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この日は私たちの大切なお友達しげるおじいちゃんの告別式(葬儀)でした。
しげるおじいちゃんと私たちが出会ったのはかれこれ一年以上前の事・・・・。しげるおじいちゃんは日系一世のおじいちゃんでした。 ・・・大きな手術を終えて入院中のおじいちゃんのクリスチャンである娘さんから主人のところに一本の電話が・・・「日本語を話す父にイエス様のお話をしてほしい」。早速主人と共に病院にかけつけました。日本語が分るものの、耳の遠くなったしげるおじいちゃんとどのように会話をしたら良いか思案しているとおじいちゃんが日本語で筆談できることが分りました。私たちが日本語で書くと、それを読んだおじいちゃんが日本語ではっきり応答するというもの。主人は早速持っている限りの紙を使ってイエス様の愛と十字架の救いを語りました。いえ、書きました。途中紙が無くなっては手持ちのレシート、病院の案内パンフレット、最後はペーパータオルまで使って必死でした。全部しっかり読んだおじいちゃんは「信じる気持はないのであなたたちに話してもらっても・・・・無駄になる」。その後多くの祈りを積んで再び訪問。今度は紙芝居のように主人はおじいちゃんに読めるように聖書の言葉を紙に書き持参。もちろん余分の紙もた~くさん持って出かけました。この日のしげるおじいちゃんは素直な心でイエス様を信じる決心をされました。人の心を変えてくださるのは神様だけ・・・ともう一度痛感しました。それ後は隔週、退院したおじいちゃんの家を訪問し、一緒に祈り、御言葉を読んで過ごしました。そのおじいちゃんが時が来て天に召されたのです。この日は教会で希望にあふれた葬儀が行われました。私たちの希望はおじいちゃんがどこに行ったか知っていることです。そしてイエス様を信じる私たちもやがてそこに向かうことです。「再会」これは素晴らしい希望です。100人以上の方が集われた葬儀で「イエス様にある者の希望」が語られました。希望に満ち溢れた葬儀!!私はクリスチャンの葬儀が大好きです。 「イエスは言われた。わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じるものは、たとえ死んでも生きるのです。」ヨハネ11:25 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.07.14 19:00:23
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