を蘇らせる方法を次のように言っています。 「両眼球に手を羽のように触れる」 決して手で目を圧せず、羽のように柔らかく触れるのです。 これは「タントラ」に伝わる技法らしいです。 ちなみに、ある言葉を唱えて内側を変えようとする技法を「マントラ」と言います。 また、仏画や仏像を見たり、聖なる姿勢をとったりして、外側から内側を変える技法を 「ヤントラ」と言います。 インドには、「タントラ」、「マントラ」、「ヤントラ」という3つの代表的な技法が あるんです。 豆知識でした! ははははっ! 話を「両眼球に手を羽のように触れる」に戻します。 OSHOによると、少しでも圧すると目から流れているエネルギーが内側に向かわなく なるそうです。 あくまでも羽のように柔らかく触れるのです。 疲れを感じた時は、いつでも、手を両眼球に羽のように触れてみて下さい。 疲れが回復しますから! それだけではありません。 この方法をやっている時、エネルギーは「第三の眼」に集まります。 そして、第三の眼に集まったエネルギーがハートのセンターに落ち、ハートが浄化される のです。 なにせ、この方法はタントラの秘法ですからねぇ〜! がはははは…っ! 実は、眠ると活力が回復するのは、外へ流れていたエネルギーが内側へ流れるからです。 だから、眠ると活力が回復するのです。 OSHO曰く、 「タントラによれば、深い眠りによって活力が回復するのは、眠りのせいではなく、 外へ向かっていたエネルギーが内に向かうからだ。」 がはははは…っ! では、なぜ、エネルギーが内に向かうと活力が回復するのでしょう? 人の身体は大きく分けると、3つの層から成り立っています。 すなわち、肉体、幽体、霊体の3つです。 一番外側の身体が肉体です。 肉体エネルギーが日常で使われるエネルギーです。 しかし、肉体エネルギーは、すぐに消耗します。 それでもさらに消費し続けると、第2の身体である幽体から活力が湧いてきます。 誰でもこういう経験があるはずです。 部活動などで、疲れているにもかかわらず、さらに運動を続けていると、ある時点から急に 元気になるという体験。 これは、肉体エネルギーから幽体エネルギーへとシフトしたから起こる現象です。 そして、睡眠とは第3の身体である霊体からエネルギーを供給することなのです。 霊体エネルギーは、無限エネルギーですから、消耗することはありません。 エネルギーが内に向かうと、最も内奥の霊体エネルギーに到達し、その源泉から温泉のように 活力が湧いて来るのです。 だから、復活するのです。 わははははは…っ! また、精神世界では、「眠るとは、魂が肉体から離れている状態だ」と言っています。 生まれる前、つまり、肉体を持つ前、魂は自由自在でした。 ところが、肉体に宿ると自由が効きません。 肉体は、少し動いただけで腹は減るし、疲れるし、怪我はするし、病にもかかります。 魂にとって肉体は、色々な感情を体で感じられる(実感出来る)利点がある反面、 不自由な存在です。 そこで、魂は肉体や自我を眠らせ、肉体から飛び出し、本来の自由を楽しむのです。 肉体から飛び出すと言っても、肉体から完全に離れるわけではありません。 意識を拡大させて飛び出すのです。 だから、肉体と繋がった状態で飛び出しているのです。 飛び出すと言うよりは、はみ出すと言った方がいいかもしれません。 本来の自由を満喫した魂は、リフレッシュし、エネルギーに満ちています。 リフレッシュして満足した魂は、再び肉体に戻ります。 だから、朝起きると元気になっているのです。 これが精神世界の「睡眠」の定義です。 もちろん、これが本当かどうかは知りませんよ。 がはははは…っ! 眠れば活力が蘇るんですが、なかなか安眠出来ない人って結構多いようです。 そこで、「安眠の秘訣」を紹介したいと思います。 中村天風先生の言葉を借りると、安眠の秘訣は「真に眠気を催した時に眠る」ことです。 眠くもないのに、決められた時間になったからといって眠りについても眠れないのは当たり前です。 