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子どもの頃、うちは貸本屋だったので、なにしろ漫画は読み放題だった。
鉄腕アトムも初版本から揃っていたし、白戸三平の忍者武芸帖も、本棚に並んでいた。幼稚園の頃は梅図かずおのホラー漫画が大ブームで、赤ん坊少女とか、へび女とか、怖がりながら、一生懸命読んでいた。 貸本屋はもうやめてしまってからも、漫画を買ってもらう習慣は残り、いくつかの連載漫画本は、毎月うちに届いた。 その頃にみたのだろうか? 手塚治虫の、どろろ。1967年から、少年サンデーに連載と書いてある。 http:// http:// どんなストーリーだったか、忘れてしまっていたが、先日、地上波でやっていた、映画版、どろろを観た。 すごく良かった。と、言う人もいれば、うーん、、、。と言う人もいた、賛否両論分かれる映画。映画館で見ようと思っていたが、うーん、、、。という意見に決断出来ず、今までほっておいた。(別にいいんだけど。) なんで観たかったかというと、昔読んだ、どろろのストーリー、忘れてしまっていたが、心の隅っこの方に、なんか、もの悲しく、せつないものが、残っているようなのである。それが何だっけ?と、思い出したかった。 ストーリーは、そうそう、こうだった。 室町時代末期、戦乱をくぐり抜け、傷だらけで地獄堂に逃れて来た、武士の醍醐景光は、その堂で、魔物に通じているという48体の魔像に、天下取り を願い出る。魔物たちは、天下取りの代償として景光の産まれてくる子どもを、生贄として要求した。景光は、その要求を受け入れた。 やがて、産まれて来た赤ん坊は、体の48箇所を欠損した体であった。恐ろしさのあまり、景光は、子どもを殺そうとする。しかし、母親が激しく抵抗する。 景光は、早く何処かにこの化け物を捨てて来い。さもなくば、すぐに、斬ってやる。と叫び、母親は、子供を盥で川に流した。 その赤子は、呪術師の原田芳雄に拾われる。この、目も、手も、耳も、足もない赤ん坊を、原田は拾って、育て始める。 手足のない子どもに、義手、義足を作り、ガラス玉で目玉を作り、耳を作り、心臓を作った。 子どもにはテレパシーがあり、人との交流は出来るようだった。 彼は原田のもとで、すくすくと育っていった。 彼の手には、いつか、必要な時が来る、と、刀を装着した義手を与えていた。 年をとって、原田が死に、その時に、謎の声の導きで、自分の体の不遇は、お前の本当の父親のせいである。と、告げられる。 旅をすれば、おのずと、お前の身体の一部がお前を呼び寄せ、お前の身体を奪った魔物と出会うことになるだろう。魔物を退治すれば、お前には、ひとつひとつ、身体が戻ってくる。そう、謎の声は教えた。 旅の途中、彼は、こそ泥の、少年と出会う。そいつは、魔物と戦う場面に偶然に遭遇し、倒した後に、彼の足が生えてくるところを目撃した。そして、腕に内蔵されている、百鬼丸、と彫りのある刀を欲しい、と、彼をつけ狙った。 こそ泥の少年は、彼のことを百鬼丸と呼び、自分のことを、どろろ、と名乗った。彼も、少年も、名前など、なかったのである。 どろろは親の敵を討つために、百鬼丸の腕に仕込んだ刀が欲しいといつまでもついてくる。百鬼丸も最初は疎ましく思っていたが、旅を続けるうちに、相棒とも、友人とも言える奇妙な絆が生まれて来た。 魔物を倒す度に、奪われた48箇所の体は一つずつ復活していく。だが周囲の村人には、二人とも忌み嫌われ絶えず追放される。 そして、旅を続けるうちに、ついに因果の糸がまわり始める。 百鬼丸を魔物に渡した父親は、大名の景光であり、その景光は、どろろの父親の敵であった。 どんなに憎くても、父親は殺せねぇ。おめぇとは、これきりだぜ。百鬼丸のもとを去ろうとするどろろ。 百鬼丸も、生みの母親に出会い、自分の弟の存在も知って、ココロは揺れる。 しかし、自分の父親を狙っていると知った弟の多宝丸は、百鬼丸を殺すために、後を追って来たのだが!! 、、、、!! 1969年には、アニメもフジテレビでやっていたらしい。 しかし、全身に欠損を持つ超能力者と盗賊の孤児が主人公ということで、差別語問題など微妙な問題が多く、地上波では殆ど再放送されないという。 CGを駆使して、映画として単純に楽しめる。しかし、魔物との戦いを際立たせるなら、戦いのシーンは、モノクロで撮った方が良かったのかも。 それと、彼の身体の出来ていく過程においても、この未来的な表現は良かったのかどうか。お茶の水博士によるアトムの製作シーンだ。 たしかに、妻夫木君を動かすなら、陶器や木の手足では、映画的に見せられなかっただろうことはわかるが。 したがって、今回のこの映画に関しては、架空の異世界が舞台であり、妻夫木君のイメージに合わせて、明らかに原作と違う設定で描かれている。 しかし、そういった部分を差し引いても、喪失したものたちの哀しさは、よく表現されていたのだ。 わたしは、最初のシーンの、死屍累々と戦乱の後の死体が連なっている大地を見た時から、ひゅるるると、その世界に入っていってしまった。 だから、あんまり正確な判断は出来ない。 出来ないが、ずーっと、見ている間、喉のあたりに、泣きそうになると出来るしこりのようなものができて、わけもなく、時々涙を流していた。 妻夫木君と、柴崎コウが、なんとも、良かったのである。(いまだに交際進行中か??) 孤独と喪失を抱えた2人が、「2人」になれたココロの灯りが、そこに見えるのである。 どこへいっても、追い払われる境遇の2人が、始めて、軒下に、2人でもたれかかって眠れる。 そのささやかすぎる喜びが、せつなかった。 CGものの、おちゃらけ映画と思うなかれ。 子どもが観たら、絶対、忘れない映画になると思う。(妖怪の恐さも、魔物の恐ろしさも、百鬼丸とどろろの友情も!!) もち、わたしだって、忘れない!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009/03/01 01:57:53 AM
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