突撃! 新部室!!
~~~♪~~~♫(オープニング)(以下、小声)こちら、レポーターの『らぷたん』です。私はいま、愛媛大学工学部五号館4階に来ています。我々がなぜこんなところに居るのか、と言うと、あの有名な(願望)航空力学研究会『二宮翔会』の部室がここ、4階に移転した、という情報を入手したからなのです。では、さっそく行ってみましょう。(小走りするらぷたん)何でしょう、あの異様な光景は!?ちょっと、カメラさん!よって!よって!(画面がズームされる)建物の一角が衝立で仕切られてます。なんとも奇妙な光景です。あっ、機体の写真や三面図が展示されているところを見ると、あれが二宮翔会の部室のようですね。画面右側が入口のようですので、さっそく、突撃してみましょう!へえ、ここが、二宮翔会の部室・・・。あっ、作業をしている部員らしき方を発見しました。何をしているのでしょうか。少し、声をかけてみましょう。あの、すみません、ちょっとお話をよろしいですか?『・・・・・・』すみません、何をしているのか、少し、お話を…。『……、……』あの……。『……、……、……』返事がない、ただの職人のようだ。き、気を取り直して、奥に進んでみましょう。(取材班には翼ラックを作っているように見えた)えっと…、ここって、ゴミ屋敷…、じゃなくて、二宮翔会の部室で良いんですよね?(ディレクターを見るらぷたん)あ~、ここで間違いないんですか。え…、取材の前日に、五号館前に大量のジャンクパーツが捨てられていたので、衝動を抑えきれずにPCやモニターを幾つも拾ってきてしまった?ああ、ジャンク漁りは理系人間の習性なので仕方がないですね(℃り〇い1巻参照)。これはアングル棚のようですね。机の上の無駄なスペースを活用する、というのは良い案ですが、何故、入口に一番近い机の上に作ったのでしょうか。通行の邪魔です。どうせ、錯覚で部室を広く見せようという、浅はかな魂胆だったのでしょうが、部屋全体が見わたせないのではどうにもなりません。これを作った翼班長は、永久脱毛した毛虫のような奴ですね。余談ですが、たまたま居合わせたとある助教授は、これを見て『要塞のようやん!』と苦笑していました。一番奥の壁には、手作りのスクリーンが設置されており、翼班長が拾ってきたプロジェクタを使って、一人鑑賞会を開いていました。一体、何を見ているのか、聞いてみましょう?すいません、何をご覧になっているのですか?翼班長『なずな、かわいいよ、なずな』駄目だこいつ…、早くなんとかしないと。翼班長『チヌ、かわいいよ、チヌ』明らかに、ひ〇まり、と、ガル〇ンですね、どうもありがとうございまし…。翼班長『説明しよう。三式中戦車「チヌ」とは、大日本帝国が開発した中戦車である。第二次世界大戦突入時の日本陸軍では、新鋭の機甲戦力として九七式中戦車「チハ」を配備していた。太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦において、九七式中戦車は南方作戦におけるビルマ攻略戦やフィリピン攻略戦に投入されたが、主砲(九七式五糎七戦車砲)の威力不足から連合軍のM3軽戦車に対し苦戦を強いられた。そこで陸軍では、新鋭対戦車砲である一式機動四十七粍砲をベースとする、一式四十七粍戦車砲に換装した九七式中戦車 チハ新砲塔と一式中戦車 チヘを実用化し、M3軽戦車に対抗可能となった。しかし、第二次大戦中期頃よりアメリカ軍はより強力なM4中戦車を大量に配備し始めた。そのため、これに対抗する新鋭戦車が必要となっていたが、四式中戦車 チトと五式中戦車 チリは開発中であり、量産はまだ先のことだった。このような経緯から、1944年(昭和19年)5月、一式中戦車の武装を更に強化した三式中戦車「チヌ」が開発されることになったのだ!(ウィキ〇ディアより)』そうですか。全く、需要が見込めない情報をありがとうございました、翼は…、デフレー総統。Расцветали яблони и груши,Поплыли туманы над рекой.Выходила на берег Катюша~♪(エンディング)さて、皆さん。大変名残惜しいのですが、そろそろお別れの時間がやってまいりました。いや~、わたくし、今回も大変素晴らしい体験をさせてもらいました、嘘だけど。皆さんも、一度、『二宮翔会』新神部室に足を運んでみてはいかがでしょうか。次回の放送は大人の都合(期末テスト)によりお休みなので、次回の放送は3月24日です。では、皆さん、交流会でお会いしましょう。さよ~なら~。はぁ、書くの疲れた。