眠くないということは、活力があまり消耗していない証拠です。 にもかかわらず、1日8時間眠らないと体に良くないと思って寝床に入っても眠れるわけ ありません。 活力の消耗度は1日1日違います。 「人は毎日、1日8時間眠るべき」というような、生はそんな固定的ではないんです。 その日の活力の消耗度によって、睡眠時間は毎日違うのが本当なんです。 睡眠が1日8時間の時もあれば、3時間の時もあり、10時間の時もあるんです。 だから、真に眠気を催した時に眠るのが安眠の秘訣なんです。 ただし、天風先生によると、「夜中12時を過ぎたら眠くなくても横になる」ことが望ましい そうです。 なぜなら、夜中12時を過ぎると太陽光線の残留エネルギーが消失するからです。 だから、夜中に起きて活動していると活力が消耗しやすいのです。 がはははは…っ! また、ちゃんと寝ているのに朝起きると倦怠感があるという人もいるようです。 そういう人への安眠の秘訣は、「北枕」で寝ることです。 えぇぇぇぇ〜〜〜〜〜っ! 縁起悪いぃぃ〜っ! ははははっ! 確かに、これまで「北枕」は縁起が悪いとされてきました。 それは、死者を安置する時に北枕にするからです。 「生きている人間が死んだ人間と同じポーズで寝るのは縁起が悪い」というわけです。 この「北枕」は、ブッダが死んだ時の姿勢です。 あの偉大なマスターが死んだ姿勢なので、後に人々が北枕を敵視したのです。 しかし、北枕はブッダが死んだ時の姿勢ではなく、ブッダが生きている時の姿勢だったの です。 ブッダは北枕で眠るのが習慣だったのです。 それは、北枕が体に良い影響を与えることを知っていたからです。 その証拠に、ブッダは弟子たちにも北枕を推奨していました。 地球には磁気があることは誰でも知っています。 この地磁気は、極から極へと流れています。 南(S極)から北(N極)へ流れているのか、北から南へ流れているのか、私は知りません(笑) (勉強不足です) ははははっ! しかし、いずれにせよ、北枕は地磁気の流れに順応した向きなのです。 人の頭はN極であり、人の頭はS極です。 地球も人も宇宙の1部です。 宇宙の1部である以上、宇宙の法則が適応します。 北枕は、宇宙に順応した姿勢なのです。 だから、北枕で寝ると宇宙エネルギーの流れに順応し、血液の流れが促進し、「頭寒足熱」と なり、安眠をもたらしてくれるのです。 OSHO曰く、 「古い文明を持つ国々では、どこでも、眠っている間にエネルギーが漏れ出さないように、 特定の方向に向かって眠る。 地球には磁気があるからだ。 地磁気を利用するには、一定の方向に横になる必要がある。 すると地磁気は一晩中、人を磁気化する。 その逆に眠ると磁気は反作用し、人のエネルギーは破壊される。 それで朝になると、衰弱したように感じる。 地磁気に反して寝ているから、活力が失せていくように感じられるのだ。」 がはははは…っ! 部屋の関係上、北枕に出来ない場合は西枕でも良いのです。 ブッダは北枕で眠っていましたが、顔は西を向けていたと言われています。 「頭北面西」という言葉は、ブッダの眠る姿勢から来ています。 西枕でもエネルギーの流れに反していませんので安眠出来きます。 あっ、北枕が良いからと言って、北枕でなければいけないということではありませんよ。 あくまでも安眠出来ない人に対して、北枕で寝てみたらどうですか!、という話ですからね。 がはははは…っ! 今日の話はこれで終わりです!
