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カテゴリ:新宿区
新宿は好きな町だけどとうも呑み歩くのは億劫に感じられます。ひとえにそれは人が多過ぎるというまあしょうもない理由だからであります。無論、理屈を述べるまでもなく人が多過ぎる程に多いからこそこの町は魅力を放つ訳でありまして、まさに人は人を呼び混沌たる坩堝のごとき有り様を呈しています。多様な地域の文化が入り乱れ、広い世代の人々がそれぞれの欲望をぶち撒けつつ、それでも人という生き物は弱く出来ているせいか同じ臭いのする連中は群れるものらしく、場所毎に特異な町並みを晒しているのです。そういう場所は新宿にあっては挙げると切りがないのですが、酒呑みにとってもいくつかの群れをなす避難場所があって、その代表的な一つが思い出横丁になるでしょう。しかしまあ思い出って何なのだろうか、酒呑みなんてのは思い出などという感傷に溺れがちな最も弱い人種であることは明らかな事で、それは吾妻ひでおの傑作『アル中病棟』を見れば身につまされるに違いないのです。
孤独に耐え難くなれば、取り敢えずこの界隈に来てみれば孤独感を癒せる気分になれます。勿論、それは気のせいで真っ昼間から酒を呑もうなんて連中は大概が孤独に苛まれているものだし、孤独な者たちが寄り集まったところで孤独はさらに増幅されるばかりなのです。「晩杯屋 思い出横丁店」はしかし、どうも少しばかり勝手が違うようです。皆それぞれに孤独なはずなのに何故か悲壮感が感じ取れぬのであります。酒の最高の肴は孤独であると思うぼくにはそれは違和感そのものなのです。最低限の値の付いたお勧めを頼むとちょうど品切れだと言われてもそんなものだろうなあと自然に受け入れる自分がいる。目に止まったポテサラすら実は危うかったらしい。いろんな酒呑みがいるけれど、そして皆それなりに悩みは抱えているものだけれと、ぼくは、程々に悩みをいだきつつも程よく明るく振る舞える人が好きです。そんな程々な悩みすらこの店の客からは感じ取れぬのであります。それは果たしてとうしたことか。きっと彼らはこれから気のおけぬ仲間達と伴って本番の呑みに移行するつもりなのではないか。だからこそ彼らは一見すると独りであるけれど、孤独でなどありはしないのです。きっと彼らは既にこれから落ち合う相手との会話などを思い浮かべてみたりしているのではないか。そんなぼくも実はこれからが本番なのです。果たしてここで独り呑むぼくは周囲からはどう写ったのか、叶う事なら孤独な男に見えれば良いのだけれど。 向かったのは、都内各所で目にする「中国西安料理 刀削麺・火鍋 XI'AN(シーアン) 新宿西口店」でありました。あんまりチェーンの事を悪く述べてばかりいると、そのうち行くべき店がなくなりかねぬから注意せねばなるまい。雑居ビルの二階だったか、そんな雰囲気は悪くないけれど店内に入るとまあ広くはあるけれど、ご当地の方のお店らしい退屈な内装でゲンナリとします。円卓に着いても気分の高揚はありません。まあ仕方のない事と予想通りなのだから不満は述べぬことにします。しかし、ここまでさり気なく腐してはみたけれど、料理は案外悪くないのであります。餃子や小籠包などはそこらの専門店などより遥かに出来が良いし、店の名物の刀削麺はこれまで何度も口にしていて旨いことは旨いけれど感心などしたことがなかったけれど、ここの一番辛いのに山椒を追い掛けし、さらに添えてもらったパクチーを大量に乗せて頂くとこれが風味がグンと増してしかも刺激もあり凄く旨いのです。旨い旨いと馬鹿の一つ覚えで語っているけれど旨いものは旨いという言葉を発せれば十分なのです。こうして口中を痺れさせれば安物の紹興酒もグビグビイケてしまうのだ。ジャンクな食い物に安酒が似合うのは古今東西不変なのです。こうなると満腹中枢も麻痺して食欲は亢進、酒もよく進むのです。しかしまあその見返りとして胃腸は荒れて、翌日は後悔する羽目に陥るのだけれど、それもまた新宿の呑みに相応しい結末であるなあ、なんて出鱈目な結論に至るのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019/01/14 08:30:08 AM
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