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北土燃ゆ 天地人「直江兼続」と北の群雄たち

北土燃ゆ 天地人「直江兼続」と北の群雄たち

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サイド自由欄

2009年11月10日
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 さて、本編では陰謀渦巻く大阪城内での兼続の活躍を描いている。その陰謀の種をひとつひとつ摘んでゆく。直江兼続の面目躍如の場面である。

 実は、この時代、戦の場面ばかりが話の種として取りざたされることが多いのだが、その前段階の根回し、すなわち情報戦に勝つことが曳いては戦に勝つための必須条件となっている。これは、合戦というものがすでに力勝負から、駆け引きによって成されるものと形を変えてきたからである。
 なぜなら戦う人数の規模が大きくなりすぎて、軍を統べる者自身の目が全体に行渡らなくなり、どうしても幾つかの分団に分けて統率せざるを得なくなり、戦いひとつに、より多くの人々の利害が絡んでくるため、その隙を付く情報戦の比重(統率者と被統率者の仲を裂く『離間』・軍の指揮者を消すことにより軍全体の指揮系統を狂わす『暗殺』・自らの境遇に不満を持つ民衆を扇動し軍を足止めし、混乱させる『一揆の誘発』等)が大きくなったのである。

 そのような時代背景の中でいよいよ九戸政実も動き出す。理由はこうである。

一) もともと南部氏の潮流である場合

     「わが『九戸家』は南部家の正当な血を継いで来た一族である。現当主『晴政』の本人ではなく兄弟『高信』がどこぞの妾腹に生ませた卑しい子が宗家を継ぐなど以ての外である。」

二) 実は元は甲斐南部氏が北に向かうに当たり同じ甲斐から付いて来た「小笠原氏」の流れである場合

     「そもそも、津軽一帯を大浦(津軽)為信に取られてから、南部の経済の屋台骨を支えてきたのは『九戸家』である。さらに、周辺の敵を見回した時、宗家三戸は『大浦』と『安東(秋田)』―今の北海道南に『蠣崎(後の松前)』も居るが、海を越えてこなければならない為、あまり脅威とならない―さえ見ていれば良いが、実質、南部家の南半分を領する『九戸家』は『斯波』『和賀、稗貫』『戸沢』『安東』そして、場合によっては、『伊達』までもが脅威となってくるし最悪は『浄法寺』や鹿角の小領主たちとも再び戦わなければならないという立場であり、これまでも甲信越の名家『小笠原』の血の誇りにかけてこれを守ってきた。それに比べて『田子信直』は何をしてきたというのだ。何もしていないではないか。わが『九戸家』が南部を領するのが筋道である」

 となるのである。
   

 どのみち宗家を「田子信直」が継ぐことは「九戸政実」、血の誇りにかけて受け入れがたい事であったのだ。しかし「北信愛」の半ばクーデターとも思しき実力行使―一説に由れば、当主決定のための話し合いの場を自らの兵を以って取り囲み、自らの説(信直待望論)をごり押ししたとも伝えられる―
によって、当主は「信直」に決まった。

 そこで政実もついに実力行使に出るのだが、これはまた次回に。

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最終更新日  2009年11月10日 23時17分36秒


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