何度出向いてもフラれる店っていうのがあります。どこか目当ての店に向かう通り掛かりの店であればどうということもないのだけれど、そこをお目当てにして何度でも足を剥ける店というのもあるわけで、そこが自分にとって不便な場所にあったりすると当初は行きたいという意欲があったはずなのに単なる意地を張るだけになったりもします。そうしてどうにかこうにか営業している夜があったとして、素直に喜ぶことなどできなくなってしまっていたりすることがあります。恐らくこの段階に至ると喜びよりも憤りだったり、諦念に心は奪われてしまっているのであります。別に何度かトライしたけれどうんざりして諦めてしまっていたのに、今度は別の店目当てにその町を訪れたとする。そういえばここらに以前何度かフラれた店があったなあ、せっかくだから回り道してみるかと投げやりというよりはもうどうでもいいという程度の意識でもって訪れてみるとまんまと営業していることも稀にはあったりするのです。この夜もそんないい加減な気持ちで通り過ぎようとしたら、あらあや思いがけずやってるじゃないかという事態となったのでした。
梶原の商店街を北上してすぐに「中華料理 生駒軒」はあります。こちらには何度かトライしてみたけれど,どうしても入れなかったのです。どうしても入りたいという意思が足りなかったのは確かです。というのは改めて調べると店の閉まる時間が早いこともあり、到着する時点で閉店となっていたのです。分かってみれば何のこともない、単なる自分自身のミスだったのですね。でも夜の7時ってちょっと閉めるの早くないって思わぬでもないけれど、そうするにはそうするだけの必然性があるのでしょう。実際まだ7時にもならぬのにこのお店のある商店街は人通りもほとんどないのでした。いやまあそれは昼日中に通ってもそうなのだから果たしてこの店はちゃんとお客さんが入っているのか気になってしまうのです。まあ店が続いているからにはきっとそれなりにはお客さんもいるのだとは思います。でもカウンター席はともかくとして、店の奥の10人程度入れそうな広めのテーブル席が埋まることは余り想像ができません。ともあれやっているからには当然入ることにします。他店に呑みに行こうとして思わぬ機会が到来したものです。店をやられているのはご夫婦でしょうか。まだいいかお尋ねするとどうぞとのことなのでいそいそと席に着きます。あまり悠長にしてられないからビールを頼むのとほぼ同時に餃子と麻婆豆腐を注文しました。こうして瓶ビールを呑むのも久し振りのことのように思えますが、そうでもなかったかな。麻婆豆腐は四川風というか陳さんとこの本格的なものとはちょっと違っていて、こういう店のオリジナルな味わいというのもしみじみと捨てがたいと思えるようになってきました。家では近頃はめっきり陳麻婆豆腐の素を愛用していて、これさえあれば外で麻婆豆腐を食べなくてもいいなんて思っていたけれど、やはり店ごとに個性がある料理でもあるからやはり食べ比べしたくなるのです。ここのは野菜炒めのように大きな具材がゴロゴロ入っているタイプでした。一方で、そんなに中身の具材などに違いがないはずの餃子ですがちょっとした野菜の切り方だったりで随分印象が違って感じられます。細かすぎても大雑把すぎてもいかぬのだ。ちょうどよい按配というのがあるようだけれど、なかなかこれぞというのに出会えぬけれどこちらのは当たり。なんてことはない店ではあるけれど、近所からなくなると困るぞお。近隣の方はちゃんと可愛がって上げないと自分たちが存することになるかもよ。