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カテゴリ:文京区
うかうかしているうちにも日々は着実に過ぎ去っているし、若い頃からずっと聞かされてきたように確かに年齢が増すにつれて着実に過ぎ去るスピードは加速しているようです。間もなく新型コロナが中国の武漢で確認されて3年が経とうとしていますが、グローバル化した世界で恐らく人類が初めて直面した災禍がもたらした時間の経過の有り様は多くの人々に深い喪失感や虚脱感を残しているように思われます。かく言うぼく自身も本来の出不精な本性が露わとなってしまったようで、それはそれでそれなりに充実した日々であったともいえなくはないのでありますが、やはりインドアで過ごしていることが多くなると日々にメリハリが希薄となってしまい総括してみると食っちゃ練をひたすらに繰り返しているように思い出されるのであります。まだまだ思い出に浸って生きていくことなど想定していないけれど、こうしたある意味で穏やかな日常を過ごしていると本に栞を挟んだり付箋を貼ったりといったインデックス化が不調となってしまい、後で過去のことを思い出すことを迫られてもそれを呼び出すための手掛かりすらないといった状況に追い込まれかねぬ気がするのです。だからこの夜、護国寺のビストロに向かったのだけれど、気付かぬうちに1年弱が経過していることを知って驚かされ、さらにはその前後に自分がどう過ごしていたかも全く思い出せぬことに愕然とするのでありました。
思い起こせば「ル・マルカッサン(Le Marcassin)」にお邪魔してすでに少なくとも20年以上経過しているのだから1年前のことは定かに記憶していないのに、20何年か前に初めて店の前を通り過ぎたことは明瞭に記憶しているのでした。まあ、過去をここで振り返るつもりはないけれど、ずっと何事があってもなくっても通い続けていたのが、ここ数年で変わってしまったのです。でも見慣れた外観を眺めて店内に入るとそこには微妙な変化を被りつつも基調となるムードは少しも変わらぬ我が家のような場所なのでした。そこで店を守るのはかつてよりむしろ若返ったように見えさえする主人のM氏であり、酒場がいい酒、いい肴といい人とで成り立つものであるならばここは紛れのないいい酒場なのであります。つねに変化を止めぬ店と変化を拒み変わらぬことを良しとする店があるとすればここは後者のタイプの店です。それでも時代に応じて日々微調整を加えられているように感じられるのです。とまあクドクドしく書いてみたけれど、このお店は少しも堅苦しさはなくって、心地良いように振舞うことができます。好きな料理を食べてぼくの好みを知ってくれているM氏のお勧めのワインを楽しみ、同行者や時にはM氏と楽しく会話を交わすのが幸福なのです。この夜はいささか姦し過ぎる客たちが居座ってしまったためゆっくり語る時間は取れなかったけれど、今度は互いの近況を確認し合えればいいなあなんて思うので、次は半年、いや3か月、できれば来月にでもお邪魔できればいいなあなんて思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022/09/26 08:30:08 AM
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