これまでも繰り返し書いていることですが、東京ばかりではなくそこそこに大きいと言われるような町でも賑わうエリアには偏りが生じているものです。エントロピーの増大の法則がこの場合は必ずしも働いていないようです。特に集客力のある大型施設のある地域の場合はそれが顕著です。都心部の昼夜の人口推移に極端な偏差があるといった報道を目にすることがありますが、都心部のオフィス街もそうですが、それを遥かに凌駕する落差が大型施設周辺の町では認められるのです。こうした施設では施設それ自体がひとつの町として機能していると考えることもできそうです。こういうイベント施設のテナント物件で飲食するのもたまには楽しいと思えることもあるのですが、でもそれを楽しく感じるのはイベントそのものがもたらす高揚感に躍らされているだけなんじゃないだろうか。にしてもイベント後、そうした施設を訪れた多くの客たちは、高揚感を抱いたままで家路を急ぐものなのだろうか。ぼくだったらそうはいかないけどなあ。せっかく沸騰した高揚感を昇華させるためにもさらなる高揚を求めて呑みに行きたくなるのです。ひと昔の例えば公営ギャンブル場なんかの周辺には、開催に合わせて多くの酒場が店を開けたはずだけれど、近頃はそうした呑み屋も過去の遺物となりつつあるようです。こうした施設はもともと多くの敷地面積を要する以上、広い空き地に設けられるものなのでしょう。実際に施設が稼働するとここでひと儲けしてやろうという有象無象が屋台などをゲリラ的に設置したりもしたのでしょうが、やがてはかつての周辺の空き地も宅地へと侵食され、後からやって来た人たちに近所迷惑なんて言われて町を追われたんじゃないかなどと想像してしまうのです。仕方がない側面もあるけれどまったくつまんないものです。
さて、後楽園も実は施設周辺はかなり退屈な場所で、巨大ビルヂングの1階にテナントとして入っている「阿字観」なる密教用語を店名に掲げた居酒屋は、ここが例えば新橋だったりしたら確実に見逃していただろうなといった地味な風情のお店でありました。しかし、呑み屋どころか飲食店すら希少なこのエリアでは存分にその存在をアピールしているように思われたのです。好んでこの辺を訪れる機会はそうなさそうであるからには、ここをみすみす通過する訳には参らぬのでした。てなわけで早速入店するのですが、先客はなくそれなのに店内は相当な客席があるのであって、これはこれで悪くない雰囲気なのです。いやまあ、混み合う酒場を礼賛する人が多い中にあって、閑散静寂たる酒場を愛する身としてみたらむしろ大いに歓迎するべき状況なのでした。品書きを見るとこれがなかなか気の利いた肴がズラリとラインナップされているのであって、しかも値段こそ失念しましたが、頼んだホッピーのナカの量が立派でかつ格安であったのには大いに嬉しくなったのです。万が一、ぼくがこの界隈の勤め人であったなら間違いなく通っちゃいそうです。でもあまりにも静かであったためか、泥酔した訳でもないのにうっかり眠り込んでしまったのでした。この夜一緒だったS氏には申し訳ないことをしたなあ。と思いつつも、眠りに落ちたのはきっと束の間であったのでしょうが、目が覚めるとS氏と目が合ったのですが、もしかして彼はぼくが眠っている姿を見つめ続けていたなんてことはないだろうなあ。