みなさん、こんにちは! 今日の話は、前回からの続きです。 前回、「抑圧して、怒りを蓄積していると、大食をするようになる」と 言いました。 (今回から登録した読者の方は、こちらをどうぞ↓) http://plaza.rakuten.co.jp/newtral343/diary/200911110000/ しかし、だからと言って「抑圧をしてはいけない」ということではありません。 誤解しないで下さいよ! 多くの人の中で生きる以上、感情を抑圧しないとトラブルになる時があります。 だからこそ、人間にだけ抑圧する特殊な能力が与えられているんです。 もし、怒りが湧いてくる度に相手に向かって怒りをぶつけていたら、周りから 敬遠され孤立してしまいます。 がはははは…っ! 要は、抑圧することが悪いのではなく、抑圧した感情を蓄積したままにしておく ことが良くないのです。 一般に、「抑圧する人」も、「相手に向かって感情を表現する人」も、共に、 相手に原因があると思っています。 つまり、自分が怒りを感じたのは、相手の責任だと思っているわけです。 「俺をイライラさせるな!」 「私を怒らせるな!」 こういうセリフ言ったことありません? 私はあります(笑) ははははっ! しかし、本当は、相手のせいではなく、自分の内側に蓄積している怒りが相手の 言動に呼応して湧いて来ただけなんです。 相手の言動に反応して感じる怒りのほとんどは、自分の内側の怒りが呼応して 湧いてきたものなんです。 相手は単に機会を与えただけなんです。 つまり、「私をイライラさせた」、「私を怒らせた」のではなく、「私がイライラした」、 「私が怒った」のです。 相手は、きっかけに過ぎないんです。 あくまでも能動的なんです。 そして、内側に多くの怒りを蓄積している人にとって、きっかけは何でもいい のです。 どんな些細なことだろうと、きっかけが与えられたら、内側の怒りが即座に 反応するんです。 これが、すぐにキレる人の原因です。 もし、内側の怒りをこまめに浄化していたら、些細なことで反応することは ないんです。 すなわち、怒っている人は、「今」を体験しているのではなく、「過去」の怒りを 体験しているのです。 「現在」にいながら「過去」を体験しているなんて、普通は気づきませんよね! がはははは…っ! 実は、過去を体験している人(内側に怒りを溜め込んだままにしている人)って 結構多いんです。 なぜなら、内側に怒りがあることを認めがらないからです。 もし、内側に多くの怒りがあることを認めたら、自分は人間的に欠陥があるよう に感じてしまいます。 それが嫌なんです。 たがら認めたがらないのです。 そのくせ、自分が愛ある行いをした時は、「私は愛深い人間」と容易に認めます。 つまり、「私=愛」というわけです。 しかし、自分が怒った時は、「私は怒り狂う人間」とは認めません。 「あいつが私を怒らせた」と言います。 つまり、「私=怒り」ではなく、「相手のせいで怒りが発生したのであって、 自分の蓄積していた怒りが湧いてきたわけではない」というわけです。 しかし、浄化にするには、まず、「自分は怒りだ」と、自分の内側にある怒りを 認めることが大切です。 そうではないと、怒りは相手によって発生したものとなり、怒りと自分は別なもの になってしまいます。 自分と共にあるエネルギーなら自分で処理できますが、自分とは別のエネルギーは 自分ではどうすることも出来ません。 だから、内側の怒りを認めない人は、いくら浄化法をやっても効果ないんです。 がはははは…っ! 「自分の内側の現状をあるがままに受け入れる」 これが浄化の第1歩です。 しかし、それには勇気が必要です。 なぜなら、自分の内側の現状をあるがままに受け入れると、まるで、自分が動物のように 感じ、ショックを受けるからです。 しかし、人間は動物でもあるんです。 OSHO曰く、 「あなたは動物だ。自分の動物性を受け入れるのだ。 自分が動物だと知ってる動物はいない。人間だけが知ってる。」 つまり、人間だけが自分が動物であることを知っている唯一の動物なんです。 がはははは…っ! どんな人も、内側には、怒り、恐れ、悲しみ、憎しみ、嫉妬などの感情がたくさん 蓄積しています。 「そんなこと知っと(嫉妬)る」(笑) がはははは…っ! 内側に多くの感情が蓄積していると、それは顔に現れてきます。 別に相手が何をしたわけではないのに、何か顔を見るとイライラする人っていません? また、側にいるだけで不快に感じる人っていません? それは、顔に抑圧したものが現れているからです。 