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カテゴリ:埼玉県
朝霞は東武東上線の駅のある町で都内からは埼玉県に入って和光市の次、二駅目にあるからけして都内からのアクセスも悪くないし、だからその気にさえなれば暇な週末にブラリと足を伸ばしてみても良かったのであります。ありますけれどそうしなかったのにはまあショボイ理由、いや理由というよりは嫌悪感とハッキリと書いたほうが良いかもしれません。なんて事を書きながら、いやいや、そういえばほんの何年か前にやって来たなあなんて思い起こすのでありますが、でもそれが必ずしも望んでそうしているんじゃない事は覚えています。たまたま偶然に東武東上線を一日乗車券とかで遊び歩いていた締めの一軒の酒場として朝霞の一軒を選んだに過ぎぬのです。とにかく言っておきたいのは朝霞には色々と良からぬ思い出もあるので、たまたま幸運にも素敵な物件と遭遇したとして、それを朝霞という土地と絡めることはせず、それを作った人の功績として還元するだろうと思うのであります。
ならばとうしてわざわざ朝霞を訪れるというのだ、という真っ当な疑問をぶつけられても回答には言葉を窮してしまうのであるけれど、ずっと宿題にしていた喫茶に行こうと思い立ったのです。好きとか嫌いとか子供っぽい事をいつまでも述べている余裕などないのです。都内近郊で残る宿題は底をつきかけているのです。東上線にしばし揺られ朝霞駅にて下車、駅の南側は余り歩いた事はありませんが、余り気分は盛り上がりません。町を隈無く散策したいという欲望が微塵も沸き起こらぬしらじらとした町並みが広がり、それでも気になる中華飯店なども何軒か見掛けますが営業時間はとうに過ぎてしまったようです。やむなく目的地に向かい進路を定めて黙々と細いくせに車通りだけはやけに多い、歩行者に不親切極まりない道を進みます。やがて、ちょっと見どころのある役所が見えてきました。役所のそばならもしやと、暑さでウンザリしてきた身体は早くも休みを求め始めています。しています。すると「珈琲 雅瑠」という存在感の希薄な一軒の喫茶が営業していました。審美的な側面からは余り期待できそうもないことは明らかですが、近頃は即物的な機能重視の何でもない店に不思議と惹かれるのです。パティシエの手掛けた豪奢なケーキより町の職人の拵えた質素な洋菓子に好みが移行したのと似たような心持ちといえば近いかもしれません。そして、ここは実際そうした店であったのです。役所の職員らしい青年が遅いランチわのんびりと楽しんでいます。いや、けして楽しそうでもなく役所の食堂と同じようにごく当たり前の日常のルーティンとして過ごしている。そんな感じがとても良くぼくも思いがけずもダラダラと過ごしてしまいました。 陸軍自衛隊朝霞駐屯地のある川越街道と並走する旧川越街道に面してはかつて米軍基地があって米兵たちが夜な夜な歓楽に耽ったという。朝霞警察署がこんな不便な場所にあるのもそれが所以というから、当時の狂騒振りが察せられようものです。ところが、今ではもうそうした時代のあったことなど忘れたかのように飲食店の大部分は姿を消し、かつて米兵たちの通ったクラブやバーの痕跡を認めることは今や困難であります。それでも「COFFEE & PIZZA ぽっぷ」やそのお隣の「CLUB CHATEAU」は当時の残滓と思われ、わずかにその名残を認めることができそうです。そうそう朝霞ショー劇場というストリップ小屋もこのそばで営業しており、小屋の前ではいつもおっちゃんが椅子に腰を掛けていたのを記憶します。そんな捨て去られたような通りに面して「珈琲専門店 ハニー」は営業を続けています。ここが長年宿題としていたお店です。比較的こぢんまりとした珈琲専門店でもスタンダード中のスタンダードな東亜珈琲のお店の一軒ですが、ここはそんな東亜珈琲のお店の中にあって、ぼくの知る最もスタンダードな一店に思われお手本にすべきお店であると感じました。その良さの所以は店のサイズ感にありそうです。狭くなく、広過ぎもしないというその絶妙さがこちらの居心地の良さを成功付けたと分析してみたりするのです。 折角だから退屈という点では朝霞以上にウンザリさせられる和光市に向かって歩くことにしました。和光市駅に繋がる駅前通りを歩いていくと一軒の80年代風のパーラー風の喫茶店がありましたが、お休みのようです。そのほぼ向かいにうけら庵通りなる路地があり、そこに謎の店舗「富岡商店」がありました。看板には洋菓子の「ヤマザキ」とありますが、やきとりの赤提灯の裏側にはおもちゃの記載もあります。ストリートビューで確認してみると、サッシ扉に貼り紙してある様子が見て取れ、拡大してみると綺麗な字で「本日都合によりお休みさせていただきます 店主」とあるから、少なくともこの店先をおばちゃんが自転車で通り過ぎようとした時期にはこのお店は営業していたようなのです。そのうちまた確認しに行きたいと思います。その先には謎めいた通りの名の由来であるうけら庵跡があり史跡となっています。うけらとはきく科の多年生草木だそうで、武蔵野台地に繁殖していたことからこれを庵名としたとの説明書きがありました。江戸時代の文人墨客が集まって、詩歌の会などを催したりもしたらしく、今でこそ利便のいい町となった和光市ですが、当時はそうとは僻地だったと思っていたのでびっくりです。近くには「てるちゃん」、「たんぽぽ」―ちなみにGoogleMap城では「居酒屋 よっちゃん」と表示されます―もあり、こちらも現役のように思われ、これは再訪必至ですね。後から地元住民の知人に聞くと、あち一軒には昔ぼくも行ったことがあるそうな。他も営業しているようです。近いうちに行かねばなるまいな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019/09/29 08:30:06 AM
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