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すごい題名だなぁと思いながら手にした。 芥川龍之介も正岡子規も芭蕉を批判していたという冒頭の書き出しである。 芭蕉は「古池や・・・・・」の句にちなんで、朝廷から「飛音明神」の号を賜り、 二条家から「花の本大明神」の神号を下され、神となってしまっていた。 芭蕉までもが神になっていたとは知らなかった。 芭蕉が訪ね歩き句を読んだ地が、比較的身近な所にありながら、さほど本人には興味も持たずにいたが、聖人とか神とか崇められてるために、「そうじゃないんだ」と嵐山氏もケチョンケチョンにけなしている。 蛙が飛び込んだ池は、江戸の大火で大量に死人が飛び込んだ池であり、ゴミも浮いていれば泥の匂いが強い混沌の池である、と。 『奥の細道』ルートでは芭蕉は俳聖という名の商品と化した、と。 この本には俳句と弟子について詳細に書かれているが、私には俳句の世界がよくわからないし、弟子の数が多すぎて、何が何やら・・・・・。 芭蕉が活躍したのが五代将軍綱吉の時代、「生類憐みの令」が出されていた時期ということで、将軍に媚びていたという解釈などは面白いと思って読んだ。 結局、芭蕉の強さは門人たちの闘争にあり、各派がはりあって論争したことにあるという。 芭蕉没後、弟子たちが分裂したからこそ、最終的に芭蕉が残ったというのが結論らしい。 芭蕉には忍者説があり、何をさぐっていたのか、旅の旅費はどこから出ていたのかということが長い間の私の疑問だった。 なんと、隠密は同行した弟子の曾良の方だった。 曾良は幕府のおかかえ秘密調査官で、東照宮改築工事にあたって、伊達藩と日光奉行との間で金銭の対立があり、その詳細を調べることが曾良の仕事だったという。 曾良は公費出張で幕府から費用が出ていたという。 伊達藩の動静をさぐる隠密の旅をカモフラージュするために、芭蕉を同行したというのだ。 旅の主役は曾良だったということなのか。 曾良はのちに二千石の旗本の用人となって、莫大な金を扱ったという。 曾良は旅を好む風流人であるだけれど、武士ではなく元々は神道神官で、頭を丸めて僧形になっていことなど、私の中の色々な疑問が解けていく。 誰かが言った。松尾芭蕉こそが歴史上最大のコピーライターだったと。 正岡子規は旅のゆくさきざきで芭蕉の碑が建てられていることに腹を立てていた。 嵐山氏も観光化に苦言を呈している。 しかし京都や奈良だって、昔のものにすがっているから観光客が多いのではないのか。 日本は観光立国としてこれからも生きて行くのだから。 先月鳥海山に登った帰りに、江戸時代まで「東の松島 西の象潟」と呼ばれた景勝地、秋田の象潟(きさかた)に立ち寄ってみた。 ここは1804年の地震で海底が隆起し陸地になってしまった所で、今は田んぼの中に松の木が点在しているのみだった。 芭蕉の見た風景はなかったが、200年前の地震の凄さを思ったのであった。 │<< 前日へ │翌日へ >> │一覧 │ 一番上に戻る │ |
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