先日、赤羽の路地裏酒場のことを書いたばかりだけれど、早稲田という町も路地が縦横に張り巡らされているという点に関しては近しい感じがあります。それぞれ文教地区と遊興地区と大別できるとしたら、世間的なイメージでは正対する町ですが、路地が多く庶民的な価格帯の店が多いという点では案外似たり寄ったりの町なのかもしれません。それでも早稲田っていう土地は、学生のための町という印象が強くて、学生時代などとうの昔に吐き捨ててきたおっさんたるぼくにとってはどうも座りが悪いことも少なくありません。それなりにご優秀な学生さんが多いはずなのに行き交う若い人たちは、どうしたものか明るい未来など思い描きようもないご時世を生きているにも関わらず能天気に奇声を発したり、我が物顔で細い通りを跋扈し、通行人たちの障害ともなっているのでした。現在ではそこそこ優秀ということが今とそして将来にとって安寧であることを少しも担保するわけではないことをまだ知らないようです。楽しいだけで過ごしたりしたら、瞬く間に学生時代など過ぎ去ってしまうことはぼく自身が身をもって体験しているのだから恐らくは間違いがない事であります。でも若い連中は明るい方に引き寄せられる傾向が強いのに対して、われわれのような枯れていたり枯れかかっていたりする者たちは暗い方へと向かいます。でもこれはけして若者に明るい未来が開けていることを保証するものでもないし、逆に老いを自覚しつつ生き延びるわれわれに緩慢とした足取りで死へと赴いていることを意味する訳でもないのであります。
ともあれ、暗い裏路地に引き寄せられたぼくは、「おでん 志乃ぶ」に吸い込まれることになったのです。店内に足を踏み入れるとやはり年長者が多いようです。枯れたムードの外観とは異なり内装は明るくてこざっぱりとしています。カウンター席に通されます。どこにでもありそうだけれど、それでもどこか懐かしさを感じさせる良い風情であります。カウンターの内側でテキパキと仕事する女のコはワセダの学生さんだろうか。時々ちらちらと視線が交わるので語り掛けたい欲望を抑えるのに必死となります。さて、お高めの価格設定のおでんは、まあおでんだなあといった程度でありますが、久し振りにちゃんとしたおでんを頂けたのはちょっと嬉しかったのです。おでんなんてのは家庭でも簡単に作れる安直料理でしかないのだけれど、家で食べるものとは一味違って感じられるのがいつもながらに不思議であります。何でもないものが何でもなく感じられるのはやはり居酒屋という場の不可解な魅力なのであります。ちなみに初めてと思ったこのお店、実は過去に2度訪れていたことを帰宅後に知ることになります。よくよくぼくは裏路地が好きなんだなあ。