だから、不快に感じるんです。 「深い話ですね!」(笑) ははははっ! つまり、内側にある動物性を解放しないかぎり、本当の人間の顔にはなれないのです。 OSHO曰く、 「あなたの顔は人間のものになれない。 なぜなら、じつに様々なものが顔に抑圧されているからだ。 自分が抑圧している嫉妬、憎しみ、怒りといったものが、みなそこにある。 何層にも何層にもわたって、皮膚の下に隠れている。 それがあなたの顔を作っている。」 がはははは…っ! 怒り、恐れ、嫉妬などの感情は動物的なものです。 これらを抑圧したままにすることは、自分の動物性を抑圧することになり、やがて顔に 雰囲気(オーラ)として現れます。 この動物性を解放するには、武道などの攻撃的な動作が助けになるんです。 というのも、何かを攻撃すると、抑圧していた内側の動物が表面に現れるからです。 試しに、何かを攻撃してみて下さい。 顔が猛獣そのものになっていますから(笑) がはははは…っ! 殴ったり、蹴ったりすると、内側の動物が解放されるため、ある種の快感がやって来ます。 その快感を感じたくて、人はいじめをするのです。 だから、いじめをなくしたいのなら、子供たちに発散浄化させることです。 内側の動物が浄化されれば、いじめはしません。 内側の動物を浄化するには武道が最適なんですが、いざ道場に行くのには勇気がいる ものです。 「武道を始めたいんだけど、でも、いざ道場に行くとなると…。」 その気持ち分かります。 「同情します」(笑) がはははは…っ! そこで、一人でも出来るエクササイズを紹介したいと思います。 サービスです(笑) がはははは…っ! これは昔、『日経ヘルス』という本に書いてあった方法です。 実際に試してみて、「これはいいな」と思ったので紹介したいと思います。 どういう方法かと言うと、「レジ袋を蹴る」のです。 はっ? と思いませんでした? ははははははっ! レジ袋に空気を入れて放り投げます。(レジ袋を縛る必要はありません) ただ空気を入れて放り投げます。 そのレジ袋を蹴るのです。 ただし、蹴る前に、目を閉じて、自分が怒っていることを思い出してください。 怒りでなくても、不安に思っていることでも構いません。 まず、感情を湧き上がらせるのです。 もし、嫌な人がいたら、その人に言いたかったことを言葉に出しながら蹴ると 効果は倍増します。 嫌な相手の顔を思い出して下さい。 言いたいことが湧いてくるでしょ(笑) それを言葉にしながら蹴るのです。 何日も蹴っていると、やがて、相手の顔を思い出しても、何の思いも湧いて 来なくなります。 そうなったら、実際にその相手と接しても平気になるんです。 なぜなら、嫌な人と解釈していた残留思念が消えたからです。 これは、OSHOの「まくら叩き」と同じ原理です。 “まくら”が“レジ袋”に代わっただけです。 「まくら叩き」については、こちらを参照してください。↓ http://plaza.rakuten.co.jp/newtral343/diary/200909160000/ 自分の動物性や感情を蹴ることによって吐き出すのです。 というのも、感情エネルギーは手足の指を通して流れて行くからです。 だから、怒りが頂点に達すると、殴ったり蹴ったりしたくなるのです。 エネルギーは手足の指を通して流れるからです。 だから、蹴ることは発散浄化するのに、かなりの効果があるのです。 わはははははは…っ! 最後に、OSHOの言葉です。 「人は、多くの動物的本能を持っている。 動物的過去から免れないかぎり、人は分裂したままにとどまる」 今日の話はこれで終わりです。 ご清聴、ありがとうございました。 さぁ、笑いましょう! わはははははははは…っ! にっこりぃぃぃぃぃぃぃぃぃ〜〜〜〜っ! |一覧|Recommend Item |
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